ACT.127『出迎え』
ぬくもり
川跡駅に下車し、一先ず改札に切符を渡してから駅の待合室で過ごす。
待合室にはファンヒーターが完備されており、温かい空気を作り上げていた。
待合室には自分と若者の男女2人が1組。少し広いタイル敷きの待合室で電車が入るまでの束の間を過ごす。
ファンヒーター・ストーブはばたでんの有人駅ならではのもてなしのようであり、他の駅でも幾つか見かけた。後に写真を掲載するので、翌日。本命の旅路を乞うご期待あれ。
さて、自分はと言うと旅の暇潰しにと持ち込んだ文庫本で時間を潰した。他に将棋専門誌も持ち込んだが、この旅では結局最後まで頁を開けなかった。徒労の1冊となり、無駄な荷物を仕込んでしまったのである。
時間は少しすれば西陽が沈もうとする17時過ぎであった。
「山陽本線・智頭急行線経由ならこんなに早いんかぁ…」
まさか、西陽が水平線の彼方に消えるよりも早くに目的地に到達するとは思いもしなかった。
園部・福知山経由の道を選択する事も当然山陰本線が地続きの為に可能ではあったがあまりにも接続が悪くしかも本数が少ないと来た。
そうした中で大阪都心を経由したこの判断はかなり賢明だったのではないだろうか。
今の所かなり惰性に動いているけれど。
工事凍結にもめげず、陰陽連絡の近道を切り開いて下さった先人のコトを思うと、あまりにも頭が上がらないというものだ。(何回それを言うんだお前は)
挨拶
しばらくして、列車の到着時間となった。
いつものように発車10分前にはホームに向かい、乗車の準備に動く。
しばらくして、駅より離れた場所にある踏切が闇夜の空気を震わせ警報音を鳴らした。
駅の営業が終了した川跡駅の夕方以降は、こうして駅の周辺に設置された踏切の音が列車接近の合図となっているのだ。
そして、警報音が鳴って少し。
1つ目のヘッドライトが暗闇を切り裂いて現れた。
鈍い機械の鼓動が少しづつ近づいてくる。
やってきた。今回の旅路の目的である一畑電鉄5000系・5010Fである。
先ほどの時間に電鉄出雲市方面に走り去ったが、折返して松江しんじ湖温泉に向かうようである。
暗闇でもしっかりと放つこの存在感。
やはり一畑電鉄の観光列車に相応しい特別な出立ちである。
やってきた5010Fに乗車していこう。
目指すのはばたでんの車両たちが集う駅、雲州平田である。今回はこの駅の周辺にあるホテルを確保した。
余談であるが年末も年末の駆け込みで予約したので通るか不安であったが、無事に一部屋確保が出来た。その時の安堵といえば、
「ようやく歩み出せる…!」
という旅の本格的な始まりを心に告げるようなものであった。
話を戻して。
写真は、川跡からの乗車前に撮影したもの。
京王5000系の特徴もしっかり残しつつ、その意匠を継承して適応している。
後の車両詳説の際にはしっかりと見ていくが、この電車は異彩を放ち、異色も異色の奇抜な電車であるのだ。
小さな場所にも
一畑電鉄5000系…特に5010Fにしかない特徴というのが、やはりこの座席である。
一畑電鉄には地方私鉄の車両としては非常に珍しい1+2のクロスシート座席配置を組んでおり、この配置にも観光列車として。そして『ばたでん』の拘りが詰まっているのである。
この座席、実は京王時代に使用していたものではない。
実はかつて使用されていたのは『小田急3100形・NSE』だったのである。
小田急の座席として箱根への観光輸送に従事した後、何故島根県は出雲で第二の暮らしとなったのだろうか。
その話は、5000系譲渡の改造段階に遡る。
5000系を京王から一畑電鉄で改造して運用する際に、クロスシートを車内に設置するという構想が持ち上がったのであった。
その際に廃車発生品として小田急3100形のクロスシートが出回り、装着されたとの流れであったのだ。
こうして、現在の5010Fの車内に小田急3100形のクロスシートが設置されているのである。
なお、この旅路では方法が分からなかったが現役時代と同様にクロスシートは方向転換も可能になっているようである。
1日の終着点
川跡での途中下車を経て、到着したのがばたでんの車両基地を保有して運転の要となっている駅である雲州平田駅である。
この駅の周辺にホテルを予約しており、今回はそのホテルの空きがあったのでそのまま着地を決めたのであった。何と運の良い事だろう。
写真は、雲州平田の駅に到着して1番最初に撮影した写真である。
5000系の特徴的な側面が夜の帳が下りた駅に映え、宛ら観光列車の風格も充分といったところであろうか。
出雲詣りを済ませた乗客も中には居たのであろうか。観光の装いで駅に降り立った乗客も中にはいた。
少しだけの停車時間を経て、5010Fは走り出していった。
まだまだ先の松江しんじ湖温泉に向けて。そして最後となるその日に向けて。着実に歩みを重ね勇姿をこの日も見せていた。
本格的な撮影と記録は翌日を予定しているのであるが、先の御挨拶としてまさかこんな早い段階に遭遇するとは思ってもいなかった。
京王時代の面影がすっかりなくなった独特な顔。そして少し位置の移動した尾灯が光り輝き、闇夜の中に吸い込まれていった。
下車した雲州平田駅はこのようになっていた。
写真奥に見えるラッチ…の中に駅員がおり、自分も他の乗客に混じって切符を渡した。
通常。ばたでんの駅では駅に下車すると乗務員が切符を回収する役目を同時に担うが、この駅には一日中駅員が配置されており、駅員の手で列車の運転の支えとなる業務が行われていた。
切符やグッズの販売、そして列車に関する案内など。鉄道の活気が詰まっている駅であり、ばたでんにとっては運転上の要としての扱いも担っているようであった。
ばたでんの列車本数は比較的他社に比較すると少ない為、係員を配置している有人の駅であったとしても列車の行き来が過ぎた後には非常に静かな時間が流れる。
明日の本格的な旅路の始まりに向けた期待を抱いて、この駅を去った。
ばたでんと共に
雲州平田駅からの道は、慣れるとかなり簡単なものであった。
初訪問の宿であったので、少しだけ地図アプリを見つつ場所を探したのであったが線路沿いの道を歩いていくとすぐに大きなホテルの看板を掲げたビルが聳え立つ。
ここが今日の自分が泊まる宿だ。
簡単な手続きでチェックインすると、カード式のルームキーを持って部屋へ。
そして、入室すると目の前に広がっていたのが…
この写真である。
「えぇ、まさかの…!トレインビューは有難いぞ…?」
偶然の運に魂を躍らせ、少しだけ列車の時間を待ってみる。
やってきたのが、この写真の様子である。
既に陽はとっぷりと暮れていたのでこうしてやっつけな写真になってしまったが、それでも普段は見れない場所からの観察というのは面白い。
ばたでんの列車本数が非常に少ないのが難点ではあるのだが、もしも列車の往来が多い駅だとしたら観察は非常に捗るだろう。
「この眺めがあるんだったら出る時間も考えるかぁ…」
少しだけ頭を捻って明日の行動に思いを巡らせた。
少しだけテレビを点けて時間を過ごす。
ローカルニュースが放送されているチャンネルを見つけ、ラフな姿勢で座り部屋の椅子で寛いだ。
山陰の1年を振り返るスポーツニュースという項目で、少しだけこの『大社旋風』について触れられていた。
昨年の記録なので、完全に全ては懐かしの事象になっているがこの出来事は非常に印象に残っている。
自分はあまり高校野球に興味がないのだが、それでも昨年の夏には大社旋風という言葉をかなり耳にした思い出だ。
強豪校を打ち破って破竹の活躍を魅せた大社高ナインの活躍は確かに多くの国民に勇気を与え、希望となっていた。
他にはパリ五輪関係もあったが、自分が着目していたのが島根県は浜田高からプロ野球、福岡ダイエーに入団し昨年まで活躍した和田毅投手の引退宣言に関する項目だった。
「確かに山陰のヒーローとして和田毅の衝撃は大きかったもんなぁ…」
と1人時代を噛み締めながら画面を見ていた。
パ・リーグ最年長の選手としてホークスを牽引し、そして最後のダイエー戦士となった和田毅の活躍は母校、浜田高のある山陰の地でも確かに息吹いていたのである。
と、少しだけの休息を経て食事へ。コレは近くの店で済ませた。
空腹の淵に
昼頃に食べたチキンカツのハンバーガー以降、そんなに何かを食べたという記憶がこの旅にはない。
そうしたままで惰性の身体な状態で初日を終了。
ホテル前に深夜まで営業しているラーメン屋を発見し、スタスタ入店。
そのままカウンター席に着席し、店員からお茶の提供。お茶を飲みつつ、店内にビッシリと置かれた漫画を眺める。
そのうち1冊を読み、自分が注文したラーメンの提供を待った。
山陰ではあるものの九州系のラーメンを提供しているという事であり、ベーシックは豚骨ラーメンであった。
食事の値段云々…は特に考えずして、自分は基本的なモノを注文。着弾したのが写真のラーメンである。
料理名は忘れたが、ベーシックな豚骨ラーメンを注文した。白濁したスープからは動物系の香りが漂う。
味は何となく香りでも分かるように動物系の風味の強い豚骨スープであり、自分の中では最近慣れてはきたものの少し濃いようなそうでもないような。
麺は細くストレートな吸いごたえのある麺で、これは非常に気持ちよかった。
そのままスープまで完飲した後に即お金を払って退店。
ホテルの自室に戻る序でに少しだけ周辺を散策して行くことにした。
ラーメン屋を退店した後に自分が向かったのは、周辺のコンビニ。ここで翌日の朝食の準備をとスイーツ系のコッペパン。そしてコーンスープを購入した。
翌朝はゆっくりとコーンスープを飲みつつして、トレインビューの朝を満喫しよう。
探索の地
そのまま、翌日の朝の準備をコンビニで買って時間も少し余裕があったのでホテル前のスーパーでノンアルビールを購入。
自室に戻って、テレビを点け少しだけの寝る間を潰す。
そして追加に購入したポテトチップスでもう少しだけの夜を越す。
酒を愛する我が友に言わせれば
「あんなのは飲んでも意味がない」
と一蹴されてしまうのであるが、数年前から飲酒の出来ない身体になってからというもののかなりこのノンアルコール飲料には世話になっている。世の発明に大いなる感謝を。
そして、ノンアルビールとポテトチップスを胃に詰め込みながら片手では翌日の撮影行程を練る。
「ばたでんなんて知らないしなぁ…」
完全に勢いでやってきた出雲の地を踏み、自分は思考を一進一退で探っていたのであった。
幾つかネットで探した撮影地を財布から取り出したレシートにメモ書きし、上着のポケットに仕込んだ。これで適当に翌朝の準備は出来たろう…
画面越し
そのまま賑やかしに点けていたテレビでは、年末スペシャルとして昭和の考えられない常識クイズなるものを放送していた。
写真がその番組の様子である。
番組の時間も終盤まで差し掛かった頃に、耳にした事のある話題が出てきた。その内容は
・小田急では、かつて登場した新型ロマンスカーである試みを行って宣伝をしました。それはなんでしょう?
というもの。
「コレ結構有名な話では…?」
と思いつつ、画面に登場した展望座席を備えたロマンスカーの勇姿に見覚えがあった。
その見覚えを感じたのがこの瞬間。
「さっき俺が座ってた座席やないかコレぇっ!!」
そう。この雲州平田駅に自分を導いてくれた命残り短い5010Fの車内に並んでいたあの座席である。
まさかこんな形で、テレビ局のスペシャル番組の中で束の間の再会を果たすとは思わなかった。
ちなみにこの問題の正解は、
・小田急百貨店による水着ファッションショー
である。何故このような試みを行ったのかというと、
・揺れないロマンスカーの乗り心地
という目的があったからのようだ。
既に座席の座面などは張り替えられているとはいえ、自分の目的であった体験のかつての姿を見れるという事に何処か変な感動。妙にこそばゆい気持ちを感じざるを得ないのだ。
このテレビ番組の終了後、自分は少ししてから眠りに就きゴロゴロとベッドで転がっているうちに朝を迎えたのであった。
さて、動き出すかぁ…