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ACT.38『放蕩航海、北海道』

起床、イベント、満喫

 行きの東舞鶴から乗船したフェリー内では、体力が序盤で緊張していた事、そして初の北海道に向かう状態という事で身体が硬くなっていたのかかなり船内を探検したり放浪したりしていたと思う。側から見れば、その行動は
「落ち着きがない」「態度がなっていない」
と叱りを受けてしまう状況にあるのかもしれないと今更にながら思う事がある。
 発達の障害、疾患と共に生活を送っていく中で自分は医師からの副薬を共にしている状況…なのだが、その薬の効果も虚しく船内では緊張の一点張りで過ごしていた。
 写真は、そんな船内のイベントで撮影した写真である。
 新日本海フェリーでは、朝の10時手前に姉妹船と行き違う時間があり、その際には船内放送での連絡で呼ばれる。この時はデッキに出て撮影したのだが、何がどう違うのか自分には全然分からない…状況での撮影だった。
 フェリーを常日頃の利用者である自分にとっては、
「なるほど、客船とはこうして海に漂うのだな」
と頷いての撮影になった。
 撮影中には汽笛も鳴らされ、船同士が大きな巨体を日本海上で交錯させながら行き違った。圧巻の汽笛は、自分が大海原に漂っている時間を感じさせるに十分すぎる一瞬であった。

 自分が眺めていたデッキのポジションは、このようになっている。快晴の空、快晴の海。
 しかし、少し難点を枚挙するならこの日本海は振動が大きい事だろうか。九州便ではそこまで感じなかった振動を大きく受けているような感覚に陥った。
 東舞鶴に向かう姉妹船を見送ると、
「あぁ、あっちは北海道から俺の故郷に戻るのか」
とまた変に心臓への負荷をかける緊張が甦ってきた。
 北海道まで、まだまだ時間がある。
 この写真を撮影したデッキからカフェテラスに戻ると、カフェテラスではNHK BSの放送が流されていた。
「BS電波は傍受できるんだろうか?」
と少し首を傾げながら眺めたが、日本女子サッカーや、エンゼルス大谷翔平、そして海外ドキュメンタリーなどの放映で船内に時間の変化を投じていたのであった。

船上の食欲

 船内での食事に関しては、本当に微々たるものだった。
「船の中って高いんやから」
と家族に多く詰め込まれた食糧だったが、そこまで食事に船内で向き合っている時間はなかった気がする。
 むしろ、東舞鶴に向かう特急列車内で食糧を消費してしまった方が良かったのではと今になっては考えてしまうくらいだ。
 と、自分が往復含めて食事した唯一の食事がコチラ。
 ローストビーフサラダ、700円也。
 この食事だけしか食べることはなく、そして食事後にはまた自室に戻って睡眠の時間に費やした。
 とにかく、この21時間の航海では
『食事と寝るだけ』
だったが、本当に何もない船内、電波の謝絶された空間ではどうにも言えない時間であった。
 そして、自分が再び船内を歩き出したのは船内エンターテインメントの映画の時間。
 実は船内では映画の放映がされており、13時台に放映されていた映画『SING』か、16時台に放映される映画の『釣りバカ日誌ファイナル』か選択する事ができた。(何れも観劇は無料)
 と、自分は16時からの『釣りバカ日誌』を鑑賞。作中の浜ちゃん・スーさんも北海道に向かう映画で、北海道幻の魚であるイトウを釣り上げるという映画だったのだった。
 あとは酪農家の色恋沙汰なんかがあったのだけど、本当に北海道はあぁなのだろうかと…
 しかし、そんな事は上陸後の楽しみにしておこう。

満ちる事

 遂に、日暮れの時間がやってきた。
 海上で眺める日暮れの時間というのは何か格別であり、10時間以上乗船する乗り物にとっては日の出・日の入りというのは車窓のイベント、移動のイベントになる光景である。
 この光景に関しては多くの乗船客がデッキに出て撮影していたが、自分はそうでもなくフワフワ浮いていた状況だったのである。

 言うまでもない理由だ。
 しかも、今季では中止1回を挟んでしまったものの勝率100%の神戸試合。打席には昨年までオリックスでプレーし、昨年には日本一の場所まで導いた伏見寅威が打席に立っているのである。ん〜、どっちを見ようか。
 この試合では小木田が初先発を務めていたが、序盤に先制を許しつつも徐々にリードをオリックスへ。そして、この後に決定的な瞬間を迎える事になる。

 じっくりとその様子を見る事は出来なかったが、この時既に大好調のセデーニョの本塁打。
 自分が不意に目を離した隙に6号本塁打を神戸の空に放ち、チームに貢献していたのだ。
 幸いにも、セデーニョの特徴であるダンシング・ホームインを見る事だけは出来たのでそこに関しては良しとしておこうか…
 確か、伊藤大海を相手に放った1本だったのでは無いかと思うが、本当に素晴らしいというかチームに火を付ける1発だったのは間違いない。
 船の位置情報、夕暮れ、試合経過
様々な物に視線や神経を奪われ、船旅が続いていく。

 船上らしく、暮れてゆく夕陽の撮影に成功したので写真の掲載をしておこう。
 ある程度の人が引いた際にデッキから撮影したのだが、船のジックリと海に跡を付けた道の上に…だろうか。水平線に夕陽が沈んでいく姿は、実に旅情や長距離に自分が向かっていく事を思わせる。
 無事に自分は関西に帰還できるだろうか。そんな思いを託して、日本海の夕陽を見送った。

 オマケ。
 この試合では、解説に星野伸之氏が呼ばれていたので、星野氏の忘れられない試合として青波時代の映像がオンエアされた。
「うおぉぉぉぉ!!」
と思わず声に漏れそうになってしまったが、そうしてしまうと確実に自分の変人具合がバレてしまうので口を抑えるだけに留まった…が、
 この試合は確か優勝決定の試合だったように思う。(実は自分でも全く覚えていない)
「でも、星野さんがご活躍された試合ではないのですね?」
と実況アナが尋ねていた辺り、球史に残る試合だったのは確かだったろう。
 落陽の光景と青波の勇姿に心を満たされ、残り少ない北海道までの道のりを進んでいくのだった。

未知の下界

 20時を過ぎて、下船の時間になった。
 船は定刻通りに小樽に到着していたようで、無事に20時45分に小樽港に到達した。
 遂に北海道に上陸の時である。
 九州便の際には電波が一斉に下船の時に。徒歩で船のラウンジに向かった際に一気に通知が集結し、その際に
「あぁ遂に上陸したんだな」
と感じた物だったが、今回はフェリーが積丹岬だったか積丹半島だったかの近くを航行している時間から電波が軽く入っていた。
 その際には家族や途絶えていた通知に関しても幾つか対処ができ、自分としては少し暇な時間を解消する事が出来る有難い存在だったのである。
 小樽港に下船した際…の写真に関しては殆ど撮影していなかったのが悔やまれるが、これから向かう手宮方面の写真と日銀小樽支店方面のポスターを撮影した。手宮方面のポスターには、国鉄時代にその力を馳せたレールバスが映り込んでいる。

 小樽港から小樽駅前までは、中央バスによる(だったろうか)路線バスが運転されており、このバスに乗車すると小樽駅まで向かう事が出来るのだが自分はそのままバスに乗車する事なくJRの函館本線・小樽築港駅を目指して進軍した。
 小樽築港駅に目指して歩く間も、トラックや自動車の通行量が非常に多い。
 しかし、その中にも列車の汽笛というのだろうか。旅愁や歓迎に似たものを感じる音がこだましている。カモメの鳴き声と共に、自分をこの大地に迎えてくれているのだろうか。
「母さん、北海道に着いたわ」
「へぇ!凄い、北海道に」
無事に連絡もし、なんとかして北の土地に上陸をしたのである。

初体験はいかにして

 JR北海道の電車、というのを見て乗って、撮影する今回の旅路は、初の経験となる。
 今までは川崎重工業(当時)や近畿車輛などの甲種輸送でしかJR北海道の車両を見た経験はなかったが、遂にこの小樽築港駅にてJR北海道の車両と巡り合うのだ。
「どんな電車に乗るのかなぁ」
と楽しみにしつつ、改札をICで切り抜けて耐雪の空間を抜ける。
「本当に雪対策をしている会社なんだなぁ」
そんな事も考えつつ、列車を待機した。
 手早くICで乗車してしまったが、財布で乗車券を買うのが面倒でスッカリICで乗車してしまったこの時間。
「初乗車だったんだから切符で乗れば良かった…!」
と悔やんだが、遅かった。面倒の勝ち。

 JR北海道初の電車として乗車した電車は、733系電車だった。
「おぉ、この顔こそJR北海道の電車!!」
そんな反応がつい、漏れてしまいそうになる。
 と、乗車。JR北海道の電車は近郊電車のようなドア配置をしているのにも関わらず、車内の椅子配置等は通勤型のようになっているので非常に面白い。扉を見た瞬間に
「片開きなのか、意外な電車」
と思ったが、コレはカルチャーショックに入るのだろうか。そこまで気にする人は鉄道オタク以外居ないと思うのだろうが。
 列車は、暗がりの港町を南小樽目指して進んでいく。
 このまま小樽まで素直に行けるのだろうか、と思ったのだが、どうやら小樽の中心部までは結構な時間が掛かるようだ。電車でもバスでもそれなりの時間を要するようだが、何れにせよ下船後は交通手段に頼る事が必須になってくるかもしれない。
 まだ、船内のベッドが恋しい状況になっているが電車の時間でカルチャーショックや特徴を感じつつ、小樽中心部までの僅かな時間を楽しむ。
「ここは通勤型ばかりなのか?」
少し疑問を感じつつも、時間が経過していった。
 車内の広告も、完全にファイターズの広告だらけになっていて自分が北海道にいる感覚を実感したのである。

 少し前に戻って、船内の中継映像。
 小樽築港から電車に乗車する少し手前になる話だが、この試合の決着を知った。
 この試合が、捕手の若月によるサヨナラ本塁打で決着したとの報が入ったのである。
 若月に花咲徳栄としての底力が降臨した素晴らしい瞬間であり、その事を知った瞬間は涙を流す寸前の感情で結果を喜んだ。
 もう少しで、列車は小樽に到着する。サヨナラの歓喜と余韻を載せて。自分の感動と緊張、未知への期待を孕ませて。

手堅く撮影入り

 乗車した733系から降り、小樽で少々の撮影に興じた。
 既に予約しているゲストハウスはレイト・チェックインとして無人状態になっているが、自分としてはそういった状況は一切合切忘れて北海道の列車の撮影に興じている時間となった。こういった面に、発達障害の持っている汚点的なモノを感じるというか尾を引く性格のようなものを感じてしまう。
 と、共に精悍な顔つきで車両が並んでいるが左の車両が乗車してきた733系。右の車両が電車…ではなく、実は気動車なのである。車両はキハ201系といい、車両の性能としては実はとんでもない力を持っているのが特徴だ。その力を活かした運用には翌朝入る…事になるのだが、今日の撮影はここまでという事になる。

 見た感じ、というか受ける感触としては本当に北海道の道内を走っている普通の電車のように見えるのがこの車両の特徴なのだが、この車両の変化として『気動車』なの…は本当に近づかなければ分からない。
 停車中にもアイドリングや気動車ならではのサウンドを奏でて停車しており、少し異端な空気を醸し出していた。
 また、この車両はその発揮する性能の影響で製造費が高く付いてしまった事もあり、車両の保有台数(保有編成数)が極端に少なくなっているのも特徴なのである。

 更に小樽駅構内で撮影を深めていこう。(さっさと本来なら宿に行かねばならないが)
 撮影した車両はH100形。この車両は兵庫県・川崎重工業での製造の車両である。
 その為、この車両に関しては『車両番号が成立すると』再会になるのであるが、何しろ毎回毎回大量に搬送されているので番号の把握しようがない。しかし、
「おぉ、元気にしとるもんだなぁ」
と何故か父親ぶってカメラを向けてしまう。
 甲種輸送として関西圏をアメリカや最先端の客車の如く10両以上連ねて疾走する姿も見ものだったのだが、こうして実際に営業に就業する軽快な姿も、逆に何か安心感を得られるというか
「気動車として活躍しているんだなぁ」
という感動に満ちる瞬間である。

 733系同士の連結部を撮影する。
 北海道の都市圏では平凡なシーンではあるが、自分のように遠征している若者にとっては撮影のし甲斐がある記録だ。
 北海道独特の、角度を大胆に付けたカットに対しての連結というのがまた格好良い。

 小樽の駅は、至って昭和の情景というか時代をそのままに残している雰囲気がある。
 昭和風な駅名標と733系を撮影したもの…だが、ギャップというのだろうか。現代の電車が昔にタイムスリップしてきたかのような情景が非常に素晴らしい。
 しかし、自分としてはこの写真も平凡に撮影するのではなくてフィルターを掛けて撮影しておけば良かったと微妙な後悔をしている。
 733系の蛍光色な照明と、小樽の時代に残された駅名標の共演。非常に感動するモノを残せたような気がする。

 さて、この電車こそ、自分が出逢えた事に大きな感動を覚えた電車…というか、北海道の洗礼を浴びた電車だ。
 731系電車である。大御所ではないが、既に中堅の域に入っているであろう電車であり、実はとんでもない能力を持っている電車でもある。それに関しては後の記事で詳細が判明していくのだが、この電車に遭遇すると
「あぁ、北海道の電化区間に来たものだ」
と本当の意味で何か達観した感覚にさせられてしまったというか、満たされた気分になってしまった。
 733系、735系と様々な電車が登場してもやはりこの電車の安心感には勝てない。
 図鑑の安心、安定とは非常に大きいものだ。

尊重

 小樽の駅舎というのは、列車を降りてから、列車とホームの情景を眺め記録している段階から思うが、
『鉄道という乗り物が高貴だった時代』
を現代に巧く引き継いでいるのではないだろうかと思う。
 写真に撮影したのは小樽駅のコンコースなのだが、見てのように昭和の情景というか、長距離まで旅立てそうな雰囲気。そして、いかにも各方面に列車を忙しなく捌いていた鉄道の全盛期が彷彿されるのではないかと思う。
 本当にこの駅に居る時間というのは何か圧倒されるものを感じたというか、このコンコースの醸し出す力は鉄道の隆盛に思いを寄せずにはいられなかった。

 宿に向かう途中に撮影した、小樽駅の駅舎外観の写真だ。
 非常に幻想的に写真が撮れた…!と振り切れた思いになってしまった自分だが、改めて見ていると写真としては少しダークな要素も入って怖い気がする。若干。
 として。まぁそれは私情なのだが。
 この小樽駅駅舎は、準鉄道記念物・登録有形文化財の指定を受けている。
 それだけの価値があり、この小樽駅駅舎というのは鉄道の歴史、北海道の交通史に名を刻む存在になっているのだ。
 小樽駅のスタイルは、上野や台湾方面の駅舎と類似している…という調査の結果や既視感などが時々散見されるが、この結果に関しては
『当時の流行』
を濃く反映したモノ
が小樽駅にも流用されたようだ。現在の駅舎は3代目のようだが、北海道鉄道史希望の光として、絶えない灯りを照らしてくれる事を祈っている。

航海の終結に

 若月サヨナラ、初大地の車両に歓喜して撮影…と様々なイベントを経て歩いている最中に、宿に到着した。
 最初はこの宿に関しても場所が全く分からず周辺をコマのようにクルクル回っていたのだが、コレもまた発達の起こす阿呆な音痴だと自覚してしまう。自分ではドジだとわかっているのだが。
 遂にこの目的に辿り着き、地球の裏側に向かうかのような時間をかけて北海道に到達した。
 レイト・チェックインだったので宿の仕組みや勝手は全て客任せで指示を仰いだのだが
「分からないですね」
「朝に聞いてみます?」
などの始末で、結局の大慌て。しかし、朝になれば丸ごと解決なのでした。何やってんだか。

 北海道最初の晩の食事に選択したのは、セイコーマート。
 宿横にはローソンがあったものの、態々北海道の気分を味わうハイテンションでこの場所を選択し徒歩何分もかけてこの場所に行き着いた。
入店後
「ホットシェフやってます?」
「うちはないんですよねぇ…」
と知った用語を使ってみたさの会話もしてみたり。
 玄担ぎに欲しかったあの道民愛するカツ丼を泣く泣く諦め、自分が食したのは…

 ザンギ弁当だった。
 しかし、食してみても
「ザンギと唐揚げって何が違うねん?」
の感覚で脳が支配刺激され、この遠征以降は食さなくなった。
 しかし、塩弁当に塩ラーメンとは自分も全く頭のおかしい采配を振るっているとしか言いようがない。(言うなよ)
「お湯ごめんなさい…!分けますね」
群馬県からの女子大生組とケトルの湯をシェアし、この日の弁当にあり付いた。
 しかし、この日以降も多くの宿泊客や観光客に会って行くのだが殆どの人が道民ではなく本州からの観光客ばかりだった。
 やはり、シーズンだったのは本当らしい。
 そして、寝る前ガラナはダメという事実にこの時は未だ気づいていない。
「うめぇぇ!!!」
だからその飲料は危ないんだよ。

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