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ACT.131『宍道湖の辺へ』

神の国の活躍

 京王でクハ5717・クハ5767として活躍したこの車両は、最後の生涯をばたでん5000系として活躍し、神の国に支えて駆け抜けた。
 ばたでん5000系の車内には、観光列車要素として車内の化粧板を張り替えて冒頭写真のように出雲と縁の深い神々を天井に配置している。
 自分が乗車した時には最後の活躍を応援し、その活躍と出雲での生活を労うべく写真展のようなものが開催されていたのだが、かつての活躍でもばたでんの四季や沿線の彩りを届けるような写真の展示が開催されていたのだろうか。
 残り少なくなった車両の生涯を思いながら、自分を乗せた5000系は一畑口で折り返してそのまま島根県を象徴する湖、宍道湖の辺りに差し掛かった。
 この車窓はばたでん…いや、山陰の鉄道の中において名風景として数えられる車窓の1つであり、雄大なその湖の姿は心の潤いとして身体に染み渡るところだ。
 電車はそうして、宍道湖の湖畔を駆け抜けて松江しんじ湖温泉に到着した。ここから先、再び撮影に切り替えて5000系を追跡していく。

映す景色

 松江しんじ湖温泉から再び5000系に乗車して、前日にホテルでメモを残してリストに付けた撮影ポイントに向かう。
 ここまでは1人旅であったので1人掛けの座席に座って5000系での時間を過ごして来たが、松江しんじ湖温泉からは敢えての2人座席に着座した。
 この2人掛け座席は、ここまでの連載をご覧いただいた方には話が早いかもしれない。
 2人掛け座席も廃車発生品が使用されており、2人掛け座席は小田急3100形・NSEから拝借されたものだ。
 3100形・NSE…と記してもしっくり来ない方もいると思うので解説。
 3100形・NSEは小田急ではじめて展望席を設置したロマンスカーであり、現在の小田急特急の基礎を築いた車両でもあるのだ。
 引退時に部品が再利用され、ばたでんでの観光列車導入に際して『車両のグレードアップ』に貢献したのである。

 松江しんじ湖温泉から折り返す前には、駅構内にあった売店でポストカードを購入した。
 様々なばたでんグッズに目移りしたが、軽くお土産に使えるポストカードを選んだ。
 似たような柄になってしまったので2枚同時に…と記念撮影をしたが、上の方は午前中に雲州平田駅で。下の方を松江しんじ湖温泉で購入した。
 図らずも似たようなデザインになってしまったのだが、この後ポストカードは世話になっている病院と勤務先に送ったのである。
 松江しんじ湖温泉から宍道湖を望んで電車に揺られる事数分。電車はある駅に到着した。

湖と共に

 ばたでんの沿線。特に観光地の集中している宍道湖周辺の駅には、片仮名を使用した駅名が2つある。
 1つがこの下車した
・松江フォーゲルパーク
であり、もう1つが松江しんじ湖温泉からスグの場所にある
・松江イングリッシュガーデン前
である。
 今回は前日にホテルでリサーチした中で宍道湖畔から電車を望むならここ、と評されていたこの駅で降車した。

 下車してすぐの景色。
 冬の日差しに、5000系独特の丸い顔が美しく跳ね返される。
 空は曇り空であったが、これもまた冬らしく良いのかもしれない。
 自分が山陰に訪問すると大抵はこうした天気であり、何となく自分のイメージに染みているのが少々歯がゆい。

 松江フォーゲルパークで下車したのはどうやら自分だけのようだった。
 その後は運転士によって安全確認の上、扉が閉まり再びいつものように加速し消えていったのであった。
 電車が走りだしたタイミングで、何故か日が差し込んできた。この日の天気は本当にチグハグでどう対処して良いかなんとなく悩んだ。
 雪混じりの雨が降ったからと傘を用意すると、その雨はしばらくすると止み。そして雲が上空を張り巡らし天気は暫しの曇り模様。自分が宍道湖畔に到達した時に、冬の日差しが雲から差し込み少しの晴天模様となったのであった。
 本当にこの日の空の印象を、と考えてみればチグハグで定まらない天気模様であったとしか感想が残せない。
 駅の改札を出て、しばらくの撮影に尽くす時間が始まった。

 松江フォーゲルパーク駅を外から見てみると、このようになっている。
 駅というより、どちらかと言えば『停車場』のような印象を思わせかなり簡素に見える。
 乗降を済ませてスグに発車する為だけのような簡素に見える構造は、何処か見ていて面白い。
 1面しかないホームがそのまま単線に横たわっているだけなので、入線してくる電車の進行方向を判断してから乗車しないと取り返しの付かない事になる。
 写真から見て確認できる程度では、赤い箱として自動販売機が確認できる。
 この点に関しては、駅の名称となった松江フォーゲルパークの最寄駅として観光利用に一役買っていると見えるだろうか。
 また、改札口としての名前も立派に感じられる人が入って切符を切るタイプの『ラッチ』も確認できる。
 イベント開催時の需要などを見越しての対応なのだろうか。
 ホームの簡素さと比較して、様々な機能の盛り込まれた設備がまた面白い。
 そんな駅の先からは、宍道湖を一望する絶景が雄大に広がっている。
 この日は曇りだったので何処となく景色に同化し寂しい印象を受けるような気がするかもしれない。
 しばらく待つと、松江しんじ湖温泉に向かう電車がやってくるようなので駅周辺で待機する。
 駅前に構えられた踏切の警報器が鳴動し、電車が滑り込んできた。

 駅前の踏切からカメラを構えて記録した写真が、この1枚である。
 美談で撮影した7000系の2両編成コンビを再び撮影する事ができた。
 曇り空の中であったので、少々のハイビームが傷であったがコレには運転士の裁量なので抗えない。
 なんとなく2両である事を示せるような切り位置で切ってみたが、単独運転が可能な7000系がもしも1両でこの場所を通過する…となれば撮影には難しく悩んでしまうかもしれない。
 先ほどの5000系とは異なって、近代的に誂えられた7000系は軽やかな加減速を見せて松江フォーゲルパークから消えていった。
 折角の1日乗車券を使って旅をしている身である。折角ならばと湖畔の近くを歩いて撮影地を探そう。

 何となく良さそうな宍道湖の風景があったので撮影してしまった。
 日本海寄りの寒さや、冬らしい薄い日差しが撮影した時期の厳寒な時期を物語っているように見えるだろうか。
 この日の気温は1桁台。上着の中に仕込んだカイロでも全然寒さを凌げるといった安心できる状況ではなく、手も指も外に出れば悴み耐えられずといった状況であった。
 この周辺で5000系が折り返してくるのを待つ事にしたが、正直身体を考えてみればもう少し先の方まで乗車しても良かったのかもしれない。
 寒さに耐え忍んでいる時間はずっと、時刻表と睨み合ってまだかまだかと電車の通過を祈るような状況であった。

湖畔のカウントダウン

 ずっと岸で凍えている状況の中で、ようやく一筋の光が目の前を通過したような気分になった。
 松江しんじ湖温泉から電車がやってきたのだ。
 数少ないチャンス、後打ち写真となったとしても練習の為にここでは一仕事しておかねばならない。
 寒気を帯びた空気の中、先ほど駅前でカーブを描く姿を狙った7000系が走り去っていった。
 まだ日中ダイヤで動いているのか、行き先は川跡行き。電鉄出雲市まで直接行くには、もう少し待たないといけないようだった。
 寒さは自分の身体をしっかりと叩きつける。
「おぉい…まだかぁ…」
電車の走り去ってからというものの、ずっと時刻表を睨んで格闘するのは相変わらずであり、一種のカウントダウンを待つようなものであった。
 端末を確認、前駅の時刻を確認後…
 ようやくその時が来た。

 徒労とはこういった事を言うのかもしれない。
 敢えて今回は旅の中の一節としてこのままの掲載でいくが、道路越しの環境で撮影する事の難しさを考えさせられた。
「湖の寒気に当てられて消耗戦になるくらいなら線路沿いに居た方が良かったんかなぁ…」
と悔やんでもみたが、出来は出来。
 何年かすると、並走する自動車の車種でさえ貴重になってくる時代も必ずやってくるので、良い記録の紙片になったと思えば良いだろうか。
 撮影を済ませ、そのままの足でそそくさ引き返す事にした。

 美しく水面の薙いでいる姿が、自分の心には妙に刺さるものだ。
 どれだけ寒くても、自然の壮大さが人間に与える力には簡単に逆らえない。そんな事を思いつつ、湖の水面に思いを寄せたりしてみた。
 後になって今思っても、この時間は本当に寒かった。湖の直で直接吹き寄せられる空気を浴びて耐え続けた時間は本当に言葉にならないほどの寒さであり、言葉にして残すのも難しいものであった。
 電車が来るのが再び、待ち遠しい。
 今度は多少マシな環境だとしても…

湖の停車場から

 松江フォーゲルパーク駅に再び戻ってきた。
 この松江フォーゲルパーク駅の由来となっている、『松江フォーゲルパーク』というのは全天候型の温室施設を完備した回廊形の花と鳥のテーマパークであり、山陰の観光施設として今日まで営業している。
 フォーゲルパークでは、鷹にフクロウ。ハヤブサにハシビロコウと様々な種類の鳥が飼育されている。ハヤブサや鷹といった猛禽類に関してはショーも行われているようで、こちらもまた気になるところだ。
 さて、フォーゲルパークの駅に戻って再び電車を待機する。
 先ほど撮影した5000系に再び乗車して、目指すは電鉄出雲市である。

 あまりにも打ち付ける寒風が苦しかったので、待合室に入って電車を待機する。
 曇り空の中であった為、しばらくすると少し早めにという計らいなのか写真に映る待合室の蛍光灯が点滅した後に点灯した。
 特に待合室内では暖房が効いているかといえばそういった事はなく、外気を凌ぐのであれば屋根のある環境の方がマシという状況であった。
 待合室内に掲げられた時刻表と睨み合い、電車のやって来る時間を今か今かと軽く身体を動かして待機する。
 しばらくすると2人組の男女も待合室に入室し、この駅では自分を含めて3人ほどが乗車するようであった。

 しばらくすると踏切が鳴動。電車が滑り込んできた。
 この旅に出たのが昨年の年末であったので、周辺はもうすっかり夕暮れの様相になっていた。
 これ以上の撮影は不可能であろう。
 自分にとって最初で最後の5000系を追跡した一瞬の日が終了した。
 駅に入線するシーンを、ホーム中腹から狙って撮影した。宍道湖の湖畔と駅のホームを併せて無理矢理に空気を演出してみた。
 入線してきた5000系の行き先表示には先程までの
・川跡
ではなく
・電鉄出雲市
になっていた。どうやら電車の運転形態が夕方の仕様に変更されたらしい。
 このまま乗車して、出雲の中心部に向かうとしよう。

 夕暮れに包まれた駅から乗車した電車のほんのり温かい空気が、身体に染み渡る。
 5000系の車内天井に掲出されし出雲の神々たちと顔を合わせるのもこれで何度目になるであろうか。
 5000系と同時に、この電車を影から見守ってきた神々たちも同時にその使命を終了する事になる。
 最初で最後の対面となったが、出雲に装いを変えての活躍に改めて敬意を評したいところだ。
 電車の車内は、夕方を過ぎたのかホテルや家路に向かう人々の客層であり1日の終わりを少し予感させる様相であった。
 自分の近くでも女性2人組がロマンスカーからのクロスシートに身を委ね、思い出の話に花を咲かせている。
 暗く沈んだ出雲の空気を切り裂いて、5000系は走り抜く。しばらくして、方向転換の駅である一畑口に到達した。
 この時点で自分は肘を窓の下に掛けて腕枕の中に顔を沈めて休息の時間とした。歩き疲れ、寒さと戦った自分を残り僅かな出雲の神々と東京の街に尽くした台車が優しく包容する。
「そういや、晩メシどうしよっかなぁ…」
そんな事を考えていると、自分はもう眠りに落ちていた。

着地す
 自分が疲れた身体を起こしたのは、小さな振動だった。
「…客さん、…客さん。終点ですよ」
駅員の声に押されて、自分が深い眠りの淵に落ちていた事に気がついた。
降りた先は、電鉄出雲市の高架式行き止まりの中。
 今日一日ずっと世話になった丸い顔の電車が、再び向きを変えて次の仕事に挑むべく後部の尾灯を光らせていた。
 寝惚けつつも、脳の準備運動のような感覚で何枚かの写真を撮影した。
「グダグダでここまで来ちまったなぁ…」
 丁度、自分の近くに観光客と思しき2人組がいたので記念写真を依頼してみた。
「すいません、少し良いですか?」
何パターンか撮影してもらう。

 顔出し活動はしていないので、学ラン部分だけ。
 上着にカバンを全て周辺に置き、軽いスタンバイでポーズを作る。
「ありがとうございました〜」
感謝の一言で別れようとした時だった。ある質問が投げられた。
「ありがとう、ってマークがあるけど引退するの?」
「あぁ、コレですか?来年の1月で(訪問当時)引退するんですよこれ。」
「あぁ、そうだったのね?」
偶然にもいい感じの空気になった。
「んでこの車両は京王から貰った車両を改造したんですよ。そして座席は小田急ロマンスカーの座席を使ってるんですよね。」
少しだけ足掻きの補足。
「それで乗り心地良かったんだ、凄くいい電車だったもんね!」
なんとなく、旅で軽く乗車した人々にもこの電車の異彩は伝わっていたようで、何処か少し嬉しくなった。
 そして勿論、自分が京都からこの電車を目当てに旅をしたと伝えると驚かれたのもセットだ。
 なんだろう、この感触は…
 自分は1日乗車券を持っていたので、そのまま構内に残って幾つか撮影をして時間を潰した。
…本当は円滑な業務の為、いけない事ではあると思うのだが。

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