見出し画像

石器時代


最近、"Dr.ストーン"って漫画を読んだんですが、この物語は現代人がある日、石化光線を受け、みんな石になってしまい、それから三千何百年後に石化が解け始め、また科学を発展させていくって物語。(ザックリ言うと....)


これを読んで染み染み思ったことがある。

それは、自分の中に2つの考えがあること。


一つ目は、「始めは何もなかったけど、科学でたくさんのものが作れて、たくさんのことができるようになるって、科学ってすげーーー!!!」
っていう、アホみたいな感想と、


もう一つは、「始めから全てがあって、科学によって多様性が拡がり、感謝しか存在しないんだなと改めて思わされる。」

っていう、少しカッコつけた考え。


この違いってただの視点の違いですよね。


始めに不足をみるか、感謝をみるか。

ぼくたち現代人からすると、今の知識で石器時代の生活に戻ったら、不足を感じてしまいやすい。それは誰だってそうだと思う。

例えば、今、水道の蛇口から飲料水が出てくることに毎日感謝している人はどれくらいいるだろう?



かなり少ないはず。

もちろんぼくも、当たり前っていう観念に踊らされてる。

それは悪いことではないけど、よくよく考えてみれば、蛇口から飲める水が出るって感動ものだよ。(水道水は飲めないっていう人がいたら、流して。水だけに....まぁ、それでも水が出るってだけですごいか、、)


じゃあ、石器時代の人たちからすると、科学の発展を目の当たりにするとどう思うか?

もちろん、未知の現象に恐れおののく人たちも多いと思うけど、感謝をする事の方が多いんじゃなかろうか?


初めて電気の明かりを見た人たちは魔法の様だと感動するだろう。


原始人からすれば不足の観念はあり得ない。

なぜなら、彼らには全てがあって、科学の発展は変容になるから。


感謝をベースに生きるって、言葉では分かっててもなかなかそう生きるのは困難だ。


だって、さっき言ったみたいに水道から出る水を見て、毎日感動するのは容易じゃないからね。

それなら、こんなのはどうだろう。


「あなたはこの地球に初めて生まれた原始人として生きる。」



誰もこの地球での生き方なんて知らないという世界で、自分が初のこの地球で存在する人として生きる。


ピンとこないかもしれないが、実際はみんなそうだ。


誰も生き方なんて知らない。生き方は生きた後にしか付いてこれないから。


例えば、自分が初の火星に住む人だったらどうだろう。

そこにルールなんてない。
ただ、自分の好きなように生きるだろう。

なら、この地球を火星だと思って、あなたが初の火星に住む宇宙人として暮してみるのもいいんじゃないかな。


いや、こっちの方が難しいっていう、あなた!!


それなら、毎朝昇る太陽に感謝しましょう。

あ、そっちの方が簡単だね。


はい、それでは、みんなで太陽に祈りを捧げましょう!


1・2・3・ダァァーーーーーーーーーー✊✊


(注:ふざけたので、実際にやらなくていいです。実際にやってる人がいたら、見てみたいです。。)








太陽と水道から出る水に感謝。




いいなと思ったら応援しよう!

セイヤ
ぼくの活動を応援してくださったら、もっと深く至福に入っていけるような記事を書けると思います(^○^)

この記事が参加している募集