みえているのにみてないもの
「なぁなぁ、あの子髪切ったよなぁ。」
「すごくかわいいよなぁ。え?前の方がよかった?そうかなぁ?」
「え、お前も髪切ったの?全然気づかなかったよ。なんか変わった?」
「ふーん、それツーブロっていうんだ。流行ってるんだ、いいね。」
「あ、アイツもツーブロだな。あ、アイツもだ。本当に流行ってるんだなぁ。俺もしようかな。」
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157回直木賞受賞作、『月の満ち欠け』を読みました。
あらすじ(Amazonより)
あたしは,月のように死んで,生まれ変わる──目の前にいる,この七歳の娘が,いまは亡き我が子だというのか? 三人の男と一人の少女の,三十余年におよぶ人生,その過ぎし日々が交錯し,幾重にも織り込まれてゆく。この数奇なる愛の軌跡よ! さまよえる魂の物語は,戦慄と落涙,衝撃のラストへ。
人生においてどれだけ自分のザルの目を細かくできるだろうかということが近頃の自分の課題であるような気がしています。ザルの目が粗ければ粗いほどに多くのもはぼくの前をただ通過していきます。逆に細かければ細かいほどぼくは多くのものを捉えて離さないことができるようになります。
冒頭の会話文の発言者の彼(完全自作で小説に関係はありません)は、あの子が気になってるから彼女の髪型の変化に気づくことができました。でも友人の容姿なんかはどうでもいいから彼の髪型の変化には気づけなかった。
でも、ツーブロックというどうやら流行っているらしい髪型という知識を手に入れて、気になるあの子の髪型意外にも世の中のツーブロの男性たちが見えるようになった。
ここで彼は、突如として視力が上がったわけではありません。意識、知識によって新しい視界を獲得したのです。これは日常生活的にたくさん起きることです。
自動車免許の勉強をすると、突如道路標識が気になり出します。歩道のラインがオレンジなのか白なのか、破線なのか直線なのか、そんなことが突如として見えるようになってくる。
カクテルパーティー効果という有名な言葉がありますが、これの視界バージョンみたいなものでしょうか。ちなみにカクテルパーティー効果というのはパーティー会場のようにガヤガヤした場所でも人はしたい人との会話ができるよって話です。
『月の満ち欠け』はまさにこの話ではないのだろうかと思いました。内容としては純粋な恋愛ものです。
登場人物全員がそれぞれの粗さのザルを持っている。それぞれの粗さゆえにキャッチできる情報が異なってくる。細かい網目を持っている人の話は粗い網目の人にはどうしたって伝わらない。だってそれが粗い網目の人からすればそもそも存在していないのです。
そんなすれ違い。
細かい網目を持つ人はどうしたら自分の世界を他者と共有できるのでしょう。粗い網目の人はどうしたら自分の常識を捨て去って細かい網目のザルに持ち帰ることができるのでしょう。
人の愛でさえ、粒度のあったものでなくては見えなくなってしまう。
でも、あえて、意図的に、故意的に、粒度を変えて見えなくするという手もあるのかもしれない。見えなくてもそこに存在することは確かなのですから。
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なるべく毎日書くと言ったnoteも今日で38日目でした。
また明日お会いしましょう。