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ACT.129『主役の歓迎』

平田へ

 一畑口から乗車したばたでんを、雲州平田で下車した。今回の目的である5000系は現在、松江しんじ湖温泉の方角に向かっているのだがどうしても寒さに耐えられずそのまま引き返してきた。もう少し撮影に繰り出しやすい環境ならば、自分はそのまま一畑口から乗車して松江しんじ湖温泉の方へ向かっていたのだろうか…とこうして京都で文字を綴る今になって思うが、やはり冷える体の労りには負けられないモノである。
 雲州平田に帰って、まずは車庫を眺める。
 年季の入った建屋に、3つの電車が入線している。
 1番左のピンク色の電車は、島根県のゆるキャラである『しまねっこ』を車体全体に装飾したその名の通りの名称『しまねっこ電車』である。
 かつては京王から継承された2100系で運転されていた『初代しまねっこ電車』が存在したが左に佇む『しまねっこ電車』はその意匠を引き継いだ2代目。2代目は東急から譲渡された1000系を改造し、平面の顔が特徴的な車両である。
 今回は出庫している姿を見る事が出来ずずっとこの雲州平田の車庫に入庫していたがどうやらジャッキアップの最中。車両の定期検査を実施していたようだ。
 日々、我々が世話になり時にハンドルを握る乗用車・車にも車検のタイミングがあるように電車にもそうした車検のタイミングが存在している。
 今回はそうした『車検』の中にて束の間の離脱となっていたようだ。
 この時には操業していたかどうかは不明だがこうして安全を支えてくれる裏側があるからこそ、我々は鉄道の旅を楽しむ事ができるという感謝の念が自然に浮かび上がる瞬間であった。
 そして右建屋に停車している2つの電車。
 1つの白い顔の車両はJR後藤総合車両所にて自社発注の下製造された7000系。
 7000系に関してはこの連載内で登場しているのでまだの方は其方も是非ご覧いただきたい。
 白い顔の電車、7000系の横に停車しているのがこちらもまた1000系だ。
 こちらは橙系の単色をベースにして白帯を巻いた通称『デハニ色』である。
 今回は彼らが車庫の待機番となり、休息…
 そして有事の際の出庫に備えて休んでいた。
 車庫の撮影をしていると、近くで電車のサウンドがする。
 カメラを向けると、その車両が自分の目の前を過ぎ去っていった。

ばたでんの主役

 やはりばたでんを語りし上でこの電車を欠かす事は出来ないのではないだろうか。
 伝説の電車、デハニ50形。
 ばたでんの主役のような存在として現在は雲州平田駅で『体験運転用』のアクティビティとして第二の生活を過ごしており、島根県の誇る観光アトラクションとしての地位も築いている。
 デハニ50形体験運転の様子は参加せずともこうして駅構内から普通に観察可能な為、電車を待っている最中に目の前を電車が行ったり来たりする不思議な光景を目にする事ができるのだ。
 不意に撮影したこちらの写真であるが、一瞬の撮影ではあるものの現役感を出してくて駅のホーム上屋も織り交ぜての写真構成とした。
 少し暗いのは難点であるが現役らしさはしっかり出ているだろうか。

 デハニ50形を接近して撮影。
 実はこの線路はデハニ50形による専用の線路として『体験運転用』に分離されたものであり本線との接続はあったものの現在は完全に独立した格好となっている。
 それにしても、何処か懐かしいような…日本人の忘れたような何かを持っている電車だと思う。
 現在は単行…1両だけであるが、現役時代には2両編成や3両編成などを組成して本線に繰り出していた。
 乗り物に対して細かな知識のない人間が見ても「古い」と即座に脳が反応しそうなこの電車であるが、平成21年まで現役だったというのだから非常に驚きである。
 昭和4年に誕生し、以降この神の国出雲に尽くしてきた。

 車両に扉が2つあるのは、1つが手荷物用。そしてもう1つが乗客の乗降に使用する扉である。
 車体側面に小さい文字で『手荷物』と記されたヶ所があるのが分かるだろうか。
 扉は現在のように電気系統での開閉が可能な時代ではあり得ない『手動扉』。
 正に時代のタイムカプセルといった様相で、
現代の我々に電車の発達や乗り物の歴史などを体で語り継いでいる。
 時代が電車の発達段階であり黎明期の為、電気を給電するパンタグラフが菱形の大きなものがドカっと置かれているだけなのだが、コレがまた素晴らしい。
 ここまで大きいと『デカパン』と呼んでも差し支えのないようなスタイルだが、本当に美しい電車だ。

 体験運転の車両として現在はアクティビティに全振りした存在なので、通常の電車とは異なった発進や停止をしているのがまた面白く感じる。
 撮影した時には冬休みの真只中であったので若い客層やファミリーたちの姿もデハニの車内には目立った。
 角張った窓が連続し、弾丸のようなヘッドライトを頭部に乗せ、そしてデカパンで締める。
 コレほどまでに美しい電車の基本的なスタイルがあるだろうか。
 可能ならばこの電車を撮影に全て振ったイベントにも期待したいものだ。

※平成22年に公開された映画『RAILWAYS』。この映画の出演でデハニ50形は一層の人気を帯び、鉄道ファンならず大きな脚光を浴びたのである。

 写真が、デハニ50形の出演した映画である。
 既に公開から10年以上経過しているがこの映画の公開こそがデハニ50形の地位を高め。そして一畑電鉄にこの橙の電車あり、という存在を残したのである。
 以降、保存にまで動き出したこの映画の功績は大きく現在の体験運転にも通じていると言って過言ではない。
 体験運転には高額の料金を支払わねばならないものの、本職さながらの実技講習にホンモノの電車を触るという臨場感はかけがえのないモノであろう。
 自分は未経験だが、中には既に体験運転の回数が4桁に達そうとする人。体験運転にデハニ50形へ魅せられての島根県移住を決意した人など、多くの人々を虜にして止まない存在だ。

伝染

 既にこのばたでん旅の中で登場している橙のカラーリング、通称デハニ色はこの車両を基にして多くの車両に塗装される事となった、ばたでん標準のアイデンティティである。
 写真の中。角張った車両のデハニ50形の横に待機しているカボチャのように丸い電車も、デハニ50形への人気の高まりを受けて車両色を改めたのである。
 今回は体験運転線の横に停車していたので、運よく『色のベースになった車両とその伝染を受けた車両』としての並びが撮影できた。

 何往復かしていたので、そのうちの1回を撮影。
 似たような前照灯の配置や同じ位置に白い帯を巻いている事など、共通点はあれどしっかり見てみるとまた面白いものだ。
 デハニ50形は撮影している最中も体験運転の参加者たちを乗せて、雲州平田の体験線を行ったり来たりと大忙しであった。
 そこには、神の国出雲に魅せられ。そして鉄道への確かな希望や思いを乗せた走りが存在していた。

 そうそう。ここで追記。
 実はこの車両も5000系なのである。
 ばたでんには5000系が2編成在籍しており、片方が5010Fとして。もう片方がこの5009Fである。
 この5009Fの大きな特徴として、やはり車体色と前面に貼られたヘッドマークがある。
 車体色は現在のばたでん標準色と化したデハニ色に改められ、前面には『しまねの木』として松を配置した四角いヘッドマークが付いた。
 この『しまねの木』というのが車両の延命工事…更新改造の中で『車内内装の木質化』という県の産業育成への思いを込めた木を多用した内装になったのである。
 今回は乗車が叶わなかったが、車内は通常の電車とは異なった内装に仕上がっており観光需要に振った形となる。
 車内の内装更新改造を請け負ったのは、山陰地区の鉄道を支える頼もしい存在のJR後藤総合車両所。
 現在の自社発注新車を製造している会社でもあり、ばたでんを日々支えている大事な存在なのである。
 今回は5000系の仲間のうち1本。引退迫る5010Fの追跡を目的とした遠征であるがこの5009Fの引退も近い将来に迫っている。
 次こそは元気な姿を撮影してみたいものだ。

ぬくもり

 この雲州平田駅に寄ったのは、体験運転のデハニを撮影したかった…という訳ではなくお土産の購入にあった。
 結果的には動いているデハニの撮影でかなりの時間が溶けて個人的には良かったのだが。
 写真は1000系・5000系・デハニ50形という同一色の3本並ぶ姿を収めた様子。
 同じ色の電車たちの会する瞬間というのは、どんな会社でも圧巻の様子である。

 お土産に購入したのがこちら。
 ばたでんポストカード…である。
 多くの柄があった中で、購入したのは今回の遠征目的である5000系と蕎麦畑モノを選んだ。
 蕎麦畑の背後には、県のスポーツ施設である出雲ドームが聳えている。
 と、この場所で実は温かき洗礼を迎えたのである。

 ポストカードを買った時の事である。この時、応対してくださった駅員さんに
「お、丁度売り切れた…」
と笑ってその瞬間を送り出して貰えたのだ。
 写真は、売り切れの欄にチェックマークを付ける駅員さんの手。
 まさかこんな瞬間に立ち会えるとは!と自分は非常に嬉しかった。5000系フィーバーがこの駅にも押し寄せていたのだろうか。
「え?最後の1枚だったんですか?」
と笑って自分が返事する。
「あはは、マーク付けとかなきゃ…」
少しだけ、温かな時間が過ぎていった。
 有人駅で過ごす温かい時間は、こうした語らいや駅周辺の散策で経過し、あっという間に次の電車の時間となった。

難読の地へ

 次に来た電車は、今後を担う自社のホープ、7000系。この車両もばたでんに馴染んで相当な年月が経過する。
 遠くに鳴り響く踏切、駅員の案内放送によって電車が入線してきた。
 関西で暮らす我々には少し馴染んだような何処か不思議な顔であるが前パンタグラフ・貫通幌の装着でかなりの印象が変わるものだとこうして別形態を見て感じさせられる。
 今回見送る5000系の後継となる8000系に関してもこの顔が継承される事となりすっかり出雲国の電車の看板を背負った形となったが何故にこの顔なのだろうか。少々話は逸れるものの、些細な疑問としてこの場に残しておこう。
 さて、乗車していく7000系電車は単独運転も可能なようにして両運転台にて設計されている。
 この両運転台構造を採用する事によって、これまでのばたでんでは成し得なかった需要による両数の使い分けが可能になるのである。
 閑散時間には1両編成で。ラッシュ時間には2両〜4両で。と様々な需要に応答できるのだ。
 7000系に乗車し、まず広がっているのはボックスシートで埋められた海側の座席とロングシートの広がる山側の座席である。
 この対比がなんといっても面白い。
 なお、この設計はばたでん7000系のモデルとなった四国7000系でも同じ座席設計が用いられており、ある意味での『流用』と言える部分なのだ。
 自分が乗り込んだ際の乗車率は何となく50%近い数字であり、座席の空席はあるものの少々埋まっていた。
 向かうはばたでん屈指の難読駅名を持つ地である。7000系は軽快に疾走し、日本海から受ける寒さに雪降る大地もモノともしない歩みで駆けていった。やがて15分程度だろうか。目的地に到達した。
 無人駅であったので、1番前の扉に向かって歩き一日乗車券を運転士に見せる。
 駅で降車したのは自分含めて3〜4人程度であり、寒さを堪えながら駅周辺の道に消えていった。

 さ〜て。こちらが下車した駅である。
 読者の皆さんにはこの駅名が読めるだろうか。直接読もうものであれば『びだん』となるだろうが、この読みは正確なモノではない。
 この駅名標に映り込む、旅伏(たぶし)もかなりの難読駅名なのだがこの駅の引っ掛けさせたような読みに比較すれば恐らくコチラの方が1枚上手を行っていると自分は思っている。
 駅周辺は無人駅で非常に長閑だ。
 そして春夏秋冬の気温や空気が駅を包みこみ、心が洗われ非常に落ち着く駅だと自分では思っている。
 東京や大阪のような都心で生きている人々、そして都会で日々を生きるのに神経や命を擦り減らして戦う我々には恐らく極上の感覚さえ思う駅なのではないだろうか。
 …これは少なくとも自分の思う感想なのだが。
 今回はここで終了。
 駅名の正式な部分にはモザイクを掛けておいた。
 読み部分に関しては次回の記事のお楽しみ…という事で。
 この無人駅に降車し、自分の身を投じた事とは…

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