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何者でもない僕が生きる道


15年間のサッカー人生は呆気なく終わりを迎える




それから3年




21歳新たなサッカー人生の幕が開ける




2021年の終わりに、私の人生と思い、そしてこれからをつらつらと綴っていきたいと思う。


それでも僕は何度でも


3年前、私はサッカー選手になることを諦めた。

それからというもの、何を目指しているのか、どうなっていたいのかなど色々と模索していた。

群馬県に生まれ、14歳になる頃に沖縄に移住し、20歳千葉に行き、21歳現在大阪に至る。

3歳から始めたサッカーにのめり込み、物心がついた頃にはサッカーのある生活が既に当たり前になっていた私にとって、サッカーのない日々はどこか空しく感じている。

朝起きても、あの絶妙な苦しさと、興奮、感動はないのかと、退屈な朝に起きるのも嫌になる。

選手という道を断った私は果たしてどこに向かっていけばいいのだろうか。

家族のために成し遂げなければいけなかったことを、成し遂げることができなかったことに罪悪感と、喪失感。

環境のせいにしたただの負け犬か。。。

「好きなことで生きろ」

ずっと言われ育てられてきた。

サッカー選手という手段を断った今、果たして何で生きていきたいのだろうか。



いつからか、私は”サッカー選手”という手段にとらわれるようになっていた。

思い返せば、あの頃はただひたすらにサッカーが好きで、あの興奮と感動で溢れた舞台に憧れていたのだ。

この憧れに挑むことをやめることこそが負けであるということに気づいた。

(そもそも勝ち負けという表現が適切かはわからないが、妥協して生きるために生きる人生を歩む道を選ぶことは少なくとも私の家族の負けを意味する。ここで言いたいのは何がいいか悪いかという話ではなく、やめなければ負けないという話である。)

身を削って応援してくれていた兄、悔恨の念にかられ自信を失っている父
そして今は父子家庭だが産んでくれた母親

彼らの運命は私がサッカーを始めていなければ大きく変わっていたかもしれない。
私の選択が彼らの人生を大きく変えてしまったかもしれない。

サッカー選手になることでしか、そんな彼らに光を刺すことができないとそう思い込んでいた。

でもおそらく、どんなことを経験しても、屈することなく自分の道を歩み続けることが、唯一後悔の念を晴らし、恩を返し、全てを許すことができる方法なのだと悟った。

私がまだサッカーをしている時、そのことに気づく余裕がなかった。

だから私は、負けたのだとそう思い込んでいた。

でもまだ負けていない。

だから私はサッカーで生きる。

あの興奮と感動で溢れた舞台をこの日本に創ることを目指して。

何度でも。



そんなこと言いつつ、最近はサッカーから離れて活動していたとこから、またサッカーに戻りますというのが今回の本題な訳です。

最初にnoteを書いていた2020年は指導者になろうと思っていた。

しかしそこから、しれっと指導者はおろか、サッカー業界からも離れていた。

これにはいくつか理由がある。

1つ目は、今の日本のサッカー業界の問題はサッカーだけでは解決できないと感じたからである。
問題というよりも、さらに上を目指すうえでという話で、日本には素晴らしい指導者が増えてきていて、そんな指導者を育成する機関もできている。これだけ指導者が奮闘し始めているからこそ私はそこではなく、根本的課題解決に挑みたいと思うようになった。

2つ目は、社会にも与えたい影響があったから。
私の人生はサッカーというやりたいことで生きていきたいという思いがあったが、やりたいことで生きていきたいと思ったり、何かを成し遂げようと思ったりした時、そのためにはお金や指導者だったり、置かれた環境に大きく影響を受ける。
大卒の両親から生まれた子と、高卒の両親から生まれた子の生涯賃金には大きな差が出ると言われるように、何かしら私たちが変えようもないところで差がつけられている。もちろん影響を受けるのは事実ではあるが、手段によって全く別の結果を得られると私は信じている。差に絶望せず、方法を模索し続ける勇気があれば。
どのように生きていくかは、私たちが影響を受けたように、子や孫にまで影響を与える。だから私は、差に絶望し生きるために生きるだけの人生を歩む人を減らしたいとそう思うようになった。そのためにできることが見つからずサッカーから離れていた。

3つ目は、サッカー業界で生きていく能力、サッカー業界に衝撃を与える能力がなかったからである。

これらの理由から、私サッカー界の活動から一時的に離れていた。

これらの細かい話はまた別のところで話そうと思うが、要するに、何者でもない私が日本のサッカー業界に衝撃を与えたり、社会に影響を与えるには力不足だった。

そして約1年間、いろいろな活動や、勉強をしていく中で、サッカー業界に影響を与えること、社会に影響を与えること、そして私自身の夢の実現に近づくための道筋がやっと見つかったところで、有難いことにいろいろな方と運よく出会うことができ、やっと私のサッカー人生が再び歩みだせるところまできたのである。

こうしてサッカーでの活動が再び始まるわけですが、これまでしてきた活動や、人に話していた、”夢の実現を目指し続ける人を増やす”というのも決して建前だったわけではなく、これは私がサッカーで生きる中でロールモデルとなって人に伝えていきたいことだった。

夢を持ちましょう、夢に向かっていきましょうと何者でもない人間に言われてもそれはただの戯言にすぎない。でも、もし私が何者かになったとして、頑張れというのは私のスタンスではない。
何者でもない私と共に実現するまで頑張ろうと言い続けたい。
これが私のありたい姿だった。

だから私は再びサッカーに生きる。
より影響力を与えられる存在として。

結局は乗り越えなければ

私はこれまで人生について考えさせられる機会が多かった。

そんな中で前述したように私は社会に対して思いを持つようになった。

人は何かに挑戦したり、何かを追い求めたりした時必ず何かに挫折する。

それは自分の手ではどうしようもない問題に直面したと感じた時にするものだ。

自分の手ではどうしようもない問題は誰のもとにも訪れる。

私のもとにもそれは訪れ、挫折した。

一時は環境のせいにもしていた。

もちろん環境は人が何かを成し遂げていく上で大きな影響を与える。

その環境は必ずしも変えられるものではない。

これは変えようもない事実だ。

だから何かを成し遂げたり、何かに挑戦していく上では挫折を乗り越えなければならない。

人に不可能だと、環境に不可能だと思わせられても

何度でも立ち上がり、前に進む必要がある。

再起しなければならない。

何かを成し遂げるには。

そこにたどり着く手段や方法はいくらでもある。

でも、手段や方法を選んだとしても、結局は乗り越えなければ。

かと言って、それは決して簡単ではないことは私自身もとてもよく知っている。

そして信じ続けることの難しさをよく知っている。

それでもやらなければ辿り着けないという事実に向き合う必要があるのだ。

ここで言いたいのは、誰もがそこにたどり着く可能性を持っているということだ。

問題を抱えていたとしても、そこにたどり着くことができるということを私は サッカーを持って示していきたい。

絶望するような現実に向き合ってもなお、それのために生き続け、それを可能にすることはできるということを。

私はサッカーに夢を与えられた。

サッカー選手に勇気を与えられた。

そんな選手たちを育てた指導者たちに夢を与えられた。

チームに、グラウンドに、雰囲気に、、

サッカーにはそのような力がある。

だから私はサッカーをもっと多くの人に届けていきたい。

サッカーをしている人だけではなく、多くの人に夢や希望を与えるサッカーを届けていきたい。

そしてそんな世界で生きる人を増やしていきたい。

選手として、指導者としてでなくとも。

乗り越えなければいけない挫折を一人では乗り越えることは難しいと知っているからこそ、共に乗り越えるようなそんな世界を、創っていきたい。

そしていつか、日本のチームが、日本代表が世界一になる瞬間を自分のことのように熱狂的な観衆と共に迎えられる日が来ることを目指して。

私は再び歩み始める。

私の人生を。







今回は思いをベースにノートを書かせていだだきましたが、実際にこれから行っていく活動などを中心にnoteの投稿を再開しますので、是非読んでいただけると嬉しいと同時に誰かに影響を与えていければと思っていますので重ねてよろしくお願いいたします。

かなりの長文となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうござました。

私自身も夢、やりたいことに向かって歩み出したばかりです。これからも多くの挫折を経験することになります。

それでも前に進み続ける姿をありのままに曝け出していきたいと思います。

是非これを読んでくれているみなさん、そしてこれからの投稿を読んでくれる皆さん

共に超えていこう。

挫折しても必ず立ち上がることができます。

最後までご覧いただきありがとうございます。 サポートしていただいた資金は日本のサッカー界の未来のために使わせていただきます。