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「昨日と違うことをする」実験が、自分を前に進めていく

一週間の夏休みを終えて帰ってきたら、自分が一部企画していた大きな仕事がひとつボツになっていて、今週も来週も時間に余裕ができる状態になった。
それでも働かないわけにはいかず、とりあえず社内のフリースペースに移動して今後降ってきそうな仕事を予測したり、先週出張で行った学会のレポートをちょこちょことまとめている。

イヤホンで自分の好きな音楽をかけながら、フリースペースで仕事をしているとすごく快適だ。
声がいちいちかからないから考え事が中断されることもないし、周りの様子が気になることもない。
パソコン一つで片付くことが結構ある仕事で本当に良かったと思う。

どんな状態だと自分の仕事が捗るかは、試してみないとわからない。
一人でも集中できる人もいれば、周りに適度に人がいたほうが仕事ができる人もいる。
集中して働ける時間帯は午前中だけという人もいれば、夕方からテンションが上がってくるという人もいるかもしれない。
昼に食べたものによって午後のテンションが変わる人もいるだろう。
それらをひとつひとつ試していって、自分の反応をみるのが、自分はとても好きだ。


人生は自分自身を実験体とした壮大な思考実験である、と自分は考えて生きるようにしている。自分の肉体と精神と、そこから生み出されるすべてが実験を行ううえでの原資だ。

これは自分が好きなものだろうか、嫌いなものだろうか。
自分はどれくらいの負荷に耐えられるんだろうか。
仕事では何時間集中して働けるのか。
ベンチプレスは何kgまで挙げられるのか。
どれくらいのダメージを受けると、自分は傷ついたと感じるのか。
逆に嬉しいと思うときはいつか。
どんなものを食べたとき、自分は幸せだと感じるのか。
一緒にいる相手やシチュエーションによって感じ方は異なるか。

そんなことを考えながら毎日、「今度はこんなことを自分に試してみよう」と、昨日とは違う何かをするたびに、
自分は少しずつ、自分の性質を理解できている、と思えてくる。
そうしているうちに自分が生み出せるものや、もらえるものが多くなっていって、
もっといろんな実験ができるようになってくる。

それが、たまらなく楽しいのだ。


★また、「自分はこういう人で、こういうことをよくしがち」などという自己分析がある程度できていると、
「他人からのレッテルによる呪い」をある程度跳ね返すことができるようになる。

自分以外の他人は、自分とほんの少しの時間を共有しただけなのに、
「あなたって、こういう人だよね」というカテゴライズをすることがある。

少なくない割合で、そのカテゴライズには誤りが含まれている。
でも、自分のことが全然理解できていないと、「自分ってそうなのだろうか」と、そのカテゴライズをうのみにしてしまう。
それはやがて「レッテル」となって、自分を縛り、身動きできなくさせる鎖となる。

でも、一部でも「自分ってこういう特徴がある」という理解を自分で持っていれば、
その感覚をもとに、他人の言葉を評価することができる。
「そこは合っているかもしれないけれど、そこは違う」と考えられるようになるのだ。
自分という存在を大事にしながら、生きていくことができる。

それはきっと、自分をより強く、しなやかな人間に育てていくことにつながる。


※よく自分探しの旅をしに行く人がいるが、
それは単に自分の全然知らない場所に行くことで「自分はこういうとき、こうするんだ」と気づくための実験がしやすいからであって、
必ずしも旅に出なければいけない、ということではない。

日常のなかで実験はできる。
昨日と違うことをして、自分の反応の差をみればよいのだ。

昼ごはんのメニューを変えてみて、午後のテンションの差をはかってみる。
通勤の電車を一本早く、または遅くしてみて、自分の行動に差ができるかをみてみる。
いつもより3回、バーベルを持ち上げる回数を増やして、自分が耐えれられるかを試してみる。

そうやって、「昨日と違う一日を生きる」ようにすることで、きっといくらでも、ぼくらは前に進むことができるのだ。


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