ACT.99『至福の一夜を』
予約温泉へ
宿は2階建ての一軒家のようになっている。
しかし、じっくり見るとそこは旅館のようになっており、スタッフの方によるとかつては民宿として活用されていたのだとか。なるほど。どうりで建物が広大に感じられる訳だ。
スタッフの方と少しだけ、フリースペースで語る時間を過ごした。冷蔵庫からメロンソーダの缶飲料を取り出して購入。
スタッフの方がこの日は両親を連れて宿に宿泊しており、御家族と一緒に入浴前の時間を過ごした。
「自分はもう稚内まで行ったので…」
「稚内だったら僕も去年の6月に行きましたね〜」
旅の思い出を多く語った記憶が蘇る。
「南の方が全然なんですよ。鹿屋の鉄道資料館だったかなと思います。そこに行きたいんですが…」
「なるほど、鹿屋ですかぁ…ちょっと待ってください。確かこの中に…」
フリースペース内の本棚に配架されている地図帳を探し出し、
「あぁ、ここ…ですね。」
と地図帳の中で指を指して話を盛り上げる。
「そうです、これこれ…南の方が全然なんですよ、指宿市までは行けたんですけどね…」
鉄道に関してであれば、なんでも出てくるハイスペックさに関しては完全に驚愕でしかないのだった。御世辞を抜きにしても最強の居場所だと思う。
この他にも、スタッフの御家族とは様々な話をさせていただいた。わざわざ付き合って下さり感謝です。
酒の宴会の席…であり、御家族。スタッフの御両親はビールを持ち込み、そしてコンビニで購入したであろう電子レンジ加熱のハンバーグをツマミにして過ごしていた。
自分もこのツマミの中。ミックスナッツを頂き少しだけの会話の時間を楽しんだのであった。
「好きな人は本当に好きなのねぇ」
酒の回ったスタッフの母さんにそう声を掛けていただいた。
「あはは…もう既に10年以上、少年の折からですから…」
改めて自分の『好き』が詰まった場所でこうしたカミングアウトになると恥ずかしいもので。話はそこそこに済ませ、予約した時間を過ぎて風呂に向かう。
最寄駅が『石和温泉』とあって、天然の温泉が宿内には引かれているのだ。
写真の通路を行った奥に、温泉を通している小さな浴場がある。その場所に、部屋備え付けのタオルを持って向かう事にした。
時間を決めて予約していた温泉に30分遅で入浴する。今日は宿泊客が少なかったので良かったが、話を優先させてくださったスタッフの方々には感謝しかない。
通路…宿舎のようにして部屋が詰まった建物の一角にある温泉を通した風呂。
小さな脱衣所で服を脱ぎ、メガネを外していよいよ硝子扉を開けると温泉と御対面だ。
温泉に関しては、少し通常の温泉と比較すると小さめの湯船になっているのが特徴だった。男湯だったので男性サイズ、男性目線で温泉の広さの感想を記すが、温泉のサイズとして考えれば男性だと3人くらいが丁度良いかもしれない。硝子扉を開け、温泉と対面した時に
「なるほど、こりゃあ予約制だな、かなりコンパクトだし…」
と感想が漏れた。
身体を一定洗って、温泉に浸かる。普段の湯船を熱めにして入浴する自分にとっては温泉の温度がかなり温く…というか肉体に染み込むような感じに思えた。程よく身体に温泉の独特な温感が伝わってくる。
程よく温まり、のんびり浸かってボンヤリと天井を眺めるのが気持ち良かった。
そんな石和温泉の効能は、冷え性・慢性的な消化器系の病。打ち身などに効果を発揮するという。温泉の性質はアルカリ性の単純泉だそうだ。
ゆったりと温泉を味わったところで、再び脱衣所に。
「そろそろ出るかぁ…」
と思っても、風呂から出るのが名残惜しいくらいの気持ちにさせられた。
再び、脱衣所で服を着る。
服を着ようとする間に気が付いたのだが、脱衣所内にはコロナ禍だった頃の名残が濃く残っていた。
『距離を離して』
や脱衣所内での人数制限、または換気など。時代を閉じ込めた状態になっているのが少し懐かしく思えた。
規格外の楽しさを
この石和温泉の『鐡の家』最大の魅力は、この巨大なNゲージのレイアウトにある。
全国でこんなに巨大な1/150の鉄道模型のジオラマを配置している宿は、全国探してもこの『鐡の家』だけではないだろうか。
その勢いの広さである。
今回の宿泊にあたっては、何の迷いもなくこの憧れたレイアウトでの走行も踏まえてこの宿を予約したと言っても過言ではない。入浴後、時計の時間を気にしつつ京都の我が家から持ち込んだ模型を自室から運び出す。といってもそこまであるわけではないが
この規模のジオラマ走行で、料金は宿泊代に追加で3時間…500円だ。最近の大阪近郊でのNゲージレンタルレイアウトと比較しても全然安価すぎる。昨今の高騰している現状の中ではあまりにも天国だ。
3時間で500円、がどれだけ至福な事だろうか。
最初にまず、車両を置いて実際に走行するか確認してみる。
線路に模型を置いて、コントローラーのツマミを回転させる。
今回の運転にあたっては
「利用者が来ない限りはどの線路を走行しても可能』
というルールだったので、どの線路を選んでも大丈夫だ。なのでレイアウト使用者が自分だけであった場合、『複線走行』に『すれ違い運転』として2本の線路を借りての走行も可能になる。
流石にそれを前提とした車両の持ち込みは考えていなかったので、線路は1本だけをサラッと借りた。
次回は複線利用を前提とした車両選択をしてみよう。
まずはそんな中で…
鉄道コレクションの叡山電鉄デオ700形を走行させる。
テスターのように通電試験車のような役割になっているこの車両だったが、なんとか上手く走ってくれた。動きに関してはブランクがあったのでぎこちなかったが、それでも周回をしてくれただけ非常にありがたい。
線路の本数的にはこんな感じに。
あまりにも巨大…ではあるが、この線路たちが埋まる日はさぞかし壮観なのだろう。
叡山電鉄という小さな路線環境においてここまで駄々っ広い環境を走行する事はないが、あまりにも環境が浮いているように思う。
次回は編成を意識した車両を持ち込んでみようか…
かなり学習というか、最初の時点で考えるような車両走行であった。次回はこの宿の為だけに山梨上陸をしたいと思っていた矢先だったので、課題が
増えると何か嬉しい。
電車と主にコースを周回し、車両のコンディションや線形を確認していく。
ひと段落したので、もう1本車両を追加していこう。
しかし1両編成だと車両の運転にはすぐ気持ちが満たされてしまう。
車両の一周した場所には、待避線付きの駅がある。この駅の反対側にもう1車両を投入した。
叡山電鉄の横、銀色の電車が次の車両だ。
叡山電鉄デオ700形と同じく鉄道コレクションの伊賀鉄道200系・SE53編成である。
こちらの車両も、線路の巨大な状況と作り込まれた街並みの中を走行するとかなり浮いてしまう…が、銀色のボディに一直線の赤色帯がその違和感を少しだけかき消そうとしている。
この伊賀鉄道200系は、東急の1000系。
それこそかつては東急の車両として東京を走行していたので、街の情景には似合ってしまうのだ。
伊賀鉄道に譲渡され、三重県の伊賀市を走行している間にはこうした街並みの情景にはまぁ…巡り合わないが東急電鉄の顔が町の中に入るとそこまで違和感は感じない。
伊賀鉄道200系、東急時代と変化しない顔の方。
この顔が町の中に現れた時の関東らしさは非常に面白い。
「おぉ、走らせてますか?」
スタッフの方が模型の走行音、模型の電気が流れる音を聞いてやってきた。
「あぁ、どうも。本当に楽しいです。」
「それは良かった…!喜んでくれて嬉しいです。」
ただ、この車両に関してはあまりにも伝わりづらかったようで
「ん?走ってるのは…?」
と少し困惑させる事態に。
「あぁ、これは…伊賀鉄道の車両ですね。」
「伊賀鉄道かぁ…乗った事ないなぁ…」
あまりにも地味、以前に存在が遠かったようだ。なんだろう。マニアック過ぎたかなぁ…
先ほどの東急スタイルの顔が走行中に顔を覗かせると
「あぁ、東急からやってきた車両か!!」
で収まり、すぐに分かってもらえるが反対側の車両…反対の切妻スタイルの車両に関しては東急とかけ離れた顔をしている。
「なんだこれは?」
と思わせてしまうに違いない顔で、その強烈な個性はかなり目立つ。
駅停車中に。
こんな感じの『とにかく走れるように運転台つけておきました』感のある顔で、周囲に対するウケはかなり充分である。
スタッフの方とも話したところだったが、この違和感のある車両。かつては東急で活躍し、先頭車化改造をされた上で伊賀鉄道に譲渡…までは話の中だが、かつては三重県の企業のラッピングをしていた車両だった。
伊賀鉄道での活躍は長期に渡り、この車両に装飾された広告も掲出期限を迎えたのである。
そうした中で、期限を迎えた広告は剥離が決定した。
契約を更新して新しいラッピングになる事はなく、結果として期限を迎えたこのSE52編成は東急時代の素のまま状態で活躍する事になった。
結果として『東急時代以来の赤帯』になったこの編成改造された側に関してはそんな言葉使えないがは、現在でも広告更新されず銀に赤帯という東急時代と変化のない姿となり根ざしている。
駅に停車中、写真の映えを狙って1枚。
改造された顔の車両が駄々っ広い地平の駅に停車する様は、写真としての良さを越えて笑いが何処か先行する面白い写真だ。
後方に見えるボケの加減、そして駅に佇む乗客の姿がこの写真の中では良い味に仕上がっているように思う。
少しだけNゲージの材質であるプラスチックや模型に使用している電飾などが目立つが、そうした事を抜きにしても会心の1枚が残せたように思う。
家では狭小環境の自室の為、模型と戯れる、イジるような生活とはどうしても遠ざかってしまうのだが、この環境であれば自分の忘れかけていたホビー魂がメラメラと燃え盛る。
悩む選定に
鉄道コレクションの2編成が力を発揮し、足鳴らしが軽く完了したところで、本命の模型を取り出した。正直、自分にとってコレを走らせたいと予約時から希っていた編成である。
まずはその編成の先頭に立つ車両を。
国鉄を代表する直流電気機関車、EF58である。
昭和の時代を特急つばめ・寝台列車・臨時列車に荷物仕業…と時代を駆け抜け、平成の時代はジョイフルトレインの先頭にも立った一流の電気機関車である。
自分の中ではかなり前に貯金で購入したKATOの電気機関車…としてお気に入りの機関車であり、最近の模型関係の用事では連れ立つ事が多かった。
そして、本命を取り出し線路に置く。
旧型客車群だ。
既に新品状態で10両近い長大な編成に仕上がり、機関車も3種類の機関車で牽引が可能になっている。保有している機関車に関してはまた紹介しようとして…
今回は、悩んだ末にEF58に先頭を託した。
写真に映り込む客車、オユ10形にEF58を連結させる。
連結後、超低速の速さでゆっくりとコントローラーツマミを回転させ、機関車を走らせた。
荷物車・荷物室合造車を先頭にした客車列車の編成をEF58を頭にして駆け抜けてく。
ようやく様になってきた。
この光景が見たかった。今日の光景の中で最も嬉しかったのはやはりこの瞬間だろう。
自分の持ち込んだ模型が、宿内レイアウトを走行するシーン。
1/150に縮小された世界の中でも鳴り響く独特なジョイントサウンドに、駅を通過する時の客車の軽やかな走る音が混ざる。
消えゆくテールライトの美しさを感じながら、レイアウトの世界観に見とれていた。
駅停車中のEF58+旧型客車編成。
改めての紹介になるが、編成の長さは10両を越えている。荷物車を連結しているとはいえ、その長さは自分の保有している模型列車の中では最長の長さになる。
駅に一旦停車させ、編成を記録する。
普段はケース内に閉まっている車両も、こうして駅に停車させているシーンを撮影すると改めて鉄道模型が『工芸品』としての迫力を放つ事に。
そして同時に過ぎる気持ちとしては『買って良かった』の充実感である。
普段はプラケースに入っている青い電気機関車が、再び輝きを取り戻した。
アングルをもう少し変えて記録する。
新幹線ばりの高架駅を背にし入線するその姿は、往時の夜行列車・長距離列車そのもののすがたである。先ほどまでの地方私鉄だらけだった空間が、一気に昭和の年代まで遡ったのだった。
撮影の時間がただ溶ける。走らせなくては、とじっくり景色を楽しみたいが交錯し、どうにもならない感情が引き出されてくる楽しいレイアウトだ。
このレイアウト、先ほどから少し面影があるように建物の電飾、駅もしっかり光っている事から電装化されているのが特徴なのだ。
なので、これらの旧型客車に室内灯を挿入すれば名実共の『夜行列車』としての本格的な雰囲気を演出する事が可能なのである。
写真はカーブで停車させて記録した1枚。
奥に映り込む三重交通バス?と列車の選定が明らかにおかしいが、そこは模型なので『永遠の命』として御了承を。
イメージの投影
レイアウト内は、目線を下ろせば様々な風景を見せてくれる。実車さながらの光景だって撮影可能だ。
そうした中で、
「なぜEF58を牽引機にして持ち込んだのか」
には理由があった。ここでようやくカミングアウト。
ここから先は撮影した写真を想像図のようにして並べ、今回の列車のイメージを解説する。
令和6年の出来事に、北大阪急行による『悲願の箕面萱野延伸』として大阪の交通を変える大きな出来事があった。
そんな北大阪急行は、かつて『万国博中央口』という駅を千里中央から延伸して期間限定で路線を敷設。
そして大阪万博が閉幕すると即座に線路を撤去し、自動車道に切り替えて現在も残している過去がある…が、そうした中で何故この『EF58形と旧型客車』が関係してくるのか。
大阪万博開催時には、関西の私鉄は勿論の事、全国から大阪万博に入場客を輸送する『国鉄』も大きな使命を背負う事になった。
当時の国民大注目の行事の中、多くの臨時列車が運転され多くの国民が大阪と全国を行き来した。
そうした中で、国鉄は当然として『大阪万博専用』の臨時列車を運転してこの大事業に対応した。しかし、その中で絶対に忘れてはならない存在の列車がある。
万博臨時列車の中で窮地に追われた国鉄の設定した奇跡の臨時列車『エキスポこだま』をご存知であろうか。
そう。この列車の牽引機を務めたのがEF58形であり、かき集められた全国からの助っ人旧型客車たちが編成を構成したのだ。
大阪万博の開催期間中、夏休みに入って万博の開門時間が夜の22時30分まで延長された。
しかし、民族大移動状態となった大阪の街。
最終の新幹線には乗車できない万博訪問者が急増し、新大阪駅に取り残される事になってしまった。
国鉄はこうした『新大阪駅に取り残される訪問客』を救済…つまりは目的地に帰れる列車を設定しなければならないという緊急事態に追い込まれた。
しかし、全国の車両たちはどれも万博輸送で各地と大阪を結ぶ為の輸送力増強に使用している。一体どうすれば、新しい臨時列車を運転できるのだろうか。
ダメを承知で、国鉄は賭けの手に出る。
全国の車両基地に、『余剰となった客車』がないか手当たり次第に問い合わせを進めたのであった。
すると、この賭けは見事に的中する。
鳥取から、静岡から…全国から余っていた旧型客車たちが発見され、列車の編成が組成されたのだ。
列車の編成は、旧型客車たちの回収で成功。あとは列車の運転時間だけ。しかし、ここで問題が発生だ。
『東京駅に向かってそのまま運転した場合、東京近郊で通勤通学の朝ラッシュと衝突』
してしまうのである。
当然、全国からかき集めた客車の助っ人臨時列車なんて朝ラッシュの中に投入できる訳がない。そして当時の東京近郊の通勤ラッシュは殺人的な混雑を記録していた。そんな状況でどうすれば…
そんな時、国鉄はとある列車を発見した。
東海道本線の途上、新幹線の駅もある三島で朝に新幹線の回送列車が東京に向かって送り込まれているのである。
この回送列車を、万博期間中は客扱い列車とする…その策で、大阪から乗車した夜行列車の乗客を新幹線連絡で東京に向かわせる手段が成立したのだ。
これで東京駅に向かっても、朝に発生している殺人的な通勤通学のラッシュアワーには巻き込まれないし、列車を入れる余裕も新幹線振替で確保だ。
こうして、エキスポこだま…という臨時列車が、大阪万博の期間だけ運転されたのである。
国鉄が呼び起こした奇跡の臨時列車だった。
こうして、大阪万博開催期間中に窮地脱出のようにして誕生したのが、臨時列車『エキスポこだま』。
その時刻は22時58分に大阪を発車し、三島に朝の6時53分到着。そして三島から全席自由席の新幹線と接続し、新幹線は三島を7時05分に発車。東京には8時10分に到着するという時刻で運転されたのである。
大阪万博開催中は大車輪の活躍でこの臨時列車が運転され、多くの国民たちの移動の支えになったのである。当然、期間中は満席の状態が続き、大好評となったのであった。
興味のある方、詳細に関しては皆さんの手によって是非調べていただきたい。
北大阪急行箕面萱野延伸→北大阪急行といえば大阪万博→大阪万博といえば波動輸送→波動輸送といえばエキスポこだま→あ、それ再現できそう
という形で関西の交通の祝賀に便乗した。(絶対わかんない)
からのノリでかなりクドい編成となったが、かつての国鉄の栄華を偲ぶのには十分すぎる。
実際の反応は?
EF58+旧型客車編成を持ち込んでの走行。
実際はどうだったのか…というと、走行している様子をスタッフが見たときに
「おぉ、中々渋いの持ってきましたね…」
とのお声がけであった。
「はははっ、国鉄がどうしても大好きでして。」
そう答えるしかないが、更に追加して話すと
「もう今は面影の少ない、写真内の国鉄が大好きなんですよ…」
との追記も。保存車観察を経て、こうした穴から這い出てくるとは誰も思わないだろう。
ちなみに『敢えて』になるがこの質問も追加した。
「20代でこんなの持ってきた人いますか?」
「うぅん…20代のお客様だと初ですね…」
やはりだったか…
よくこうした編成を持っている、と開示した時。また、一緒にレンタルのジオラマに行って走行する時などによくこの
「渋いですね」
的な感想は頂くのだが、若者の保有車両の中ではかなりのレアケースを行っていたようだ。自分でもかなりの予想外である。
コレクションにターゲットを絞って仕舞えば実際は何を集めようか自由なのだが、改めて言われないと目覚めない事も多い。
結構年齢と乖離している、というのは話としてというかイメージではそうなるようだ。
世の中、まだまだ国鉄時代から継承された車両がJRに残存していたり、または国鉄での活躍を終えて第三セクターで第二の生涯を送ったりする…というのはよくある話で、かなりの長老と化した車両も存在する。
しかし、引退が近づいたそうしたモノを追っていくのではなく、自分の中では時代の猛々しい感じが大好きで、そこに惚れたので『敢えて』現代に残る国鉄ではなく
『かつての時代を風靡した車両たち』
を集め楽しんでいる次第だ。
また次回は、急行形電車の長編成やL特急の豪華な編成なども持ち込んで楽しんでみようか。
それか、2軸の輸送力をフルパワーで見せつける貨物列車でも持ってこようか。
あまりにも走らせて、見ていると考えが広がりすぎて止まらない。ここまで楽しいとは想像もしなかったものだ。
東京・大阪の高騰したレイアウトの需要よりかは1日通しての宿泊によって、じっくりこの場所で楽しむのもアリかなと考えさせられた。
冒険は終わらずして
巨大ジオラマがある場所はかつて、宴会場のような場所だったらしい。
かつては線路沿いの旅館として営業したこの『鐡の家』は、現在大胆に改装されて鉄道ファンの為に。全国から鉄オタを呼び寄せる場所に変化した。
そんな中で、この座席がある。
本物の車両から供出された謂わゆる『廃部品』である。
「コレってなんなんだろう…」
最初は、甲州の鉄道をコンセプトとした宿の設計上…で自分の予想として211系の座席ではないかと予想した。
しかし、写真の横に正解が記されている。
京急2000形だ。
「これ、京急の座席なんですね…」
スタッフと話をする。
「そうなんですよ。前に働いてたスタッフさんの1人が京急大好きで、沿線で生まれ育ったのかな?」
「えぇ?!京急が好きな方が御勤務されていたんですか!!?」←巨大な衝撃
「でもつい最近…何ヶ月前だったっけ。ここを卒業して、新しく宿を開業されるとかで…」
「ホンマでしたか…僕実は、関東大手私鉄では京急が1番好きなんですよ。」
「うわぁぁぁぁ!会わせたかった!その方、すごく京急のファンで結構色々残していったんですよね…」
その後、スタッフの間で
「(本名)さん、京急好きらしい!」
「マジかぁ、こんなタイミングで…?」
との話もあった。あまりにもキツいニアミスをしていたようである。
ちなみに、この京急2000形の座席を残して卒業したスタッフの方は、茨城県の竜ヶ崎市に宿を構える準備をしているという。
この『鐡の家』を参考にして、鉄道の宿…を北関東に開業されるようだ。
レイアウトの奥には、模型の販売コーナー。
組み立て済みの模型や、スターター用の編成が多く置かれている。中には鉄道コレクションをNゲージ対応にと金属車輪に履き替えさせたモノも混ざっており、さながら模型店のような装いであった。
正直、記録に許可を得て写真を撮影したのだがこの部分だけを切り取って見て仕舞えば、この場所が『ゲストハウス』だとは分からないだろう。
正直な感想。正直な話。
鉄道にそこまで大きな興味はなくても。鉄道に対しての理解が全くなくても。
『変わった宿に泊まる』
という体験では全然面白いのではないかと思ってくる。
やるかどうかは任せます…
バスコレクションなどの販売も実施している。
本当にココはゲストハウスなのか?
間違ってホビーショップに迷い込んでいないだろうか。
商品に関しては販売コーナーから吊り下げ分を取って、カウンターに行って会計をする。お土産としてこうした品々も購入できるのだ。
勿論、道具商としての資格も保持しており、販売への気合と準備は充分である。ちなみにバスコレのコーナーに京都市バスが吊られているのですが宜しければ探してみてね
所狭しと並んだ商品、部品、グッズ類。
中には展示品もあるが、一部は実際に手に取ってお土産として持ち帰れる。果たして山梨土産としてカウントされるのか…となれば微妙なラインかもしれないが。
なお、この他にも少し奥まった別室に『模型販売専用』として区分けされた部屋もあり、その中には秘密基地の勢いで模型たちが確保されていた。写真に関しては撮影していないが、襖?を開いた瞬間に見えた光景…模型の並ぶ壮観な姿に
「なんじゃこりゃあ!?」
とマンガのような声が漏れそうになる勢いの部屋があった。
年季の入った中古品に、廃盤になった模型、生産していない車両、古い模型の線路、ジオラマ部品…大量に確保されている部屋は、1回見てしまうと忘れられず長居してしまうのであった。
なんだろう。正直この宿で、『趣味だけ』に専念して一夜を過ごせるかもしれない。一睡もせず、徹夜で過ごしたとて神には怒られないような気がしてきた。
しかし、流石にもう次の場所があるので模型の楽しみもソコソコにしてジオラマ内に溶ける車両の撮影を終え、自室に戻った。
改めて…になってしまうが。
本当に楽しかった。こんなに自分が『鉄道が大好きで良かった』と思える宿は他になかったし、それを誇れる場所は久しぶりに訪問したかもしれない。
あ、そうそう。折角なのでお土産を買いました。
それは何かって言いますと…
お土産???
こちらなんです…
実は大量の模型関係・ホビー関係の品々の他にも、鉄道に関しての中古書籍に時刻表が販売されていたのである。
中古書籍の中に入っていたのは、かなり昔の(もう20年以上は前だろうか)京阪神間私鉄三つ巴に関して記した鉄道雑誌、そしてこの『DJ』こと鉄道ダイヤ情報である。
鉄道ダイヤ情報…に関しては、即決でこの書籍にした。
平成31年の阪神電車号。
この書籍、地味に探していたのでまさかの宝であった。鉄道ダイヤ情報の大手私鉄をフォーカスした特集に関しては将来的に全17社欲しいところだ。
中には阪神電鉄に関係する所で平成の自然災害でもかなりのダメージが残った『阪神・淡路大震災』での阪神電車車両の変遷を記した小型の閉じられた冊子の付録も入っていた。
まさかな土産を手にして、翌日の体力温存に備えたのである。さてこの山梨を、どう回ろう…
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