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ACT.120『上昇軌道』
駅と歴史
赤備えに身を包んだ2300系の2両編成が橋本に下山していった。
列車の居なくなった荘厳な空気の無人駅は、いかにも寂しい。
かつてこの駅を拠点に高野線山岳区間が発展した時期は、多くの乗客や集落の住民で賑わい鉄道は1つの拠点になったのだろう。
そんな威容も、今は盛衰の歴史として時代の1片に組み込まれ久しい。
自然の織成す澄み切った空気が、自分の中に刻まれている四季の感覚を呼び覚ます。
そうだ、今は秋を控えた夏の境目かぁ…
少し、この時間を利用して高野線山岳区間に関する簡易的な軌跡を少しだけ見ておこう。
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高野下駅の駅舎は、大正14年に建築された。
以降、高野線の山岳区間の要衝としてこの地に君臨している。
周辺は自然が囲み彩り、四季の移ろいを感じる事の出来る山深い駅だ。
さて、そんな高野下の駅舎を添えて沿革を見ていこう。
高野山に鉄道が開通したのは、昭和3年である。
この年には南海高野線の橋本〜高野下が直流1500Vに昇圧した年でもあり、高野山側では鉄道が極楽橋〜紀伊神谷まで開通した。
会社のルーツでは大正14年の高野山電気鉄道がルーツと言えよう。後にこの会社を軸にして、現在の南海電鉄の成立に繋がっていく。
同じ年の7月。先行開業していた橋本〜学文路(かむろ)の延伸開業によって高野下までの鉄路が築かれる。
大正14年。翌年には高野山電気鉄道が設立される。後に南海電鉄の基礎となる会社の1つであり、昭和の時代に入って会社合併の中に取り込まれてしまうが当時の高野山への参詣輸送には大きく貢献した鉄道である。
その年の7月には、九度山から高野下までの区間が延伸開業した。
昭和3年。遂に山岳の急勾配に敷設された鉄道が極楽橋の手前である紀伊神谷に到達した。
同時に、橋本から高野下までの区間は直流1500Vでの営業が開始され、現在の集電方式の基礎がこの時点から形成されている。
昭和4年。高野山電気鉄道は紀伊神谷から極楽橋までの鉄路を延伸開業させ、現在の鉄道区間の全てが完成した。
この先は鋼索線(ケーブルカー)に継承されて高野山に到達するのだがこの話は省略しておこう。
現在は無人ホテルとなったこの駅舎は、かつての鉄道全盛期を今に伝承している建築物として、今日もどっしりと構えている。
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秘境を目指して
ここから再び、列車に乗車して引き続き極楽橋方面への登山に挑む。
やってきたのは2300系の4両編成だ。
南海らしくない…と最初は直感的に思うこのスタイルも、何度か乗車と降車を橋本より先で繰り返すにあたって見慣れた車両となり、気が付けば安堵の気持ちさえ混ざっている。
特徴的なシングルアームの細いパンタグラフを翳してトンネルを貫く。
足取りを慎重に、急勾配の本格的な入り口となる高野下の駅に入線した。
ここまでの学文路・九度山での区間はたったの序章に過ぎない。
鉄道にとっての酷な区間は、ここからが本格的な開始点となり襲いかかってくるのである。
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ドアが開き、2300系に乗り込む。
車内は1:2のクロスシート配列だ。
先ほどの橋本に下山して行った2300系で見送った車内に、今度は腰をかけ世話になる。
繁忙期、外国人ブームへの備えとして2両編成を併結した4両編成になっているこの乗車中、2300系だが車内の乗客は決して多くない。
少し特異な点、高野山への観光が流行していると感じる瞬間といえば、疎に着席する乗客の中に大柄な西洋・欧米の乗客が着席している事だろうか。
ただでさえ小柄に設計されている日本の鉄道。そしてそんな鉄道を更に更に小さくしたこの南海高野線・17m級車体は海外の訪日客にどのような印象を与えているのだろうか。気になるところである。
そんな少し異空間な状態の2300系はレールと車輪の擦れゆく金属の音を響かせて山に挑んでいく。
ここからが50‰が牙を向く本当に険しい区間の始まりだ。
車内に響く金属の金切り音もそうだが、緑に囲まれた車窓を見た瞬間にこの鉄道の険しさを本当に強く感じる。
写真は一瞬、開けた様子を記録したものだが切間が見えたのも束の間、スグに木々の生い茂る区間に飛び込んでしまう。
カーブを右に左に描いて、慎重に列車は走行していくのだった。
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擦れて今にも削れていきそうな車輪とレールの金属音を響かせながら、乗車中の2300系は極楽橋への足を進めていく。
写真は、そんな高野線山岳区間への厳しさが伝わるそんな1枚だ。
乗車したのは、4両編成で組成された列車のうち3両目。
しかしそれでもしっかりと前方の2両の姿が確認でき、この急曲線の恐ろしさを知った。
そして同時に。
このあまりにも急な山岳曲線と都心部の平坦線を高速で駆け抜ける運転を両立する事を『大運転』と呼称した南海の運転士・職員たちにはあまりにも
「言い当て妙だな」
との関心をするばかりである。
明治の時代。大正の時代から真言宗の聖地へと向かい幾重にも重なる世代へと伝承していった先人たちには、改めて敬意を表するばかりである。
『キィぃぃっ…クォぉぉん…』
甲高い車輪が擦れゆく音が、耳へ消えていく。
聴覚にこだまする山の厳しさ、山の壮絶さを受けて列車はゆっくり歩みを進めていくのであった。
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途中、列車は単線であるが為橋本方面に下山していく列車との行き違いを実施する。
大きな窓同士が対面し、山へ向かう者と山から街に下る者が挨拶を交わし労う姿は、この区間でしか遭遇できない味である。
対向の2000系は静かに唸りを上げる加速音を奏で、橋本へと怪しげな音を響かせて消えていった。
車内は閑散としているのだが、しかし何処となく家路へ向かう人たちの空気を感じる。
上古沢・下古沢と難所を乗り越え、下車した先はあと少しで極楽橋という所にある小さな集落のような場所であった。
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大阪から1番近い秘境
高野下から列車に乗車し、下車したのは極楽橋まであとひと息という場所に位置している駅。
紀伊神谷、である。
この紀伊神谷こそ、南海電車の多くの駅の中で最も乗降客数の少ないワーストの駅である。
そして同時に、アクセスルートが夜遅くまで確保されておりその概要は
『大阪から最も近い秘境駅』
との呼び声もある。
列車の時間は21時まで確保されている。
ただ、こんな駄々っ広い駅に列車が入ってそのまま消えていくだけの駅に下車しても、夜はひたすら恐怖しか感じないのが真っ当な感想ではないだろうか。
そんな置き文句は脇に下ろしまして。
下車したこの紀伊神谷では、列車の行き違いが最後に実施されている。
ここで行き違いをし、最後の歩みに向かって極楽橋行きの各停は足を進めていくのだ。
同時に、この駅ではなんば〜極楽橋までの参詣輸送に従事している特急『こうや』の行き違いも実施されている。
時間が良ければ、この駅で花形車両である30000系の行き違う姿が撮影できたのだが…
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下車したのは左側のホーム。
そして橋本へ下山する列車が停車しているのが、右側のホーム。
写真の中。電車の下部をご覧いただきたい。
ホームと電車の隙間が異様に開いているのがわかるだろうか。
この開き方、歩幅が小さい人や高齢の乗客には冗談ではない恐怖を植え付けてくるトラウマのようなもので、自分は思わず下車する瞬間に
「うっわ、なんやコレはぁ…っ!!」
と声に出そうなリアクションを脳裏に抱えてこの秘境に降り立った。
胃の内が竦むような感覚。内臓が縮むような恐怖を身体に微弱電流のように走らせて駅を見渡す。
秘境との呼び声が非常に高いだけあって、周囲は自然に囲まれている。
生い茂る森の他には何があるのだろう、と到達の果てしなさに耽るには十分な光景がそこには広がっていた。
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高野線山岳区間の主役として、聖地への案内人としての活躍に従事する2つの車両。
こうして見ると、銀の映える2000系と赤を引き立てし2300系の差異がよく分かるのではないかと思う。
もう少し観察してみると、屋根では大きな差異がある。2000系は連続空調なのに対して2300系は分割された空調になっているのだ。
曲線の中に停車し、4両編成ですら前が抜けない環境の駅とあって運転士・車掌の安全確認は入念に実施されている。
安全確認を終え、互いが目的地にそれぞれ進んでいく。
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扉を閉めて、互いの列車が歩み出す。
2000系の重く怪しげな加速音。
2300系の現代的であり個性の1つにも数えられる高めの加速音。
互いが山中の秘境駅にこだまし、紀伊神谷の駅構内の静寂が打ち破られた。
素晴らしい互いのモーターサウンドの共鳴が終わったところで、再び駅は静寂の空気に飲み込まれたのである。
…しかしこうして写真を見てみるとまぁこの駅の構造の急曲線たるや。非常に心臓に悪い構造をしているような気がする。多分。
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大阪から1番近い秘境(本格観察編)
さて、列車の行き違いが終了し静寂の空気に再び戻った紀伊神谷の駅を見ていこう。
紀伊神谷は、何度も記しているように極楽橋の1歩手前の駅であり、この駅から先。鉄道線は極楽橋までの道程となるが本格的な真言宗の聖地である高野山へ向かうには鋼索線…つまりはケーブルカーに乗車しなければならないのだ。
通常の鉄道ではあと1歩と感じてしまうかもしれないが、極楽橋までが建設の限界だったのである。
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駅を橋本方面に向かった場所には、間接的な構内踏切が存在している。
この踏切を横断してホームと駅舎のアクセスが確保されており、列車に乗車する際には少しだけ余裕を持って駅へのアクセスを組み立てなければならない構造だ。
しかしこの写真から見ても煽られる不安。
…言っておこう。
この駅は現役の駅である。
決して廃墟や何かではないのでそこだけは頼みます。
あまりにも唯ならぬ威容を放ち、ぽっかりとそこに入り口を開けている姿は正に『秘境の鉄道』を名乗るに相応しい。
絶対に秘境駅ビギナー。旅のビギナーにはオススメの場所である。
デビュー戦にはもってこいなのではないだろうか?
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構内踏切を渡って先に見えるのは、木で形成された駅の柱だ。
少しだけ手の込んだ造りになっているのが、あくまでも聖地・高野山を目前として構えているおもてなしの現れであり揺るがない信念のように感じる。
登山鉄道にして、聖地への参詣客が降車するかもしれない、という確固たる細部へのコンセプト。意気込みは非常に素晴らしく感じるところだ。
鬱蒼とした踏切を抜けた先に広がるこの美しさは、訪問の価値が十分にしてあるのではないだろうか。
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紀伊神谷の駅舎。
自然の方が駅舎の割合より遥かに面積が大きく、何処か神聖な雰囲気を演出している。
ちなみに先ほどから連呼している
・大阪から1番近い
との文句だが、実はこの紀伊神谷から大阪都心までのアクセスも抜群に良く、大阪環状線で新今宮まで乗車。そしてそこから南海高野線で橋本まで乗車し、橋本からは極楽橋までの各駅停車に乗車すれば到達できる。
そして旅のコストもそこまでかからない。
駅構内の運賃表で確認した限りになるのだが、紀伊神谷から新今宮でJRに乗り換えて大阪駅まで乗車した場合。運賃は大人換算で1,120円となる。
この運賃で秘境に訪問できるなら、全然気晴らしに向かってみるのはアリなのではないだろうか。
余程の物好きにしか推奨できないのは少々心の難しいところだが。
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駅付近には小さな水路がある。
勢いよく流れる水の音が、紀伊神谷の自然を演出するのに大きな脇役者ぶりの存在感を残している。
少し覗くのは怖いのだが、滝の空気には充分に心を休めるに充分であった。
なお、この滝の近くに駅のトイレがあるのだが強烈なアンモニア臭を放っており、あまり衛生的に良い空気ではなかった。(食事中の方たちすいません)
草臥れているそんな様子も込みにして、紀伊神谷の駅を楽しめるのであれば充分行く決意を固められるのではないだろうか。
少しだけ、紀伊神谷の駅の成り立ちなどについて触れておこう。
紀伊神谷駅の開業は、昭和3年の事である。
当初は神谷駅として開業し、現在の紀伊神谷に改称されたのは昭和5年の事である。
昭和3年までは鉄道が紀伊神谷までしか到達していなかったが、翌年の昭和4年には途中駅となり極楽橋に終端駅の肩書を譲ったのであった。
駅の標高は473m。
充分な冷えも感じ、訪問した夏季でも充分に感じる山岳の気候であった。
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秘境に降りて
実際に大阪から1番近い秘境駅としてこの駅を訪問したが、あまりにも閑静であり、そして大手私鉄の駅とは思えないような駅なのが非常に不思議である。
駅の周辺を囲うのは自然の静寂のみ…ではあるものの、列車の往来は頻繁にあるので少々の心細さは紛れるといった具合になるのかもしれないが。
駅周辺を歩いて、橋本方面に踏切を発見する。
南海アプリを確認すると、列車がどうやら橋本方面に向かって下山するようなので踏切で待機してみる。
踏切が鳴動した。
しばらくすると、曲線のホームを曲がりくねってこの駅に降り立った際に乗車した2300系がやってきた。
写真に撮影したのが、その列車だ。
紀伊神谷では先ほど降車したようにこの駅で極楽橋に向かう列車の最後の行き違いをするのだが、この列車では実施される事なく淡々と作業を終了させて走り去っていった。
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踏切を過ぎ去る列車を見届けて。
何度も記すように、南海の中でもかなりの異彩を放っている2300系。
甲高い走行音を奏でて踏切を渡り、これから先の山下りに挑んでいくようであった。
写真の奥の方を見ても感じるように、この踏切を一気に下ると山の中に消えていくような感覚である。
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踏切から見届ける姿。
2300系の特徴である赤備えの前面。
そして南海では数少ない下り方の前パンタグラフとこの車両にしか存在しない要素がかなりある珍しい仕上がりだ。
駅周辺はこの踏切から続く道を除外して、アクセスの手段が訪問手段としては列車のみに限定される場所である。
余程の物好きではない限り、やはりアクセス数の確保されている電車を利用して訪問すべきな駅ではないかと思ってしまう。
甲高い加速の音を奏でて山を下っていった2300系の音が山中に反響し、周辺は再びの静寂と自然の空気に支配されるのであった。