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ドラマ「君とゆきて咲く」を観た感想〜後編〜

 こんにちは、シヅクです。
 ドラマ「君とゆきて咲く」が最終回を迎えて数ヶ月が経ちましたが、今更ながらに完走した感想を自分なりにまとめたいと思います。


https://www.tv-asahi.co.jp/kimiyuki/


※作品のネタバレを含みます。

全体として否定的な意見を述べますが、叩きたいわけではなくて、どうしてそう思ったのかを自分なりに整理したいのです。そう言って忘れることは簡単だけど、この作品に触れた時間を私なりに消化し、昇華させたいのです…。
なので、「キミユキが好き!」という方はこのnoteは読まれない方が良いかと思われますm(_ _)m

※私は三浦涼介さんのファンです。そのため、鴨さん退場後の記憶はかなりうっすいです。色々間違えてる可能性あり。すいません。
※個人用の備忘録なので、大目に見てください。


※こちらが感想〜前編〜



感想

 ドラマは別に面白くなかったし、原作の方が圧倒的に価値あるものだけど、この作品が原作を読むキッカケになってくれたのでそこは感謝。

 プロモーションとか映像技術とか言いたいことは色々あるけど、それは〜前編〜にまとめたので割愛。それもこれも手塚治虫先生の作品を読む人が一人でも増えたのなら、貢献したと言えるだろう。

 それもこれも三浦涼介さんが繋いでくれた縁であって、新選組のことを調べる契機となった。とはいえ今でも新選組は好きでも嫌いでもない。


 ………はい。(笑)
 もうこれが全てなのでこれで終わっても良いんだけど、もうちょっと書こう。

 ドラマ本編について。
 脚本というか全体的な構成は別に評価できるものでは無いかな。単純に面白くなかったと言ってしまえばそれまでだけど、こういうのは好みもあるし。映画はラーメンだから!
 10代の子で、時代劇というものに初めて触れて、なんかキラキラした画面に騙されるような、まだ情緒の積み重ねがそこまで出来上がって居ないような客層であれば心に刺さったり、「そういうタイミングで食らった作品だから客観的な評価が下せない」という位置のものにはなり得るかもしれない。それは否定しない。

 そういう作品は私にもいくつかあるし。最近思うのはゲーム「サイレントヒル」がそう。自我が形成される時期にもろに食らったので、私の「好き」の根本に成りすぎてるな、と自覚した。もう好きしか出てこない。2のリメイクが発売されたね!ゲームさんぽで名越先生ゲスト会が投稿されていて、めちゃくちゃ嬉しい!!
 漫画だと「ときめきトゥナイト」とか「BLEACH」とか。あーでもどっちも好きな所と好きじゃない所あるな…。とはいえ、作者を馬鹿にするような輩は許さんですよ。言いたいことは分かるけど「じゃあお前BLEACH描けんの?」って私は言い返すからね(強火)。
 ともかく、そういう「情操教育が形成されるタイミングで影響受けまくった作品だから好きすぎて、最早客観的な評価が下せない」、そんなコンテンツって各人あると思う。そういうのを聞くのが楽しい。ジブリ作品は特に、日本人なら多いのではないか。

 脱線した。
 何が「面白くない」と感じたかって、まずはテンポの悪さ。
 1話は悪く無かったけど、その後のよく分からない…イケメン同士が見つめ合ってる、画作りだけはそれっぽい時間がとにかく退屈で。
 それっていうのはさぁ!!前編でも書いたけど!!!そこに至る過程とその後が大事なのであって!!!!イケメン同士が見つめ合ってれば良いってものじゃ無いの!!!!!!
 …ということを、人生の半分以上は腐女子をやってる一個人として言わせてもらいたい。

 要はカタルシスなんよ。
 いや待て。そもそも、カタルシスってなんだったっけ。

カタルシス(katharsis)《浄化・排泄の意》
1 文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。
2 精神分析で、無意識の層に抑圧されている心のしこりを外部に表出させることで症状を消失させる治療法。通利療法。

コトバンクより引用

 ギリシャ語。アリストテレスでした。
 そう、このドラマはことごとく「このキャラどうなるんだ?!?!」が無かった。これってなんなんだろうね。
 今年は何本かドラマを観ることが出来て、「見てよかった」と思っているのは国内のものだと「顔だけ先生」(三浦さんは教師役で出演。みんな見てみよう!!!)。
 海外のものだと「PEACE MAKER」。特にこちらは激烈に面白くて、もうずっと「この人どうなるんだ?!?!!」があった。
 現在はAmazonプライムで「ツイン・ピークス」を途中まで観ているが、も〜〜〜〜〜〜面白すぎる。なんじゃこりゃ?全登場人物どうなるのかめちゃくちゃ気になる。気になりすぎる。しかもずーーーーーーっと面白い。すごい!!!やばい(笑)笑えるほどやばい。

 「この人、又はこの人達の関係性はどうなるんだ」が帰結する瞬間が、カタルシスを産むのではないだろうか。
 それがあるドラマは面白いというか、それが気になるから見ていられる。かと言ってそれを先延ばしにされ続けると飽きるが、それを小出しにしつつ、うまい具合に引きも作っていくことが続きものである”ドラマ”として、映像作品として、「面白い」と感じさせるのではないか。
 それと、ある程度の感情移入が出来ること。(個人の感想ですよ…)
 それが有るものと無いものの違いってなんだろう。

 「キミユキ」においては、原作にはめちゃくちゃそれがあった。「丘ちゃん、大作は……大作は…!」「あーっ!これは、これは、、どうなるんだ」みたいな。そりゃ手塚治虫先生ですからね、当たり前ですよ。面白くないわけがない。
 対して、そんな原作よりも登場人物が増え、エピソードも増やせたはずの当ドラマにそれが無いと個人的に感じてしまったのは、何故なのか。
 これは前編でもチョロッと書いたが、群像劇としての面白さが無かったからかもしれない。

 その部分については、役者の未熟さはあまり関係無いだろう。むしろその青臭さが新選組という血気盛んな団体には良い意味で作用するはずだ、と私は考える。
 日曜日の朝に放送される特撮作品に代表されるように…というかむしろ、「キミユキ」出演俳優の大多数がニチアサ特撮出身とも言えるわけで、演技の拙さはドラマをつまらなくさせるとは言い切れない…が、それも結局は結果論とも言える。
 しかしながら、結局はそれも含めて演出や脚本次第で何倍にも効果的なエッセンスになるはずなのだ。

 その群像劇という点においては、次項にて原作とも比較しながら考えてみたい。


 ここまで書いておいてなんだけど、私は別に脚本家の方を貶めたいわけではない。こういう仕上がりに収まったのって、プロデューサー…つまり”テレビ屋”の口出しがかなりあった可能性もあるなと思う。
 脚本家が自身のプライドと書きたいものをどれだけ形にできたのか、それで居ながらプロとして如何に要望に応えられたのか。それは完成したものを見ることしか出来ない我々には分からない。
 ここにはかなり、私も疑いを持っている。これもまた感想〜前編〜で書いた通り、このドラマはかなり金の匂いがするので、誰も望まなかったものが出来上がってしまう危険性だって十分にあるのだ。
 悲しいことだけれど。この国のエンタメはとてもそれが多いから。
 
 悲しい気持ちになってきた!良くないよ!
 よーし、久し振りにキミユキガチャを回してみよう……ってもう終わってる!??!?!
 鴨さーーーーーーーーん!!!😭

これ、ワシがガチャで出した鴨さん。その1
その2。
ノーマルだろうが私にとってはURだっ!!!



原作との比較

 ドラマ第九話で三浦さん演じる芹沢鴨が退場し、悲しみに暮れる私はその喪失感に折り合いをつけるためにも、原作とされる手塚治虫先生の「新撰組」を購入して読んだ。
 ドラマとの違いを、個人的な感じ方を元にざっくり上げるとこんな感じ。

・芹沢鴨が体の肥えた醜男
・何なら原作で唯一歌って踊ってる芹沢鴨
・そんな鴨さんを討つのが丘ちゃん
・丘ちゃんと大作はブロマンス要素の方が強め
・南無之介のキャラクター設定
・八重ちゃんの存在
・敵討ちによる悲しい憎しみの連鎖
・大作の死
・池田屋事件の最中に丘ちゃんは京を旅立つ

 いやいや、これはほとんどこの作品の核じゃないか(笑)
 この要素がドラマに無いとはこれ如何に…。そう感じる私だからこそ、ドラマは刺さらなかったのですな。


⚪︎芹沢鴨
 思っていた以上に原作でも強い存在感があり、丘ちゃんに多大なる影響を与えた人物。
 ドラマで演じた三浦さんはアーティストとしても活動しており、ダンスも歌もバチバチ最高ハチャメチャ上手なので(急に語彙力消失した)、ぜひそんな芹沢鴨も見たかったな〜〜なんて。

⚪︎南無之介と八重ちゃん
 八重ちゃんを男性キャラクターにして、丘ちゃんの父の敵打ちとは分けることでドラマではああなったのだな。うーん、私は八重ちゃんと丘十郎の関係性こそがこのお話の核だと感じたんだけどな。
 確かにオタクは主従関係が好きよ?だから新之丞様と南無之介はドラマではあんな感じになったんだろうけど。でも、だからって何でも良いってわけでは無いからさ、、舐められちゃあ困るってもんだよ!
 ところで杢代さんの名前の後ろにいつも(原因は自分にある。)って書いてあるから、「そんなに自分を追い込まなくても良いんだよ」とか思ってたんだけど、どうやら所属しているグループの名前らしいです。

⚪︎大作の死
 八重ちゃんとの関係性ともう一つの核を成すのが、この結末だと思う。このやるせない悲しみと喪失、それが自らの手に残ることが丘十郎の人生に、未来に、旅立ちに意味を持たせる。
 でもドラマでは大作生きてた…よね??ごめん、ハッキリ言ってそれさえウロ覚えなんだけど(オイ!)、「な〜〜んだ、中途半端だな」と思った記憶があるので…。
 誰よりも彼を慕い、ともに切磋琢磨した丘十郎が引導を渡すからこそ、この結末には意味がある。戦争の悲しみというメッセージが私の胸に刻まれる。


 そう、戦争の悲しみ。
 それは数えきれないほど沢山あると思うが、「その歳の子どもが子どもらしく生きられないこと」もその大罪の一つなのだ。

 この前久しぶりに見たテレビで、ナチスドイツによるホロコーストの様子を流していた。その中で非営利活動法人の方がそう語っていた。
 またとある日、とある人とこんな話もした。
 「しっかりした子」と親が自分の子に対して言うのは、純粋な褒め言葉だろうか?子どもを年相応に甘えさせることが出来ていないのだとすれば、その言葉は褒めるのを隠れ蓑にした呪いにもなるのではないか。

 これはドラマの「君とゆきて咲く」を見ていても思ったことだが、それは「彼らはこんな動乱の時代でさえなければ、同じ学舎で笑い合って過ごせていたのではないか」ということだ。
 まさに丘ちゃんと大作は親友になれただろうし、どちらか片方が相手の命を奪うなんてことは起きなかったはず。逆にこんな時代でも無ければ出会うことは有り得ない二人だったかもしれないが、どちらかが死ぬよりよっぽど良い。
 それでも他の誰かに命を差し出すくらいなら、大作は丘十郎に出会えて良かったと言うだろうけど。

 原作での丘ちゃんと八重ちゃんの最後の別れのシーンが私はすごく好きで、あの二人にも「こんな時代で無ければ」という余波を強く感じる。それこそ恋人同士にもなれたかもしれないし、まさに「るろうに剣心」の雪代巴と緋村剣心の関係性を彷彿とさせる。
 それが良いんですよ、それが……。年頃の子達なんだよ、本当に平和な時代であれば…と思ってしまう。


 と言いながらも、「映像作品にするのであればそうするだけのアレンジも見たい」と欲しがる部分も私には有る。欲しがり屋さんめ、このっ。
 原作の通りそのままやるだけなら意味がないし(それなら原作が至上なのだから)、その手法にしかない工夫とかアレンジもあって然るべきだし、曲がりなりにもプロが手掛けるのなら、その矜持をとくと見せつけて欲しいものである。それが自分の好みでないなら、仕方ないと諦めがつく。
 その辺が最近のSNS上でもよく話題に上るが、制作側が原作の核を見極め尊重すればあんな悲しいことにはならないはずなのだ。

 今の国内ではそれすら叶えられない。それは前述の通り金が絡み、よりによっておよそアーティストとは呼べない者どもがその出資者であるから、それが邪魔をする。これも一つの要因でしか無いが。
 それを考えると、今年上映された実写映画「カラオケ行こ!」はかなり良い塩梅だった。原作のファンとしても感動したし、かといって原作に寄せすぎず、映画にするからこその意味があるアレンジが効いていて、これはこれで良いな、みたいな。
 パンフレットで綾野剛さんが「映画の狂児」と形容されていたが、「まさにそう!」と思った。それがまた良かったのだ。
 それもこれも、スタッフの方々が原作をかなり大切に愛してくれたのがわかったので当然の結果だと思うが、それが出来る環境こそが当たり前であるはずなのである。そうであって欲しい……。
 

⚪︎池田屋事件の最中に旅立つ丘十郎
 ドラマではしっかり池田屋にも参加した丘ちゃん。ある種これが原作との一番大きな分岐点では?と思ったが、それを活かしたカタルシスは特に感じられず。勿体無い。




まとめ


 まぁそんな感じです。

 重ねて言うけど、当ドラマの役目としての「新しい時代劇」というのを私はある程度評価しているし、若い俳優さんを起用してそれに挑戦するのはとても意義のあることだ。
 私のように、これをきっかけに新撰組に興味を持った人は沢山いるだろうし、その中で、国の未来を思って儚く散った若い戦士たちに思い馳せただろう。
 この地は、この安寧は、夥しい犠牲と流血、それに希望と願いを抱いて散っていった先人たちの屍の上にあることを忘れたくない。 

 だから、ちゃんと選挙行こうって思う…。
 学生の時に明治時代の選挙の話とか女性の参政運動の話とか知って、愕然とした。自分たちが分け隔てなく投票出来るのって、彼ら彼女らの血の滲む努力あってこそのものなのか、と。
 私は義務教育の中でもそう感じることが多かったけど、皆が皆そうじゃないようで、、、。そりゃこれだけ生きづらさ感じるわってな!ははは!

 それは置いといて、私個人で何か大いなるものを動かせないにしろ、知って感じて考えることは出来る。こんな風に。
 その点においてはこのドラマも見れて良かったな。三浦さん、ありがとうございます。

 


おまけの日記


 ここ最近の日記としては、アニメ「マクロス7」も完走したってこと。OVAも全部見れたんだけど、いやぁ…良かった。。作画もストーリーも良かった。
 マクロス7の見どころは、やはりガムリン木崎ですな。主人公であるバサラの成長物語というより、周りの人間が影響を受けて変わっていくという構成が面白くて。それにしてもバサラとミレーヌの関係性な。くぅ〜〜!!
 30周年おめでとうございます。好きな曲は「PARADE」。

 あと安彦良和さんの漫画「THE ORIGIN」も完走した。最高すぎた。一年戦争ってこういう話だったのか。
 今めっちゃガンプラ作りたい。あと、宇宙世紀も網羅したい気持ち。

 というか、このnote執筆中にとある小説をとある場所に投稿できた。これはなんだかんだ一年かけてチマチマ書いてたもので、なんでそんなに時間がかかったかって、単純にめちゃくちゃサボってたからなんだけど。
 投稿したらしたで、ものすごい喪失感に襲われた。何年も創作活動してるけどこんなの初めてで、とても困惑している😢😢グスン
 愛する子供が旅立つのってこんな感覚なのかな?
 その作品がインターネットの海に生まれ出て、おめでたいことのはずなのに、この手から消えてしまったような感じがしてとても悲しく、寂しい。それを誤魔化すために、今は手を動かしている。

 11月4日から、三浦さんの8月のイベント映像がe+で配信されるどー!!
 あー楽しみだなー!!!

 じゃあそんな感じで。
 ここまで読んで下さった方がいたとすれば、ありがとうございました。長文駄文失礼しました。
 それではまた。

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