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音が芽吹くとき
春が近づきはじめ、もうすぐ4年生になる頃、娘は長年通っていたピアノ教室をやめた。
その頃、我が家は生活に困難をきたしていて
「続けられるのは、1つだけ」そう告げたところ、
ピアノ、体操教室、プール、そろばんの中から
娘が選んだのは体操教室だった。
実はピアノはもう限界だと思っていた。
グループで弾くアンサンブルは好きだったものの、
日々の練習が嫌いだった。毎日の練習時間は、30分。それでさえ1度も自らピアノの椅子に座ることはなかった。弾いてはうまくいかないと泣き、泣いては弾いた。
私はその頃、極度の不眠症で「やろうよ」という気力もなく、難しくなっていく、ピアノの楽譜を娘の代わりに読んであげることも、大変だった。
春になると同時に我が家からピアノの音が消えた。幼稚園の年中さんから、ずっと続いていた「朝にピアノの練習」がなくなった。
娘はピアノにまったく触らなかった。
‥2年後の6年生の冬。「これ弾けるかな」と娘が差し出したのは、6年生の卒業式で歌う合唱曲「大切なもの」だった。
「ハ長調だしなんとかなるかなと思って」
娘がはじめて自分から弾きたいと言ってきた。冬休み中、ちょこちょことパパに教わっては、とうとう弾けるようになった。
娘の伴奏に合わせて歌う、私、パパ。息子。
我が家のリビングには常に合唱曲が響き渡った。
まさか、また娘がピアノを弾く姿をみることができるなんて。
あのとき終わったと思った音の球根は、ずっと土の中にいたんだ。寒さにじっと耐えながら、色んな音を聴いていた。何年も。
卒業式での伴奏は、ピアノの発表会より緊張した。最後まで祈る思いで聴いていた。
ジャーン。やりきった音が嬉しかった。ほんとはピアニッシモでおわるけど、フォルテッシモになっちゃったね。
そして、中学生。娘は「吹奏楽」を選択し、今はトランペットを奏でている。合唱の伴奏を引き受けてまたピアノに向かうときもある。
あの日、娘が選んだ道は、私にとって予想外の喜びをもたらしてくれた。
今までやったことは、決してなくなりはしない。
自分の心の中に体験として息づく。
いつかまた、花ひらくときまで。