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命の大切さ

はじめに、今回の記事は、私が幼少時に交通事故に合った事を書こうと思います。
もし、そういった話しに興味がない方、お好きでない方は閲覧をご遠慮ください。

この体験は、私の中でとてもつらい体験だったので、
これまで記憶の中から消してしまおうと思っていた事ですが、
今になって思えば、その時に感じたことが今の自分を作っていると
最近感じれるようになったので、今回あえて、向き合おうと思い書きました。

小学校2年生の時、近所の公園で友達と缶蹴りをして遊んでいた時のことです。
私は缶をねらってしばらく隠れていました。
そして、缶を蹴ろうと走った時に、横からくる軽自動車に跳ねられてしまい、
大けがを負いました。
本当に周りが見えていませんでした。

気がつくと病院に運ばれて、血だらけの服をきた自分がベットに横たわっていました。
手術は、麻酔が掛かった布が顔にかかった瞬間に意識がなくなり、
しばらくして目がさめました。
そこからが地獄でした。
全身が痒くてたまらなく、でも包帯でぐるぐる巻きになっているので、
痒いところをかくことができず、ただただ泣いていたのを覚えています。
痒いところがかけないというのが、こんなに辛いことなのかと、
はじめて知りました。

まさか、自分がこんな目にあうとは夢にもおもわず、現実を受け止めるのに時間がかかりました。
意識はハッキリしているのに、身体がまったくいう事を聞きません。
最初の1週間は、歩くこともできずに、車イスでの生活でした。
病院の先生が、今回の怪我は実は相当危なかったと後で聞かされました。

私は、アゴを強く車に引っ張られ、出血しましたが、もし傷が数センチずれて、
首だったら、間違いなく即死だったと聞き、背筋がぞっとしたのを今でも覚えています。

母はそれから私に、一度は助けられた命だから、これからは人のお役にたつために、
喜ばれるために命を使いなさいと、事あるごとに言われました。
そんな母も、数年前に他界しました。
不思議なもので、母が生前中に言っていた事がその時は素直に受け入れなかったことも、
亡くなると、なぜかその言葉が蘇ってきます。

私は臨死体験まではしていませんが、その寸前までいきました。
死とはこういう形で訪れるのだということは、その時の状況である程度分かります。
だからこそ、今こうして健康で毎日が送れることに、感謝しています。
また、一日の時間を大切に使わせていただきたいと思います。

この私の体験が、一人でも多くの方のお役に立つことができれば、幸いです。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

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