Vol.59 私が心打たれる『吃音映画』の構造。
前回(Vol.58)、「映画は、たいてい1回しか観ない」と書いた私ですが、その舌の根も乾かない内に3回観た映画が『ぼくのお日さま』。
ざっとしたあらすじは…
吃音(注1)のために、しゃべる事に難がある少年 多田拓也は、アイスホッケーの練習の為に訪れたスケートリンクで、フィギュアスケートを滑る少女 三上さくらの姿に目を奪われる。
後日、ホッケー靴のままフィギュアスケートの真似を始めた彼に、フィギュアスケートのコーチ、荒川が声を掛ける…
…というものです。
※下記は約1分の予告編です。
三人それぞれの想いが乗った視線が交錯する事で始まる「美しい時間」と「その顛末」、更にはラストの「主人公タクヤの ” 顔のアップ ” 」からのハンバート ハンバートによるエンディングテーマ曲「ぼくのお日さま」という流れ(※エンドクレジットのデザインも素敵!)に心打たれたのです。
(なお『奥山大史監督が「雪が降りはじめてから雪がとけるまでの少年の成長を描きたい」と構想を練っていた時にこの曲を耳にした』…という流れで、曲の方がインスピレーション元とのこと。)
※下記は、楽曲「ぼくのお日さま」音声動画(約4分間)です。
さて、私自身が吃音ということもあって、より主人公のタクヤに感情移入した所もあるのですが、私が他に「主人公が吃音」という事で強く感情移入した映画と言えば、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』と『WALKING MAN』。
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』のざっとしたあらすじは…
大島志乃は高校入学直後のホームルームで、自己紹介の際にうまく喋ることができず、周囲から笑われてしまう。
そんなある日、校舎の片隅にて一人寂しく昼食をとっていると、音痴な歌声が聴こえてくる。
歌声を頼りに向かうと、そこにいたのは、クラスメイトの岡崎加代だった…
…というものです。
※なお、『「 ” 症状を持つゆえの特有の問題 ” と捉えてほしくない」という原作者の意向』により、大島志乃の発話障害について「吃音」(もしくは「どもり」)と呼ばれたり、指摘されるセリフはありません。
※下記は約2分の予告編です。
『WALKING MAN』のざっとしたあらすじは…
母、そして妹と共に、貧しいながらも慎ましく暮らしている佐巻アトムは、吃音症という事もあり、人と話すことはおろか、笑う事も苦手な青年。
ある日、母が大ケガを負った事で家計が更に苦しくなり、ソーシャルワーカーからも見放される様などん底の生活を送る中、ラップバトルの存在と、そのパワフルな熱気を知り、我流でラップの特訓を始める…
…というものです。
※下記は約1分の予告編です。
こうして各作品を挙げていくと、三作品に共通するのは、
『主人公が「吃音によって想いを口に出しにくい」という鬱屈が起点になって、「表現活動( ” フィギュアスケート ” ” 歌 ” ” ラップ ” )を始める」という構造』。
…もっとも、「表現活動の会得や達成がゴールになる作品」があれば、「それがゴールたり得ない作品」がある(「ほかの表現方法を得た所で ” 喋りにくい日常 ” が変わる訳ではない」というのが現実ですからね…)のも、興味深い所ですし、そう考えると今後、他にも「吃音の主人公が、何らかの表現活動を始める」という作品が表れるかもしれませんね。
ちなみに私も、楽器いじりを趣味としていた頃、知り合ったプロミュージシャンに、
『君にとって楽器とか音楽は ” 吃音でしゃべりにくい事の代替 ” だから、 ” ある程度の表現 ” ができれば、わざわざ研鑽しようとする気が起きないんだよ。
でもそれでいいんだよ。普通に喋れる人が、更に ” 喋る稽古 ” をしないようなものだから。』
…と喝破されたことがあります(笑)
では、今週の締めの吃音短歌(注2)を…
意に背き こわばる口に 気圧されて 吐きたい想い 今も飲み込む
※いやほんと、吃音の症状が出る時は、体は誤作動起こしてるから体力面でシンドイし、言いたいことが言えなくてストレス溜まって精神面でもシンドイし…
【注釈】
注1)吃音(きつおん)
かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。
注2)吃音短歌
筆者のハンディキャップでもある、吃音(きつおん)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。
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