期せずして
段々と文字を綴っていく時間が低下し。
自分の中でもどうやって処理をしていけば良いか分からず…ネタにも困っていく中で、最近少し驚くべき事に遭遇したので書いていく事にしよう。
先日の事だ。
敬老の日という事で、祖父母の遺骨がある仏壇を訪ねた時の帰り道である。
四日市に行こうと近鉄名古屋線に乗車していたところ、途中の塩浜で通過待ちの際に名古屋線の車両としては見慣れない番号である
『8617』
という番号を発見した。
そして塩浜駅のホームを見れば、カメラを構えた所謂『撮り鉄』が何人か闊歩している。
「え、あぁまさかの…」
その時になってようやく確信したのだが、今年の10月以降に登場し奈良線から営業運転を開始していく新型車両である8A系の導入によって廃車になる編成であった。
高安車庫に本来であれば廃車回送していくべきところだが、どうやら8A系の搬入と時期がリンクしている為にわざわざ山を越えての塩浜へ廃車で送られたようである。
ホームを闊歩する鉄道ファンと三重県では見慣れない車両番号を脳でようやく理解した瞬間に、
「8617、8117…かぁ」
と事態を整えた。
車両番号をネットで掛けて調べると、
X67編成。
「結構見ていた気がするんだけどなぁ」
自分の中ではまさか比較的若いと想定していた8600系が8A系の登場を待たずして鬼籍に入るのは想定していなかった為、非常に驚きの渦中であった。
割に見た記憶があったので、写真を探ってみた所…
冒頭の写真に遡るのである。
確か、三山木の方で撮影したような気がする。
大学生として空白の時間を過ごすのも空虚だからと、木津まで派遣で働きに行った帰り道に撮影したものであった。
実際に肌感覚では結構観測していたはずだったのに、いざ探せば大半残っていないのは想定外であった。
「結構騒がれているはずなのに、こうして撮影していないのは余りにも抜かったなぁ…」
と感じる次第である。
どんな趣味を持っている人にも言える事になってくるであろうが、やはり
『時間を費やせる時に費やす』
のが1番であるように感じる。
そうでないと、こうした後悔の時間を反芻するようになってしまうのだから。
折角の機会であったので、帰り道には一旦そのまま伊勢中川から直接帰ろうとした道を途中下車して塩浜駅に寄り道し、そのまま車両を眺めて帰る事にした。
簡単な記録を残して、帰路に着く。
多くの鉄道ファンや高価な機材を手にした『撮り鉄』たちが闊歩している様子を見ても、あまり気分が湧かないようになってしまった。
写真が、自分にとってのX67編成最後の記録だ。
塩浜の工場内に取り込まれ、電源を落とした姿を見るとようやく廃車の実感を強く感じる。
京都や大阪でよく見ていた番号を離れた三重の地で見ると、やはり違和感は拭えない。
関西地区の事情が事情で押し出された結果でここに来ているとはいえ、
『浮いている』
存在のように見えて
『浮いていない』
ように見えるのはやはり先代形式、920系から編入されて現在も名古屋線で活躍する1010系の影響になってくるのだろうか。
そうだ。
このX67編成は、鈴鹿線の出火事故を原因にして突如編成組み換えを実施する事になり、編成内には元・1010系の車両を挿入している。
サ8177…としてかつての1010系時代は電動車だった車両だが、8600系として奈良線への里帰り時には電装を外されて『付随車』になり、かつての職場に戻ったのである。
サ8177…は皮肉にも最期を迎える場所が1010系時代の里帰りであったが、この車両は
『奈良線→名古屋線→奈良線』
と活躍し、最期には廃車の為に片道切符を携えて、再び名古屋線に帰ったのである。
変わった街並みを見て、何を思ったのだろうか。
そして、京都・大阪方先頭車であるモ8617には2両編成時代の名残である
『前パン撤去跡』
が残されていた。
コレに関しては現在埋まっているが、近鉄ファン・関西私鉄ファンにとっては
『異端な存在』
として密かなる注目を浴びていた。
最後に。
乗車していた急行の通過待ち車内で撮影した写真を掲載して終わろう。
自分の地元周辺を走っている車両をこうして京都・奈良・大阪…と全然縁のない場所である三重で見るのは中々の遭遇である。
しかし、こうして奈良線の車両が三重県の塩浜で最期を迎えるのもまた
『日本最大の私鉄』
である近鉄が抱える『らしさ』なのであろう。
少し不思議な感覚になり、塩浜から急行電車に乗車して京都への家路に戻ったのである。