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RE-LIFE 第四章 転機の出会い
長女の目線で綴られたRE-LIFEの概要は過去記事をご参照願います。
この話に出てくる「ロックカフェ」は、私が内臓疾患がほぼ完治してきた約5年前、偶然見つけた近所のカフェバーです。私はこのロックカフェで多様で多彩な人々と知り合い、地元コミュニティの一員になりました。
ミュージシャン、美容師、銀行支店長、町会長、大学生達、起業家、パン屋さん、早期リタイア組、ほんとうに様々な人々と知り合い、今に至ります。
1 地元のカウンセラー達
父は会社での仕事・信頼・人間関係全て失った。
父は会社では完全に孤立していた。
そして父は、畑違いの小さな部署に配置転換させられていた。
父から直接聞いたわけではないが、中学生の私でもすぐに感じ取れた。
元々、父は不器用なタイプの人だ。その為、現状の思いや悩みを友人に赤裸々に話すことは出来ずにいたようだ。加えて、父は家庭で弱音を吐きたくないタイプの人だった。
その為、父には今の苦しい状況を相談出来る人は殆どいなかったようだ。
平日、父は万全でない体調で働くため、帰宅後や休日は寝たきりの状態だった。長い長い期間、そんな生きてるのか死んでいるのかもわからない状態が続いた。
当時、中学生の私にも、中学生なりの苦難やトラブルを抱えていた。そのため、もともと仲が良かったわけでもない父を思いやる余裕などなかった。
父がたまに起き上がってリビングにくると、正直、気分が重くなった。
なに? まだ調子悪いの? 勘弁してよ。あんた会社クビになるよ。
長い長い月日が流れ、父の体調が少し戻ってきた頃、父は休日、少しずつ自宅の近所に出かけるようになった。正直、父が休日いなくなって、私が気が楽だった。ずっと外にいてもらったほうがよかった。
そんな状況が2~3か月続いた、ある日の夕食時に父が珍しく興奮気味に母に話していた。
「近所に新しく出来たロックカフェに立ち寄ったらさ。そこのオーナーさんが、僕の同郷の人だったんだよ! しかも同年代でさ!」
「元々は美容師さんなんだって。しかも20歳代の時にパリコレに3年連続で参加したんだって。」
「しかもプロミュージシャンが本業で、その傍らカフェも運営してるんだって!」
「東京で初めて同郷の人にあったよ。しかもミュージシャンなんだって。」
その話、さっき聞いた。ほんとうにウザイ・・
中学3年生の私はそう思いつつ、その一方で饒舌に話す父を久々に見た気がしていた。普段はあまり話しかけなくなっていた父が私にも声をかけるようになった。
「郁奈、こんど一緒にいこうよ。」
ああ・・・めんどくさい。いつもこれだよ・・
私は夕食をかきこんで、父から逃げる為に自分の部屋に行った。
それから、父は毎週末の金曜日と土曜日は、そのロックカフェに通うようになった。
この地元での小さな出会いが、父のその後の人生に大きな影響を与えることになる。
その時、私は15歳。
父に対する様々な感情で見るのも嫌だった父。極力、父を避けてきた私から見ても、父がどんどん好転していく「転機の出会い」だったことを、私は今も覚えている。
2 転機の曲 YAKISOBA
その後、父の生活にメリハリが出てきた。
体調は万全ではないものの、平日の仕事をなんとか乗り切った後、父は、いつものように、同郷の知人のロックカフェに行く。
昔の友人たちとの関係を避けてきた父にとって、そのロックカフェのオーナーが、父が何でも話せる唯一の友人になっていた。家族の夕食の時、父は興奮気味に、そのカフェのことを母に話す。
「今度の土曜日、MANOCAさんのライブに行くんだよ。みんなで。」
はあ? ライブ? みんなって誰よ? ところで、あんたに友人いるの?
いい歳したおっさんが、なに盛り上がってんの・・・ 恥ずかしい。
「でもあなた、体調は大丈夫なの? 最近、週末も出かけて疲れたまってるんじゃない?」と母。
「気を付けるよ。でもいい機会だから、ライブいってみる。行ったことないし。」
それから父はライブに行く迄の間、MANOCAなる人のバンドの曲をずっと聞いていた。ずっと流すもんだから、母も私も弟たちも、MANOCAの曲のフレーズを覚えてしまった。
「焼きそば買って~ 駅までいこう~」
家で父がMANOCAの曲を口ずさむと、弟たちも一緒に歌い始める。途中で父が歌詞を間違えて、弟たちは「パパ間違えた!!」大笑いする。
バカなんじゃない? そんなことやってる場合? リストラされるよ、あんた。
バカ笑いしている親子のそばで、母も笑っている。
ママまで? 夫婦そろって能天気な・・・でも、父が、そして家族が、久々に心の底から笑ったような気がした。普通の家族であれば、普通にある日常。
その時の曲が、YAKISOBA。
大げさでなく、私たちにとって、忘れることはないであろう転機の曲。