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忘れていたら販売でした。

 どうも。かんてんです。
 機関車関係の模型をしている人には、客車に貨車が欠かせません。
 そうした中で、自分は客車をKATOの製品で統一しています。逆に貨車はTOMIXです。(なんの拘りやねんって話はナシで
 そうした中で、自分が欲しいと一応は脳の引き出しに閉まっておいた品がいよいよ発売の時を迎えました。
 JR西日本の
『マイテ49形+旧型客車3両』
のセット。一応、セット品で購入すると13,000円近くはするのですが、販売が決定した話を聞いた際には
「え〜、どうせならマイテだけ欲しいわぁ」
なんて思ってしまいました。旧型客車はかなりの両数(それでもまだまだ)が我が家におり、しばらくは見送ろうかなぁと。
 というか13,000円あれば1編成の電車。気動車の編成が欲しいです。そうした事情で待っていると…
『マイテ49がASSY販売!!』
との情報を不意に入手。
「ん?ASSY販売なら1両だけで買えるのでは?」
そう思った自分です。
 ちなみに説明しておくと、『ASSY販売』というのはパーツ毎での販売を指し、このパーツを数点購入しておくと1両の車両が完成します。
 本当にKATO製品はこのASSY販売が死ぬほど充実しており、
「なんでこんな部分まで揃ってんの?」
と引いてしまうくらいにはあります。

 改めまして。ASSY買いという形で購入したマイテ49形客車です。
 こうしてパーツだけで買う需要を作っておく事で、
『増結用に』、だったり『この車両だけ欲しい』
 という需要に応えています。
 マイテ…というのは1等の展望車を指し、かつてこの車両は最上級の特急列車である『富士』に『つばめ』の最後尾に連結されました。
 当時の鉄道省の特急列車は、余程の上級家庭でなければ乗車できない列車だったので相当な階級の車両です。
 その後は戦後にGHQからの接収を受け、アメリカ軍の傘下で活躍した車両でもあります。
 そうした壮絶な環境を生き抜いた後は、昭和36年に大阪は弁天町の交通科学博物館に収蔵され展示で余生を暮らしました。
 ですが、昭和62年に復活し車籍を戻す事に。
 旧型客車を増結し、その後はJR西日本の線路上や全国を走行しました。
 しかし平成21年頃にSLやまぐち号の増結客車としての役割を終了すると、その後は大阪の宮原運転所にて静かに眠るような日々を過ごしていました。
 去就が決まり、現在に至るのは令和4年。
 鉄道開業150周年となった10月14日に京都鉄道博物館に再び収蔵される事が決まり、安住の地を迎え現在に至ります。

 軽い解説を終了したので、車両を構成していくパーツを見ていきましょう。
 3種類のパーツで構成され、
・室内パーツ
・車体
・台車
に分かれています。
 まずは室内から。
 室内パーツは、マイテ49が豪華客車である所以の広々としたソファや客間が再現されており、非常に細かい造りです。
 そして展望デッキに関してはココに付属し、かなり細かいパーツなので破壊の危険性もまた高いモノに。
 ちなみにマイテ49の昭和62年本線復帰時にはこの展望デッキを嵩上げした実績が残っており、実車をよく見るとその形跡がよく分かるのですが模型でもその点を細かく再現しています。
 ちなみに室内の座席パーツなどを剥がすと、中には尾灯の点灯などを支えるプリズムなどが入っておりコレもまた細かい部品です。

 車体パーツ。
 こちらは室内パーツの対になるようにして、屋根までを形成したパーツ。
 窓毎に分かれる車内の様子もこうして車体を眺めるとよくわかり、この時点で期待が高まります。
 車体に巻かれている白線は関西鉄道に勤務していた島安次郎が考案したもの。
 当時の我が国の識字率を考慮し、車体と切符に客車の等級を示す帯を巻いて乗客を案内しやすくしたという歴史が残っています。
 そしてJR化後になってからの所属表記などもしっかりと印刷済み。コレは期待だなぁ…

 まずは、組んでみましょうか。
 デッキ部分で苦戦するか?と思いきやかなり簡単にハマったので驚きです。
 ちなみにマークは『つばめ』でしたが、セットで購入すると『旅立ちJR西日本号』に『やまぐち号』と何種類かのマークの替えがあったようですが製品のままでいきます。
 こうして組むと、もう既に展望客車としての。最上級客車としての雰囲気が出ていますね。

 そしてこの台車。
 この台車が欲しかったのですよ。
 アーノルドカプラーの3軸台車。
 集電機構を持っているので、金属板の突起が出ています。
 この3軸台車は過去のKATO製の展望客車だとTNカプラーという特殊なモノになっていました。Nゲージの標準的なカプラー(連結器)のアーノルドで入っているのは中々見かけません。
 ココを切り落としてTNカプラーにする人も稀に居ますが、自分はそのままにします。
 この台車を両端に装着して、どちらの方向から機関車を連結しても牽引できるようにしました。
 そしてこの3軸の台車である『TR73』こそがマイテ49の特徴なのです。
 TR73と命名され、3軸車輪の台車を履くマイテ49。
 その理由には、やはり1等車として相応しい乗り心地を追求し車両から振動を逃すようにする工夫が入っています。
 3軸台車を採用したのはこうした展望車だけではなく、食堂車に1等寝台車など主に
『旅客面で特殊なサービスが必要な車両』
となっていました。
 車輪を増やしてその分に振動を逃し、乗り心地を少しでも良くするように台車で振動を分散したのです。
 現在では台車の技術も向上しこうした特殊な台車を製造する手間もなくなって。かつ乗り心地に関しては幾らでも改良できますから
『前時代の遺産』
とも言えるでしょうか。
 しかしこうした名残を残している車両とは、元号を積み重ね令和になった今では貴重なものです。
 ちなみにこの製品ではしっかりと車輪の中に空洞のある『スポーク車輪』も再現されており如何にこだわりぬいているかの労力が分ります。

 完成。
 台車を軽くポン付けで装着し、展望1等客車であるマイテ49が完成しました。
 ちなみに展望デッキ側に関してはダミー状態のカプラーを使用して連結できないようにする事も可能でしたが、自分は客車としての汎用性を重視してこちら側にも機関車を連結できるようにしました。
 台車が入ると、客車として締まった顔付きに仕上がりますね。

 反対側に関してはこのように。
 JR化後に車籍を復活させて以降はコチラ側を最後尾にして走行する事も多かった同車。
 現在では収蔵されている京都鉄道博物館でその姿を確認できます。

 そして側面に少し近寄って、所属表記を見てみます…が
『本ミハ』?
 大ミハの間違いではないかと信じたいですが…
 いやいや。買ったばかりの製品にそんな事は流石に。
 そして3軸の台車はコチラの方が綺麗に分かるでしょうか。
 通常の車両では2軸し車輪がないのに対し、コチラは3軸の車輪があります。
 そして綺麗に抜けて背景が見えるスポークの車輪も。
 かなり美しい車両ではないでしょうか?
 この車両に関しては自分も嵯峨野線沿線民なだけに『京都鉄道博物館展示車両』としての設定で欲しかったので歓喜の入線でした。
 ちなみに客車1両、パーツ買いだったのですが
 お値段なんと5,000円近く…
 かなり激痛な出費となりました。

※JR西日本の客車として復活してからの臨時列車の1つ、『旅の贈り物号』に充当されているマイテ49。
臨時列車としての活躍の他には、山口線の臨時快速列車であるSLやまぐち号の増結客車として活躍した。
*裏辺研究所より画像出典

 最後に、実車の写真を掲載して終了としましょう。
 JR西日本の車両として本線に返り咲いてからは、主にJR西日本の12系客車や14系客車などと編成を組んで走行した実績を持ちます。
 探せば京都鉄道博物館への収蔵後の写真ならある…のだが、今回は画像を拝借して掲載させて頂く事に。
 今回は車両の製作だけで終了(パーツ形成)したが、また走らせたり通電したりと様々に扱っていこうと思うところです。
 予想外の入線と棚からナントヤラな成果でした。

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