ACT.87『引き換え』
働く同期
札幌市営地下鉄で、最も格好良い…というのか、自分が最も魅了された車両は一体どれだったのか、と問われたら間違いなくこの8000形である。
車両のルックスから感じる平成感、そしていつになろうと衰える事のないモダンなデザイン。そうした面が自分を魅了させた。
そうした誘惑に勝てないから、今の自分はここにいる。新さっぽろの構内で地下鉄を撮影している。
写真は、乗車中の電車から撮影した新さっぽろ止まりの電車だ。宮の沢から一仕事終え、引き上げ線に入線して折り返す準備を開始する。
それにしても、東西線の平成チックな空気を演出する良い車両だ。もう少し本気になって撮影しておきたい。
欲望解放
なんとなく自分が京都に帰らないといけない危機感を感じながら、自分はそのまま東西線に乗車していた。
Xのアカウントで撮影地を探す。
ホームドアが設置された地下鉄という環境に関しては、SNSで多くの人がアップした先例に乗っかっていくしかない。
そして到着したのが、南郷13丁目駅だった。この駅で、綺麗にカーブを巻いて撮影する事が可能なようである。
なんとなく自分が綱渡りをしているヒヤヒヤした感覚が背筋を伝う。
「ま、苫小牧港だし良いよね…」
そう。帰りは敦賀行きの便に乗船して帰る予定だったのだ。最終的には敦賀で下船して、JRに乗車して京都へ帰郷。そうしたルートのハズが…
地下鉄の撮影。
ここにきて帰りたくなさ、未練のようなものが自分を歯軋りさせるかのように足止めさせる。
南郷13丁目で地下鉄を撮影していた。
まず最初に撮影したのは更新車の8000形である。フルカラーに更新されたLED表示器が特徴的だ。
その後、もう少しだけ待機する。
オレンジ色のLED。
そう。この車両だ。この未更新車両が撮影したかったのだ。接近メロディ、虹と雪のバラードの鳴った後にこの姿が目に入ると、ひたすらに安心した気持ちが身体を伝ったのを思い出す。
コレこそ、札幌の都市で活躍する同期の車両の姿だ。
多くの市民の足として。
JRに並行し、白石からの競合に身を投じて。そうした中で揉まれている同級生の活躍を、ただただ撮影して魅了されているばかりであった。
札幌市営地下鉄8000形…に関して少しだけ触れておこう。
札幌市営地下鉄8000形は、平成11年に登場した東西線向けの車両である。
車両は南北線と異なり、架空線方式の直流1500Vを採用している。その為、屋根上には電気を給電する為のパンタグラフが設置されている。
編成は7両編成を組成し、案内軌道を挟むゴムタイヤ方式で走行している。
ゴムタイヤで走行する方式は、開業時のパリの地下鉄を参考にしたのだが、札幌市営地下鉄では案内軌条を挟むタイプの独自の方式を開発して採用し世界では『札幌方式』とも呼ばれている。
VVVFインバータ制御を採用し、70kwの主電動機を搭載した。
加速度は3.5キロと南北線の車両よりは少し劣ってしまうものの、それでも全国の地下鉄と比較すると充分に高加速なスタートダッシュを決める事が可能である。
そして、この8000形の特徴としてATO運転の採用…の他に、車両を自動回送で車庫から出庫させるシステムが搭載されている。
実際に車両内にも『自動回送』の表示が内蔵されており、ひばりヶ丘の車両基地を出庫して営業に向かう際には表示をしているのだとか。
しかし、滞在中に未更新の8000形を撮影する事が出来たのは非常に良い成果であった。これで登場時に近い姿…が記録できたので少々の安心である。
そのままもう1枚、同じ構図から撮影して宮の沢方面の電車を記録。
ホームドアがない時期にはもう少し撮影難易度が低い鉄道だったのだろうが、安全対策には敵わず記録は少し不十分になってしまったというところか。
しかし、表示が更新されても平成らしさの残る車両の撮影は非常に楽しいものである。
「もうあと2日居れたらなぁ…」
そんな呑気な考えを垂れ流しつつ、地下鉄に向き合う。
「ま、苫小牧なんて間に合えば良いさ」
もう既に楽観思想になっていたが、コレが巨大な落とし穴を作ってしまう。
一応。
コレが札幌市営地下鉄8000形の全景?に近い、顔の写真である。
本当なら登場時の姿に近いオレンジLEDの姿で記録したかったのだが、咄嗟に撮影したのは更新車であった。なんとなく残念だが…。
この記録内では、8000形が漂わせる丸みと曲線の美、残る平成らしさが伝われば非常に嬉しいところである。
本当にホームドアさえなかったら、もう少し記録の幅も広がったろうが。市民の生活には代えられないなぁ…
さくら色の新鋭
新さっぽろまで地下鉄に乗車してそのまま引き返し、千歳まで乗車する。
乗車したのは新千歳空港に向かう列車だったので、乗り換える必要があったのだ。
千歳での乗り換え待ちに撮影したのが、この737系。室蘭本線での運用がメインな状態であったが、何故か撮影した時は夜間の限定運用としてだったのか札幌行きになっていた。737系の功績は非常に大きく、室蘭本線での気動車による運用を電車に置き換えた。今後は更に大きな道内進出を図り、721系の一部置換えにも着手する見込みとされている。
731系・733系・735系と見られた高運転台・くの字傾斜スタイルの車両が北海道の通勤電車に続いた中、737系で誕生した低運転台・ブラックフェイスの直線的なスタイルは大きな変革の印象を受けたのであった。
最初の方の連載でも(半年くらい遡るのでかなり前になってしまうが)、737系に遭遇し軽い感想などを綴っている…が、改めてこの電車に遭遇した感想を残すとなるとやはり『欧州』らしさが見える。
車体は735系にて試験的に採用(?)されていたアルミダブルスキン構造を使用し、側面は『さくら色』にしつつ、前面ではH100形を彷彿させるブラックフェイスを採用。そしてJR北海道コーポレートカラーである黄緑を織り交ぜて警戒色の黄色と組み合わせた。
前頭部の構造には衝突対策のクラッシャブルゾーンが設けられ、低運転台にしつつも安全性に配慮した構造となった。
この737系に関しては、車両の所々を観察しているとH100形の要素を感じるものの一部にて北海道の標準的な電車として成長した733系の要素を多く残している。
前面の前照灯を中心とした灯火類は733系由来の位置に配置し、低運転台に変更されたもののしっかりとそのエッセンスを引き継いだ。
前面の行き先表示に関してはフルカラーLEDを採用した。このフルカラーLEDに関しては非常に彩度の高いイメージが残る。
そして、屋根上に搭載されているのはホイッスル状の警笛になるのだろうか。
前照灯が全て点灯した737系の前面。
何処となくH100形要素を残しつつも、電車の新時代を到来させる新たなフェイスが確立された。
闇夜の千歳駅を近未来的な甲高いSiC-VVVFインバータ制御のサウンドで加速し、現代の鉄道車両を見て感じさせる静粛性を遺憾なく発揮していた。
そして、この737系では(見えるだろうか)スノープラウの構造も従来の電車たちで採用していたものから変更し、雪を抱える量を調整した格好になったのであった。
今回は撮影だけに留まったが、次回は是非とも活躍しているであろう室蘭本線・函館本線に向かい乗車してみたいものである。
外から見た感想では、車内に余裕があるように見えた。車両を2枚扉に設計し、車内に堂々と広がっているロングシートは非常に壮観であった、
JR北海道初のワンマン運転対応電車…とあって、その活躍は次回訪問時にじっくりと観察したいものである。
相違
そのまま千歳で乗り換えて苫小牧に向かった。苫小牧港からフェリーに乗船して北海道を離脱する事に『一応』はなっていたので行く事にだけ…はした。
だが、今思うとこの時、駄々っ子のような気持ちというのだろうか。旅人の残りたい気持ちというものが脳の中から発信されたのだろうか。完全に
『帰りたい』
という明確な気持ちは持っていなかったような気がする。あくまでもだが。
フェリーの予約をこの日にしていたので、そのまま向かう事にした。
苫小牧で下車し、タクシーの待つロータリーに向かった。駅は既に旅客営業を終了したのかあとは終電や札幌都心からやってきた列車たちを迎えるのみとなった。
ロータリーに向かい、タクシーを見つける。
「苫小牧港に行ってフェリーに乗船したいのですが…」
「フェリーのだよね?もうこの時間だと間に合わないんじゃないかな?」
「あ、そうでしたか…じ、じゃあもう大丈夫です…」
タクシーの乗車を断り、深夜に1人になった状態を改めて確認し見回す。
内容を飲み込み。再び携帯のマップを開いたが、えげつない距離で駅からの距離がある。
一応、苫小牧からであれば日高本線・浜厚真あたりまで乗車すれば徒歩での移動も可能…ではあったものの、野生動物(しかもヒグマ)の出現も確認されている場所を歩いて移動する事になるので絶対にオススメしないとの事であった。
困り果てた。まさか苫小牧港がここまで遠かったとは。一応電話をフェリー会社に入れ。キャンセル返金で了承し目の前の景色を撮影する。
この旅で何回その姿を見たろう。室蘭本線から失脚し、営業運転を追われたキハ143系である。
ヤードを埋め尽くし、次の仕事を待っている…ようにも見えたし、廃車回送で介錯を待つような姿にも見えた。
ある意味、勘違いも甚だしかった。『苫小牧港』とあるのだから、実際に苫小牧から歩いてでも向かえるのかと思ったら大違いであった。
全く、この大地は広すぎる…
かくして、どうしようかと苫小牧の駅周辺を探り歩く。
「宿ないしなぁ…完全に予約してないんだが…」
最初は駅付近のドン・キホーテに入店し、何か食料を探そうかと思った。が、そうした気力も出なかった。
一応、タクシー運転手と話し合った辺りでは
「やっぱ帰ろうかなぁ」
の気持ちが自分を動かそうとしていたのか、海に向かって歩き出そうとしたものの
「なんか違うなぁ」
と思って引き返し。再び駅に戻った。
そして、駅の近くにあったドン・キホーテに入店した辺りでもう既に
「明日はどうしよっかねぇ」
と気持ちが早々に入れ替わった。あとは自分の滞在場所だけである。
札幌市内で遊び呆けるか、それとももう少しだけ電車で何処かに向かおうかと。考えをこねくり回しつつ、キハ143系の写真撮影にひたすら向き合っていた。
「いや、もう側面だけ見たら50系にしか見えんやろ…」
街頭に照らされし客車時代の名残漂う側面窓を見て、思うところを考えるばかりであった。
救済、感謝
自分が苫小牧に取り残された状態を親が知った。
それも、自分が連絡したわけではなく自分が北海道を離れる前にサブ端末の電源を切り忘れた事によって情報が漏れ、母親が
「フェリー乗れへんかったん?」
と連絡をくれた。
その先、少しだけの電話。取り敢えずホテルでも探してそこに寝ときなさい…の言葉で落ち着いた。北海道滞在、延長が決定した瞬間であった。
いつものような返事で素っ気ない…というか、罪を思うような対応をしたが、それでも自分の旅のわがままを聞いてくれる親には感謝をするしかない。
結局、無理矢理終電後に50系客車のような面影を探して無意識の撮影に勤しむ事になったのである。
当時は令和5年の夏であったので、まだ苫小牧の留置線にはキハ143系が大量にあぶれていた。側面は
長らくの風雪に北海道の自然にとボロボロに戦った姿を晒しており、さながら満身創痍といった状態を見せていた。客車時代は短かった50系列の客車であったが、活用が見出された客車たちはこうして再就職をする事が出来たのであった。
現在。この苫小牧に滞在していたキハ143系は釧路に移動した。釧路で一体どうした活用法が見出されるか、注目である。
もう少しだけ苫小牧駅の脇にあった線路を歩いていく。
見えたのは現在のJR北海道非電化区間の主役として活躍しているH100形だ。
闇夜の中を電球に照らされ、側面・前面の銀色が輝いている。
何かとこの時間に知らない街を歩いているのは、ある意味で探検のようにも感じるし不安さを残して出口を探すようでもある。時間は既に終電後、車も列車もほとんど通らない。
道中では重々しく感じさせられたH100形も、こうして夜中の運転所で見かけると何か頼もしさのようなものを感じる。
写真は運転所を張り巡らせている柵から屈んで撮影したので。乱入などで撮影した訳ではない。そこだけはご理解いただきたい。
側面が妖しく光り輝く。
既に宿はなくて心の中の何処かでは出口を探すような。そして取り残された不安感を手探りで追いかけているような中、この記録は一筋の光として自分を包み込んだような気持ちにさせられた。滞在期間中、まさかのこうして撮影した記録が指折りな良い仕上がりになるとは想像もしなかったろうが。
その後も運転所周辺を歩いていく。
現在の主力であるH100形の後方、角張った車両はキハ150形だ。続いて、キハ40形が連なっている。
気動車ばかり、そしてその気動車も近郊形ばかりであったものの苫小牧の深夜散策は数を稼ぐに充分すぎる時間であった。仕上がり、ブレなどを気にしなければ個人的にはこの滞在というかブラブラ目的もなしに良かったと感じた場所でただ構えるだけの時間が相当効いていたりするのだった。
それにしても、こうして3つ並んでいるとそれぞれの車両の差異が…というかデザインがよくわかる。夜中でどうしても見えにくいのだけど。
眠らぬ苫小牧
運転所を散歩するようにカメラ片手に歩いていると、途中に室蘭本線を跨ぐようにして踏切があった。
自分が遭遇した時間は深夜であったが、まだ警報器は貨物列車の通貨という形で稼働しており、踏切待ちにDF200形ディーゼル機関車が通過する様子をカメラに収めようとした…のだが失敗した。無難に動画で撮影した方が良かったのかもしれない。
旅客の営業は終了しても、貨物列車は昼夜問わず北海道の鉄路を走行しているのであった。寝台特急たちも本州から渡道しなくなった分、最後の鉄道全盛期を感じさせてくれる懸命な走りであった。
そうして室蘭本線を跨ぐ踏切を渡り、更に運転所を見て歩く。
闇夜の中、構内の電灯に照らされている車両がいた。キハ40形である。道内の気動車内では最古参格の車両であり、こちらはキハ143系と異なりまだ活躍の場所がある。
キハ40形は順次引退が発表されたが、まだそれでも活躍の灯を見せてくれている。
自分が訪問した際の苫小牧、そして道内の各地でももう少しだけ元気な姿を見せていたのであった。
実際は乗車していないので、こうして写真だけを撮影するのみに留まったのだがまだまだ宵の中、電灯の光を浴びて翌日を待つ姿は頼もしさを感じるのであった。
奥に停車している車両は、キハ150形だ。
全体的に角張っている如何にも『長方形』といった感じが、この車両の特徴である。
撮影しているアングルが偶々、様々なモノを併せての撮影が可能だったので運転所の建屋や電灯などを併せて撮影してみた。
三脚などは当然持ち合わせていないので、半ば息を殺しながらカメラを構える事になるのだが。
それでもこうして夜景が撮影出来るのは何かと現代の機材の賜物のようなモノを感じられる。きっと拡大して眺めたら最悪なのだろうけど。
フィルムの時代にバルブでもしていれば、どれだけの時間をこの場所で使ったのだろう。今を思うと、そうした事を考えてしまうのだが。
と、この辺りで流石に熱中した撮影を終了し周辺のルートイン・ドーミーインに電話を入れた。(夜分遅く申し訳ない)
と、ルートインの方で空室が1部屋あるとの返事が来た。
取り敢えず、今夜は(遅すぎ)この苫小牧の町で延長戦を待機する事になったのであった。