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自分に自信が持てない君たちへ

どうも。
人間について考えるのが好きな変態です。
気がつけばいつも考えています。
朝から考えていつの間にか夕方になっていることもしばしば。もはや恋の域。

最近、
ホープコアという考え方にハマっておりまして
そこで得た知見を踏まえて
過去のとある出来事を振り返っていたら、
思考が滝のように流れてきたので
せっかくだからここに記しておきます。

これは一個人の独り言です。
どう捉えるかは君次第。

コミュニティにおける人間

100人いれば100通りの考え方がある。
100通りの常識がある。
100通りの正解がある。

違う個体なのだから当然のことである。
当たり前すぎて、もはやここを深く追求する人は少ないかもしれない。(ここが本質なのにね…)

コミュニティというのは違う個体が集まる場所だ。
個体の数だけ思想が飛び交う。
思想と言えど、みんながみんな、心からの本音を言っているかどうかは分からないが。
その中に自分と違う意見があっても何らおかしくない。

それが当たり前でありコミュニティで生きる上での大前提だ。こう思える人間が多ければ問題ないのだが、残念ながらそうではない世の中…

ここで人間のとある性質が発露する。

「間違い探し」

自分とは違うモノを忌み嫌い、排除しようとする。
これは生物の本能だ。
村八分という言葉も生まれるくらい、人間はこの本能によって時に残酷なことをする。
特徴的な性質だ。

異質なモノにテリトリーを荒らされるかもしれない不安、恐怖。
危機を感じた結果起こる防衛反応だ。

果たしてその防衛は本当に必要だろうか?

文字通り、死と隣り合わせのサバンナで生きる動物にはもちろん必要だ。
ところがどっこい、人間の群れでの生活において命の危険など本来無いはずだ。
例えば、刃物を向けて脅されている状況下なら
その防衛は正当といえるだろう。
しかし、異質なモノが”ある”というだけで爪弾きにしようとするのは、過剰防衛ではないか?


前提がまず間違っているよ お前達は

見ている物体、事象は同じでも
人によって「見え方」が違う。
その結果、たどり着く「意見」も異なる。

極端に言うと
これは現実的に有り得ない例だが
目の前に1足の靴があるとして、

1人は「この靴は黒い」
もう1人は「この靴は白い」

と言っていたとする。

見ている対象は確かに同じなのに
見る人によって全くの別物になっているのだ。

そして2人は相手を納得させようと、
自分の正しさを証明しようと、議論を始める。

『この靴はどう見ても黒だ!お前が間違ってる!黒く見えるように脳みそ改造しろ!』
『いいや、この靴は白だろ。見続けてたら白く見えてくるんじゃないか?(笑)』

と、このような議論はお互いに相手の事情ガン無視の、かなり無謀な要求をしているような非生産的なものだ。
ヒートアップすると、賛同する他者を集めて相手を叩き潰そうとする。

この議論もとい戦争に何の意味がある?

勝ったとして、君が正しいことの証明になるのか?

君が正しかったら何だ?そこに何が生まれる?

見えた色が違うからといって、君に不利益があるのか?

その不利益は本当に不利益だろうか?


全部正解でいいじゃないか

正しいかどうかなんて誰にも分からない。
どんな意見も人類総動員で追究すれば必ず不都合がある。
粗探ししていてはキリがない。
完全な正解などこの世に無い。

ただひとつだけ言えるのは
自分自身が導き出したものは、自分にとっては
紛れもなく正解だということ。
それを間違いだと言う人がいたとしても
自分が揺るがない限り、それは正解のままだ。
正しいかどうかは他者に委ねたり決められたりするべきものではない。

全部、
誰かにとっての間違いで
誰かにとっての正解でもあるのだ。

「全部間違い」という言い回しは全ての意見を否定的に捉えてしまいかねないフレーズなので、
寛容で自由な側面を強調したくて
あえて見出しは「全部正解」にした。
否定よりも受容する方が圧倒的に生きやすいので。(※個人の感想です)

みんな、すでに尊重されているんだよ

だからわざわざ正当性を示すために、異なる思想を批判し、吊し上げ、追放する必要は無い。
してはいけない。

自信を失うこともあるだろう。
だけど君は間違っていないんだよ。
もっと自信を持って。
堂々と存在しているだけでいい。
君を見つけてくれる人は必ずいる。
そんな君の輝きが、誰かの救いになる。

そして

相手の意見も1つの正解であることを忘れないでほしい。

つい口を挟みたくなる事もあるだろうけど
見えてる世界がまず違うんだ。

「君はそういう捉え方なんだね!」
こう受け取ってみよう。

もっと余裕があれば
「どうしてそういう風に思うのか聞かせて!」
と尋ねてみるのもいいだろう。

相手の持つバイアス・動機・背景を深く知った上で
やっぱり納得できず、何かが引っかかる場合は
議論をしてみてもいいだろう。
こういう議論こそ有意義なものだ。
この時、強い口調は使わず落ち着いて話そう。
喧嘩ではなく優雅な意見交換会をする心持ちで。


自分の型に相手を無理やりはめ込もうとするのではなく、かといって相手の型に無理やり自分を合わせるでもなく、
お互いの型を尊重すること
興味があれば相手の型を知ってみること

そうする度に
世界の解像度がぐんと上がるはず
見えていなかったものが見えるようになる

人が共生すること=異なる思想が共存すること
なのかもしれない

思想によって世界は構成されている

思想は誰かを支配するためではなく、自分自身や誰かを救うためにあるのが理想的だなと思う

みんな正しい。
人が生み出したもの全てに尊い価値がある。
そんな世界で君は生きている。
つまり、君の価値はいかなる時も補償されているということだ。
だから胸を張って生きてほしい。

君は今日、何をした?これから何をする予定?
思い浮かんだものすべて、肯定するよ。
どんな瞬間も自分のことを褒めてね。
君が何をしたって、尊重されるべき素晴らしい人なのは変わりないんだから。

ここまで読んでくれてありがとう。

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