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ACT.74『再び、分岐点へ』

列車待ちにて

 石北本線の線路温度上昇により、列車は正常な運用をできない状態でいた。
 乗車予定の特急•大雪4号も大幅な遅延となり、北見駅ではどんより重い空気が立ち込めていた。
 その中で…というのは、待合室のテレビを鑑賞したり(鑑賞というほどの内容でもなくニュースなのだが)、駅構内のセブンイレブンに向かったりと駅構内をぼんやり周回して暇つぶしをしていた。セブンイレブンではJR北海道土産に関して販売も実施しており、購入を迷って何回も商品を見つめ思念したものの、結局購入には至らなかった。待合室で待機している際、おにぎり屋で購入した巨大おにぎりの熱さが身体に強く伝わってきた。膝辺りが蒸れるというのか、熱気を帯びている。

撮影待機

 北見駅構内で列車を撮影した戦果を掲載しよう。
 しばらくすると網走方面から列車のエンジンサウンドが聞こえてきた。振り返ったところ、北海道の大御所的車両。キハ40形であった。今回の旅では再三記しているがこのキハ40形。撮影に遭遇しか出来なかった。北海道の鉄道旅といえばキハ40形…にも数えられる、乗り鉄にも名車なこの車両だが自分の場合は撮影のみで終了してしまった。非常に惜しいところだ。

 北見駅を出て市内を歩きに行く前に見たキハ40形は、国鉄時代の伝統である朱色基調を纏った通称…首都圏色の復刻車両であったが、次に入線してきたのは白基調に会社のカラーリングである黄緑の帯を装着し青のアクセントを敷いたJR北海道色のキハ40形であった。この塗装がJR北海道の標準的な普通気動車の塗装であり、復刻・観光車転用・ステンレスのキハ54形以外には全てこの塗装を採用している。
 自分の中ではこの塗装のキハ40形に再開したのは何日か前の室蘭本線。岩見沢に停車中の姿を撮影していた。また、旅の開始時には函館本線の長万部でも遭遇した。名実ともに、JR北海道の標準色としての佇まいを見せている。

 列車は網走から遠軽まで。石北本線を半分ほど疾走するようだ。
 サボに記された列車情報の文字に、小さな国鉄時代を想起してしまう。首都圏色との組み合わせを楽しむのも一興だが、やはり地域の色とサボの組合せはその土地に旅へ出た実感を感じられるのでまた捨てられない共演である。
 この北見では待避線に入線した。
 という事は、この場所で特急•大雪に追い抜かれる形となるのだろうか。線路温度に異常を観測している中であったので、この列車もここで小休止を兼ねての運転見合わせになるようだった。
 何度も記しているように…?だが、JR北海道では令和7年度末でのキハ40形の引退を宣告している。こうした国鉄のノスタルジアな旅を感じ。北海道の息吹を古風な車両から感じられるのもあと僅かになるであろう。
 しかし、綺麗なキハ40形だ。検査を出て間もないのだろうか。非常に艶々している車両だったのが、写真を見てもすぐに思い出される。

 列車は、ここまでキハ54形を後方にぶら下げて走行していたようだ。
 列車後方部に回ると、ステンレスの角張った車両が姿を見せていた。
 キハ40形の丸っこい…というのだろうか丸さのある車両に対して、キハ54形は何処か角を感じさせ輪郭のハッキリした車両であるように思う。何かゴツゴツしている中にも、ピシッと一筋の角張ったラインが立っているのはこの形式ならではのアイデンティティだろう。
 非常に鑑賞ポイントがニッチになりそうだが。この車両。車両左下部のタイフォンの撤去跡が非常に見ていて素晴らしい。この中に車両の個性を感じ、ステンレスの冷たい印象からゴツゴツしたロボットのような印象を感じる。
 その他、キハ40形と同じくなジャンパ栓もまた見ものだ。国鉄形気動車の楽しみは尽きる事がない。

小さな想起を

 ここまで網走から走破してきたキハ40形+キハ54形のペアは、連結している互いを解放する作業に入った。この駅でキハ54形を解放して、キハ40形単独で遠軽に向かうようである。
 係員が列車に向かい、列車の解放作業が開始された。車両に関しては互いが既にJR北海道のイメージが残る姿だが、こうして解放作業を見ているだけでも国鉄時代の一途を見ているような気分にさせられる。やはり場所は大事だ。
 北見駅だからこそ感じるのかもしれない。石北本線は、何処か時代に置かれた国鉄時代を感じる路線だ。

 解放作業は進行していく。作業は列車の互いの道を確保していた貫通路を解放する為、幌の解除に動き出した。乗り込んだ係員が、幌をキハ40形に押し込んでいる。渡り板に乗りつつも、しっかり巧みな作業。撮影時には気づかなかったが、こうしてじっくり眺めていると鉄道員のテキパキした仕事魂を感じる。
 没頭して記録に打ち込んでいる状態だと気がつかないものだ。

 幌は完全にキハ40形に押し戻され、あとは連結器を解放するのみの状態となった。
 作業員は、乗り込んだ側の車両であるキハ54形の渡り板に足を掛け、巧みな車両間移動をしている。テキパキと車両間を接続していたジャンパ栓や幌が列車同士の接続から解放されていき、列車はどんどん身軽な状態になっていく。
 しかしこうして見ていると、互いの車両が持っている質感をじっくりと感じられるものだ。ゴツゴツした車両の配線部は、しっかりと屈んで撮影しなければ着目しない部分になる。

 鉄道ファンは、こうした現場の表記が身近にある部分に魅了されていくのだ。
 ホームで目線を落として撮影していると、柱に
『4673D 停車位置』
と記されている。
 真相に関しては全く知らないのだが、この列車だけ特殊な作業をこの北見で実施するのだろうか。駅員の近くにあるところにこうした表記や作業内容の指示、または業務用の時刻表が近い環境だとファンなりに様々な事を考えてしまう。
「こうなっているのだろうか…」
「こうした作業が展開されていくのだろうか…」
そうした時間に自分の想像を当てていく時間は、非常に楽しいものだ。

 完全に互いの解放準備は終盤まで差し掛かっており、残すところは完全に列車の切り離し作業というところまでやってきた。
 キハ54形の方に関しては乗務員扉を解放している状態で、自由に立入ができそうな状態になっている。
 まだ、連結器で互いの編成間は接続された状態になっており、これで終了したわけではない。
 それにしても、中々面白い作業風景に出くわしてしまった。国鉄時代の面影を残している駅の中で、国鉄車両同士の編成開放の瞬間が撮影できるとは。まさかの運に自分も驚きを感じてしまうばかりである。

 人がいなかったので、階段に上がってそのまま撮影する。
 キハ40形には既に尾灯…ランプが点灯した状態になっており、もう残すところは完全に互いを切り離すのみになっているようだ。
 ちなみに写真撮影時にはフィルムカメラのようになるフィルターを介して撮影している為、意図的にこうしてボヤけた写真の撮影が可能となっている。
 国鉄時代独特、古くなったレールの再利用で構成された国鉄時代の伝統。国鉄時代を想起させるような駅の中で淡々と作業が実施されている様は、撮影していて実に気持ちよさというのかカメラを向ける事に飽きない時間であった。
 ここで共に歩んできたキハ54形を解放する。
 少し、キハ40形にとっては身軽な旅路になっていくのだろうか。

 そのまま、階段を上がって反対のホームに移動した。
 既に互いの連結器は切り離され、ここまでペアを組んだ列車は身軽な状態に早変わりした。
 作業員は線路に降り、ここまで連結したキハ54形のジャンパ栓類を片付けている。
 夏の影の中に浮かび上がるシルエットがなんとも美しい記録だ。
 駅員のシルエット。キハ54形の角張ったその容姿。特徴的な寒冷地に向けたホイッスルも、逆光の日差しの中で輝いている。
 地平のまさに『日本伝統のターミナル駅』のようなこの場所で、国鉄時代にモノを思うような作業風景が撮影できたのは、何か幸運な出来事だったような気がして仕方ない。
 そしてこの駅員・列車がシルエット状態になったこの記録が個人的には最も気に入っている写真だ。列車の解放作業で国鉄時代らしさと鉄道員の巧みな仕事を眺め、カメラ内が少しだけ潤ったのであった。

まだあるぞ!北海道夜通しの旅路

 北海道は、高速バス網も発展している事で非常に有名だ。道路も鉄道に負けず劣らずの状態を取っており、各種主要なJR路線との競合を繰り広げては商売の活気を見せている。
 さて。石北本線沿いの高速バスは非常に面白い。
 時刻表を見ていると、写真の高速バスの時刻表に『夜行便』の表記があるのを発見した。
 写真は北見駅のロータリー(路線バスの発着する場所ではない)から発車し、札幌に向かう高速バスの後ろ姿だ。
 北見では、現代の北海道では数の少なくなった夜行高速バスを運転している。北見市内を23時台に出発し、札幌に向かい夜通しの走行を見せる。
 札幌は札幌駅前・大通・すすきのに翌朝の5時30分以降に到着し、北海道夜の交通手段として現在は少なくなった北海道夜行の顔を見せている。
 その走る姿は正に、急行列車として国鉄時代の北海道を特急昇格までしっかりと支え続けた『大雪』のような姿を思わせる。
 かつては根室本線に向かって夜行列車は『狩勝』。宗谷本線に向かって『利尻』。そしてこの石北本線の『大雪』があったが、北海道の夜行列車衰退の歴史には勝てず。そして高速バスの発展や特急への愛称昇格などで姿を消していったのだが、鉄道もバスも含めて北海道では夜行の交通手段そのものが減ったように感じる。特に鉄道は夜行の列車そのものが平成28年廃止の『はまなす』を持って完全に消滅してしまった。
 また機会があるときに、この石北夜行を想起さす夜通し走行のバスに乗車してあの時に思いを寄せる旅をしてみようか。
 時刻表の『夜行便』の文字を眺め、そうした思いも高まってくるのであった。

昇格列車の旅路

 かつて、石北本線の『大雪』という列車は先ほどの記しにもあるように『夜行急行』として客車で運用されていた。その運用は近代まで続き、客車もJR北海道色のDD51形ディーゼル機関車+14系客車…で運転されたように、JR化後もその仕事は続いたものだ。
 しかし、現在。石北本線に於ける『大雪』の列車名は特急列車に昇格し、石北本線を網走から旭川まで走破する仕事に変化した。現代の走行距離は、急行時代の夜行仕事には到底及ばない短距離になってしまったのではないだろうか。これでも旭川まではかなりの時間を要してしまうのだが。
 さて。写真は駅構内に入っての撮影。
 列車の到着見込みが立ってから、ホームには改札を終えた人が続々と入ってきた。線路温度上昇の影響をそのまま背負っての走行で、まだ列車の力は本調子ではないようだ。
 写真は、網走からの仕事を解放されたキハ54形と既に単行で入線したキハ54形。両形式の紡ぎ出す一瞬の休息の時間を捉えた。

「1番線、列車にご注意ください…1番線には遅れております旭川方面への特別急行・大雪4号が到着します…本日は線路温度上昇による遅れでお客様にはご迷惑をお掛けした事を…」
駅員の案内で、キハ283系の青い高運転台のボディがホームに滑り込んでくる。ようやく、この北見を離れる事になった。
 滞在時間が予定より長くなった北見市だったが、非常に自分らしい時間を過ごせたのではないかと思う。
 ちなみに。この時は出張で渡道していたのか、珍しそうに撮影するスーツ姿の乗客もいた。列車は轟音を唸らせ、申し訳なさそうにホームにその姿を横たえた。
 夏の燦々麗かな日差しの美しい中、列車は重たそうにホームに入線してくる。どうも辛そうな走りだ。

 重そうなエンジン音を唸らせ、キハ283系は北見駅の改札寄り…1番線にその車体を据え付けた。
 列車に乗客が出入りする。
 未だこのキハ283系には、石勝線で圧倒的なその走りを見せつけ活躍していた特急/おおぞらの姿。タンチョウヅルが縦長のトレインマーク内で舞い踊るスーパーおおぞらの姿が未だ脳裏を描き殴るのだが、既にこの車両の思い足取りを見た時。その時代はとうに前に置かれたのだと何かを悟った。
 北見駅での撮影は少し早めに切り上げ、編成区画内で少ない自由席車に乗車する。
 使用している道内フリーでは指定席の指定を6回受ける事が可能な破格の切符なのだが、こうした指定席率の多い列車で指定して元を取っておけば良かった。完全に後のナントヤラ、だ。
 列車に乗り込む。駅員の発車の指示を待機して、列車が走り出すのを待った。

再び、常紋へ

 列車は快調…とは言えぬゆっくりした走りで、石北本線に挑んでいく。
 床下からのエンジンが唸るサウンドも、炎天下の北の大地では非力な状況に追われているのか萎んだ
『ゴゴゴゴゴゴ…』
という頼りない音を出して走るのみであった。
 車内放送が聞こえる。
「そういやこのキハ283系の大橋放送だけ、やたら暗いんだよなぁ…」
北見に向かった時の感覚が、再び自分を支配した。車窓の照り付ける状況とは裏腹な列車の案内を聞きながら、自分は石北本線を列車に任せて常紋峠に向かって駆け抜けていった。

 列車は北見を出てすぐ、留辺蘂に到着した。
 留辺蘂の駅から見える範囲には、黒貨車を活用した倉庫が見える。形式は不明なのだが、今度はじっくりと下車してその姿を拝みたいばかりである。
 この留辺蘂の付近にも、保存車両が存在しているようだ。またこの石北本線の乗車が楽しみな車窓。そして新たな宿題を植えて旭川に向かっていくのだった。
 車窓は相変わらず夏の日差しが照らす、燦々とした陽気だ。ここまで綺麗な日差しをこの旅路で浴びられるとなると、もうすっかり旅の日和である。
 ここまで正直惑わされる事になるとは思わなかったが、何度も記しているように北海道上陸以降最も素晴らしい天気である。

 列車の走りは、線路温度上昇の影響を受けつつ。そして石北本線に立ちはだかる自然の影響を受けつつといった具合なのか、そこまで速度を上げての走行ではなかった。
 行きのキハ283系とは全く異なった走りである。相変わらずエンジンのサウンドは
『ゴォォォォォぉ・・・』
と揺さぶられるような。そしてまた何かを制限されているような。走りには少し持て余し気味な状態の走りであった。
 かつての石勝線での全盛期。タンチョウヅルを前面に翳して走行していたあの時期と比較すると、列車の走りには何か封印された栄光のようなモノを感じて仕方がない。
 常紋峠での厳しい自然がそれを阻むのか。車両を蝕む経年が影響しているのか。
 もう少し前の世代に乗車して、そこからキハ283系の走りを体感するとまた違った想いになったのだろうか。

※石北本線は、令和初期まで。国鉄車による特急運行が実施されていた路線であった。写真のキハ183系による特急『オホーツク・大雪』は最後の仕事であり、ハイデッカーグリーン車など多数存在したキハ183系の終焉を飾る運用だったのである。
 運用最終年には写真の塗装も復活し、鉄道ファンから大きな話題を呼んでいたのであった。現在は海外に譲渡され、アフリカでの第2の活躍への道筋が通されている。
(※交友社雑誌・鉄道ファン付録カレンダーより)

 かつて…という程の年数も経過していないのだが、少し前まで石北本線の特急列車は写真のキハ183系によって運転されていた。
 写真の塗装は石勝線の特急運転に伴って新車として登場した姿なのだが、晩年…に関しては車両の塗装も白を基調に紫の要素を追加し、緑のラインを車体側面に一閃引いた。そして車両側面(運転台付近)に『HEAT183』のロゴを差し込んでJR北海道の一員として活躍した。
 石北本線での特急『オホーツク・大雪』から引退したのは令和に入って間もない時期になるのだが、この車両が常紋峠に果敢に挑んだ功績。そして、網走から札幌都心まで伸びる長距離を走行し国鉄時代晩年の『地域に適合した車両』としてのスペックを万全に示した事は、誰もの脳裏に刻まれている事だろう。
 叶うのであれば、この車両で石北本線の険しい自然環境に挑んでみたかったのだが、車両に関しては完全引退し現在は海外譲渡として地球の反対側・コンゴ共和国へ譲渡されてしまった。
 現在、その栄光のバトンを引き継いだキハ283系…であるが、石勝線の激務を忘れるくらいの大活躍に期待したい。新たな常紋峠の仲間として、今後の活躍に大きな期待がかかる。

 再び、キハ283系。特急『大雪』の車内。
 キハ283系は、とりわけ大きなJR初期の内装を大きく残した車両としての印象がある。
 その証拠…ではないのだが、車内でのドア引き込まれ対策を案内した警告のステッカー。
 JR初期らしさ。国鉄らしさを残したJR北海道の駅でもこのキャラクターを発見したのだが、名前が判明しない。一体何なのだろう。
 列車は、遠軽に向かって厳しい自然に立ち向かっていく。石北本線の長い長い道のりを、バブル時代の置き土産のような車両でゆったり旅するのであった…。

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