ACT.28『九州グランドスラム 8 to summon or rouse to activity in Miyazaki』
辿り着いた先に
熊本市内から140キロ以上の移動を経て、遂に都城市に到着した。「鹿児島県に渡りたいから鹿児島に近い場所に泊まりたい」と意気込んだのに、こういった結果になったのは自分が九州を知らなさ過ぎるが故の結末だろう。宗太郎越えにしろ、豊肥本線にしろ今日は感じた事が多過ぎた日だった。
が、西都城でもホテルの場所が分からず悪戦苦闘してしまう羽目になってしまう。一体自分は何処を目指しているのだろう、と人気も誰もいない場所をずっと放浪していた。しかも自分は制服姿なので、警察官に見つかってしまえば速攻でパトカーや自転車が横付けされて職質間違いなしだろう。きっと、両さんかテレビドラマに出てくる警察官じゃなければ自分は上手くこの制服事情を説明できないような気がする。そんな感覚で都城市内をグルグル回って知らない間に時間が過ぎた。いつになったら着くのだろう。
到着したは良いものの、ホテルの裏側で駐車場の立体に紛れ込んでしまうという謎っぷり。ここからフロント側を探すべく再び走り回ったが、それも時間がかかった。そしてようやく辿り着き、都城で休息の時間を取れたのは日付が変わる寸前の頃合だった。自分にとっては処理できない事態を多く抱え過ぎた故…だろうか。本当に着いた瞬間はフロントの係員さんに頭を下げ、必死で事情を説明した。急いで案内の部屋に向かう。
バブリールーム
都城市で宿泊する事になったホテルは、実に平成の旅行ブーム豊かな設計が尽くされたホテルだった。このホテルの造形、そして平成感が随所に多く散りばめられたその内装に接して「もっと早く目指せば良かった」とひとしきりに後悔の念を抱いてしまうのであった。再びこの宿を目指してみたいと思う。
室内にはこの他にも旧式の湯沸かし用のポットがあったり、作業机も少し凝った造りになっていたりと若干高級そうな調度になっているのがまた旅の楽しみを人々が求めていた時代を想起させる素晴らしいものだった。このホテルなら無限に時間が溶けたのに…と本当に今は思ってならない。寝てしまうのも惜しいくらいだ。
この日の食事(リザルト)。
結局。宮崎でマトモな食事を食べてこの大地を過ごしている時間はなかったように思ってしまう。佐伯駅周辺にあったファミリーマートで買い込んだプロ野球チップスをアレンジして混ぜ込んだオリジナルの食事を摘んで、この日は済ませた。
そしてえ、暇つぶしに
「何あるか見たろ」
とボヤいてスッカリ古くなった液晶のテレビに電源を入れた。この1世代前と来たら、確実にブラウン管かもしれない。
映ったのはNHKと軽い地域局、そしてある程度の民放だけだった。この時間なら深夜アニメも…と思ったが結局鑑賞はできなかった。もし放送していたらずっと眺めていたのだろうか。
結局、この日は翌日の準備を手早く済ませて就寝した。宮崎の初訪問は、マンゴーも宮崎牛もチキン南蛮もなく無慈悲な旅路となった。「次こそは我が内臓にこれら宮崎名産の味を!」と誓い、少し身体を充電する。
バイバイ!バブリー
都城のホテルを離れる時が来た。遂に今日は自分の鉄道最南端の記録が更新される大事な日なのだ。少し緊張も混じった気持ちになっている。
と、ホテルの外観だ。シンプルというか、何も飾っていない感じが素晴らしい。そして、宴会場の貸切や予約どうですかと宣伝を打っている看板に関しても非常に年代を感じるモノだったのだが今回は撮影ができず断念した。(映り込んでいる)
ホテルのロビーも焦っていて分からなかったが、翌朝になって見てみると良い感じにざっくばらんというのか。良い感じに年季を食っているのか。豪華で少し威張ってる感じはすれども、落ち着けそうな雰囲気があるロビーだった。こんなロビーがあったなら夜をこの場所で明かしたかった、と思ったがもう遅かった。また次回だ。
このバブルを詰め込んで解き放ったかのような宿と別れよう。気を取り直し、新しい自分を見つける旅に向かうのだ。
都城の街中を歩いていると、夜中に到着してしまったが故にかなり色々と見てしまう。
「あそこはこうなっているのか」
とか
「あの時間帯はつい何時間か前まで皆んなで飲み明かしていたのだろうか」
とか。そんな事を考えつつ、西都城に戻る。
西都城に戻る間に見つけた玩具屋の看板。アンパンマン・ドラえもんに関してはひとしきり分かるとして。
自分の中ではデジモンが衝撃だった。こうしてあるのだと。デジモンに関するコンテンツに触れたのはいつぶりだろう。友人たちの中でも既に30代付近の方々がデジモンを見て「世代」と口にしているのを聞くと、きっと相当前のコンテンツなのは分かる。
デジモンに関する思い出で少し触れるのだが、自分がはじめて参加したライブは声優の石原夏織氏のライブだった。NHK大阪ホールで開催されたモノである。その際に和田光司/butterflyが石原夏織カバーで披露され、世代経験者の方が大いに盛り上がったという話があった。自分内では「?」だったが、友人に
「butterfly…デジモンやったけど…」
と話したところ
「お前とその間だけは入れ替わって盛り上がりたかったなぁ…!」
と言われた。今でも記憶している、自分の拙いデジモンの記憶である。
後に判明したが、石原夏織氏はデジモン世代であり現在も放送が継続されているデジモンシリーズにも関わっていた声優だと判明。そして現在に至るまでデジモンを愛している声優なのだとか。世代をそのまま形に閉じ込めた方も珍しいだろう。
という非常に小さい事を思い出してしまった。しかし、街中の玩具屋は端午の節句ムードである。男児の成長を願う祈りが、そこここに広がっていた。
道中のコンビニで朝の食事も多めに買いつつ、西都城の駅に戻ってきた。この駅から再び日豊本線に乗車し、今回は鹿児島中央を目指していく形式となる。
そしてこの西都城で、あるものを発見した。
それがこのC形機関車の動輪だ。この都城市付近、宮崎県で蒸気機関車が活躍した功績を称えての設置のようだ。
「思えば自分も映像で日豊本線を走るC57やC55の映像を幾つも見かけたな」
と考えつつ撮影した。
現在の日豊本線は華やかな電車たちの聖地であり、動力近代化以降というのは花形列車や幹線列車の街道として九州に名を馳せ鉄道ファンに全国親しまれた。
しかし、時を前にすれば日豊本線は昭和の時代。スマートな3軸動輪を持つ蒸気機関車たちが闊歩する場所というイメージが強い。九州のC57、といえばやはりこの日豊本線をはじめとした宮崎の大地が想起されるだろうか。動輪の儚い状態からは想像も付かないが、この南国の大地を疾走したC57とは美しい機関車であった。SLブームの折にメディアが『貴婦人』と親しみを込めてその姿に親しみを込めた意味も頷ける国鉄の逸品だ。
離れ薩摩と栄光の背
西都城の駅を、人は『鉄道の拠点だ』と呼ぶ事があるそうだ。しかし、自分が朝に通った時はそう思わなかった。写真のようにだだっ広い構内。そしてそこに待合せの暇を持て余すような列車文庫。実に勿体無い構造だと思う。
文庫本が好きな自分なので、つい自分はこういった場所に余念がなく探してしまう。アテもないのに。
そうして見つけた本に驚いた。『聖の青春』という本が置かれていたのだ。
「お、まさかこんな場所で見かけるとは…」
つい自分でもリアクションが広い無人の駅で溢れる。
天才将棋棋士として時代を風靡し、あの羽生善治・谷川浩二と渡り合った難病の将棋棋士・村山聖について記された小説である。中には将棋の
棋譜表なども記されており、非常に難しい書籍のように感じられるが自分では面白い書籍だった。読む手が止まらなかったのを今でも鮮明に記憶している。
少しだけ寄り道。改めて紹介していくと…『聖の青春』という文庫小説は、大崎善生によって記された小説だ。ネフローゼという難病と闘い、幼少期から死を意識した生活をしてきた将棋棋士、村山聖の物語が記されているノンフィクションの小説である。
この小説では、村山がネフローゼに罹ってから幼少期・青年期付近までの闘病。そして、師匠となる森信雄との出会いから東京での将棋棋士状況生活に棋士ではなく、人間・村山聖としての生活…などが記された小説だった。村山はこのネフローゼの難病に罹患した事で29歳という若さで逝去してしまった太く短い将棋棋士であったが、羽生善治など後の将棋棋士に与えた功績は非常に大きいとされている。
小説では村山逝去、そして村山が世をさってその後…の経緯までが記され読む人をも号泣させた感動小説との事で世に出回ったが、自分の中では勝負事の楽しさや若者としての生き方への影響などをこの小説に与えられた。多くを記すとネタバレや本を手に取ろうとする初動の気持ち…などが消えそうになるので記さないが、少なくとも自分の家に『影響を受けた書籍』として保存しているのだけは確かだ。
都城はその昔、『島津家』の領土だった。その際、島津家の「丸に十字」の家紋を背負っていたのだがこの「丸に十字」の薩摩家紋が、都城だと少し違う。
十字と丸の接続が離れているのだ。
コレは島津家の分家が多かった為で、本家による命令なのだという。何しろ、島津の家というのは分家が多く80近くにも上っていたというのだからその規模には脱帽してしまう。そういった中、都城はこの『丸と十字が離れた薩摩家紋』を用いて『都城島津家』として世に示して生きることになったのだ。
しかし、この形状がいつ、島津の家紋になったというのは定かになっていない。それまでは本家と混同した家紋を使用して生きていたという事になるのだろうか。
宝永2年の11月。都城島津家に対し本家が「十字と丸の位置を離すように」と正式な命令を出していたのだけは都城市の調査で判明している。
この時期というのは徳川の幕府が葵の御門に対しての規制や強化を行った時期であり、類似した家紋や家紋の厳しい統制などを実施するようになった。
その結果として、分家などを持っている藩にもこの運動が普及していく展開となる。似たような運動は他の藩でも実施するようになり、その結果として島津家が『都城』で実施したのである。
こうして、幕府や全国的な家紋の運動を契機にして『都城島津家』の存在は認知されていく事になった。
現在ではこの『離れ薩摩』の家紋に関しても、『都城市の象徴』として生き残っており、昨日の到着した夜中にこの状態で駅を見上げるならば正に『黒鉄の城下』と呼ぶに相応しい状態であった。その荘厳たるや、実際の迫力には圧倒されるのである。
ちなみに、都城市の『みやこのじょう』の由来というのは永和元年の年に北里義久が現在の都城市の(現・都城歴史資料館)都島に城を築城した事が、この『都城』という土地名の始まりのようである。
そうした古き戦国の志士の息吹を浴びて、いざ薩摩へ向かわんとすか…
鉄路は大隅へ
まだまだ、自分の通りし場所を薩摩と呼ぶには早いだろうか。そんな気配すら感じてしまう。都城が幾ら鹿児島県に近くたって、あと堪えるほどの距離はあるのだから。
そうして、昨日は見ていなかった(見れなかった)西都城の駅について観察する。駄々っ広い高架の広がる駅舎だ。
そして改札に関しては朝も駅員がおらず
「切符大丈夫??」
な状態であった。乗務員や電車に色々背負わせすぎではないのか、JR九州よ。
そういえば、この西都城は廃線されていなければ志布志線が入線している場所であった。国鉄の採算が悪くこの時代まで生存する結果にはならなかったが、生存していたら一体どんな朝を自分は迎えていたのだろう。
列車がやってきた。青いCTマークを付けた817系である。
「この電車に乗れば、いよいよ最南端が更新だ!」
と雄々しく乗り込もうとしたのも束の間、扉が開かなかった。それは近くにいたお婆さんも同じくだったようだ。
「お婆さん、前やわ!!」
鹿児島の大地が見え始めた事に浮かれた自分の気分が動転したのか、撮影で後部の乗車位置に居たようだ。取り残された制服人間とお婆さんのシュールな絵面が残され、前方のドアを大きく広げた車両に向かい走り出した。
いよいよ行き先は『鹿児島中央』だ。この電車に乗車すれば、JRの鉄道線路で迎える最も南の都道府県が迫っている…!
宮崎県・都城市と別れ。初の宮崎県は、地鶏も食えず朝にツルッとした南国のフルーツも食せずと勿体無い訪問となった。ちなみにホテルで食する予定だったパウチの地鶏があった…のだが、コレに関しては戻す手段がなかったので知人にプレゼントした。喜んでいただけたろうか。結局、朝はコンビニのパンを貪っているだけである。
都城の栄光と考えて…と電車内で思念していると、自分の中で忘れてはいけない人物がレールの響きで浮かんできた。
沢村賞を何度も勝ち取り、投手として獲得できる賞は全て彼は獲得したのでは…と目論まれるオリックス・バファローズの山本由伸投手だ。
山本由伸投手は、出身・育ち…こそ岡山県備前市だが高校時代の野球下積みに関しては都城高校で生活した。
そして、オリックスでドラフト4位にて平成28年入団。当初は現在の背番号『18』ではなく『43』を背負い抑え投手として活躍していた。
現在のように先発に転向したのは、平成31年。この年に最優秀防御率投手賞を受賞し、コレが自身初のタイトル獲得となった。この年の防御率・成績に関しては登板20試合・8勝6敗・防御率1.95であった。
令和の時代に入ると山本の動きは加速していった。令和2年には18試合登板・8勝4敗・防御率2.20と149個の奪三振を残して『最多三振奪取賞』を獲得する。
令和3年。開幕投手の大役を務めたシーズンであった。26試合の登板と18勝5敗・防御率1.39に206この奪三振を記録している。そして、自身初のシーズン期間中15連勝という大記録も保持した。この成績はリーグ優勝に大きく貢献し、チームの歴史に一気に名を刻むようになった。この年は山本の光が更に輝きを増した年だろう。受賞した賞は『MVP賞』『三井ゴールデングラブ賞』『沢村賞』『最優秀防御率投手賞』『勝率第1位投手賞』『最多勝利投手賞』『最多三振奪取投手賞』『ベストナイン賞』を記録した。栄光を語るには相応しすぎるのではないか。
令和4年。この年遂に、6月18日の埼玉西武戦でノーヒット・ノーランを記録する。(ベルーナD)この年にはオリックスが青波・阪急・近鉄…と様々な歴史を経ての久々な日本一を飾った1年だったが、山本もその栄冠に貢献した1人だった。
この年の山本の最終成績は、26試合登板・15勝5敗・防御率1.68・205奪三振であった。受賞した賞は昨年続きの『MVP賞』『三井ゴールデングラブ賞』と、『ベストナイン賞』(コレも昨年同様)を記録した。そして、『沢村賞』『最優秀防御率投手賞』『最多勝利投手賞』『最多三振奪取投手賞』と、投手初の2年連続の四冠を成し遂げてみせた。
そして、今年もWBC2023に出場し同時に。オリックスでの活躍や話題も事欠かない山本由伸投手。
決して多くの縁がある…とそうした話ではないが、都城の大地がこの大エースの成長に脈々と関わっていた事は忘れてはならない事実だろう。
最後は少し、話が大きく自分の愛するエースの話題になってしまったが…コレも愛か個性という事で。
そうしているうちに、列車は鹿児島県に入線したようだ。いよいよ、このグランドスラムにも終点が見えようとしてきた。
果たして、鹿児島でこの男を迎えるものとは?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?