日本史からリーダーシップを学ぶ【徒然読書⑭】
リーダーを任されることもあり、リーダーをサポートする立場になることもあり。
リーダー像は令和時代でも、戦国時代でも変わらないのかもしれません。
そう思わせられた本がこちらです。
こんなかたにおすすめ!
✔リーダー像について勉強したい方
✔日本史もついでに学びたい方
✔先人がどのように切り抜けたかを知りたい方
✔今の自分の立場に応用していきたい方
鎌倉~昭和時代まで多岐にわたる偉人が登場します。
その中で、特に良いなついて行きたいなと思ったリーダーを3人紹介したいと思います。
1. 上司を上手く使った九鬼嘉隆
織田信長の「海将」として名を残した九鬼嘉隆は、上司の力を使って、無理難題を乗り越えました。
リーダーと言っても、CEOで無い限り上司はいます。
九鬼嘉隆は毛利水軍と戦うときに、織田信長からアドバイスをもらいました。
そして、見事「第二次木津川の戦い」で最強の毛利水軍を打ち破ったのです。
一段上から俯瞰して見ている上司がいるなら、自分の気づかない支店からのアドバイスを、もらえることもあるでしょう。
上司に頼らない方がいい、のではなく、上司も使っていく心構えの方が上手くいくかもしれません。
2.負けても堂々とふるまった立花宗茂
立花宗茂は無敗の武将として知られています。
九州の大友宗麟の配下から、豊臣家の直臣になった人物です。
豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵でも、武勲をあげています。
関ヶ原の戦いでも、西軍(豊臣側)でしたが、宗茂不在の間に決着がつき、結果的に負け組になってしまいました。
だけれど、宗茂は諦めず最終的な勝ち、落としどころを模索していました。
最終的に豊臣側(前田家)の誘いを断り、徳川側の誘いを二つ返事で引き受け、大坂の陣で徳川側で活躍しました。
その結果、「譜代」大名の扱いを受けるようになり、故郷の領地に復帰します。
負けても堂々と振る舞うことが、次の道を切り開くことにつながることを、立花宗茂の生き方は身をもって教えてくれています。
3.やめることを前提に動いた伊庭貞剛
伊庭貞剛は、住友の二代総理事です。
彼は新しい活力を組織に投入し、スカウトに力を入れていました。
そして、日本初の「合議制の重役会」も開きました。
辞めることを見据えていた彼だからこそ、自分がいなくなっても組織がしっかり機能するために、何が必要であるかを客観的に考えていたわけです。
「事業の進歩と発展に最も害をなすものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」
そういった翌月に伊庭貞剛は引退しました。
日本史の様々なリーダー像を知ると、自分が目指したいリーダー像、フォロワー像が見えてくる気がします。
まだまだリーダーになれるほどの経験も知識もありませんが、こうありたい像をつかむことができれば、それに向って努力すれば良いのではないかと思うのです。
あなたが、目指す姿にしている歴史的偉人はいますか?
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