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逃げ道を自分でつくらない

能力や運にも限界はあるかもしれない。でも、できることをすべてやってからでなければ、諦めや結果を受け入れることはできないだろう。やった後悔よりやらなかった後悔のほうが、悔しさは永遠に残る。だから、自分で「これでいいか」と甘えたら、人生ずっとその「逃げ癖」がつくと思うのです。

1、「逃げない」でやること

人生を振り返っても、厳しい場面はたくさんあった。高校受験のときも、どこも行くような高校がないぐらい頭が悪く、おまけに受験勉強というものを意識したのは中学3年生の5月。

そのときに成績は最悪(偏差値36)。周りを見渡せば、中学2年生からもう受験勉強に向けた準備を進めていたというではないか。塾に行ってもいなかった自分は、其の遅れさえ気づかずに、突然、戦いの舞台に立たされたような気がした。でも時間は限られている。

そこそこの勉強で、そこそこの高校に行く、という選択肢もあっただろう。でも、いくつかの高校を見学してみて、行きたいところは1個しかなかった。偏差値も今の実力では到底かなわない(偏差値67以上が合格圏)

さてどうするか。まずは全くついていけない学校の授業の基礎を中1から学び直さなきゃいけない。近所の塾や、繁華街のある街を避け、あえて、逆方向の街の塾に行くことにした。知り合いや友達がいたり、誘惑があったら、きっと揺らぐとおもったからだ。

毎週2回。帰宅してから、電車にのって40分。そこで2時間+質問と補修に1時間。家につくのは10時半。それを毎週こなした。もう逃げ道がないと思ったから、一回でも、一秒でも無駄にしないと覚悟を決めたら、結果はついてきた。

二学期の通知表は、全教科、4と5しかない状況。偏差値は36▶61へとアップしていた。後もう少し。憧れと縁がないとおもったところが見えてきた。そこから怒涛の追加自主的な勉強も踏まえ、最終的には偏差値64までいき、部活(陸上部)でも市内入賞、生徒会役員などの成果もあったので、推薦入試を進められ、受験。

一般入試の前に、12月中に合格してしまった。夢に見た場所に到達できたこと。それは、はじめて「逃げなかった自分」によって得られた成果だった。

2、背伸びしたら、また底辺から

そんなようやく到達した高校だと、同期はもともとできる人たちばかり…早速、高校の授業についていけなくなった。部活も全国大会に何人も出場する部だったので、こちらも忙しく、数学の時間は睡眠タイムにもなってしまっていた。

「このままでは、また同じ状況になる」

どんな風の吹き回しかわからないが、突然、自分の足が図書館に向かっていた。何もわからないことばかりだけど、とにかくいろんな知識を学びたいと。片っ端から本を借りることにした。

5冊借りて、翌々日には返す。また5冊借りる…其の繰り返しで、どんどん本を読み進めていった。最終的には年間400冊ほどを読むこととなり、学年貸出数で1位になった。

翌年も、また翌年も、同じように活字の虫となり、ついに司書さんから「好きな本があったらなんでも言ってね」と言われ、もはや図書館は「本屋」になった。

何でもほしいと思う新刊を買ってくれる。裕福ではない家庭において、とてもありがたく、満たされる時間と場所だった。

それでも、やっぱり大学受験は学力は到底及ばず、偏差値29ですべて落ちた。行きたい大学は1つだけ。あとは全く興味なし。1浪したが、実力不足。ようやく退路が立たれた2浪目。すべての欲望を断ち切って、300日カウントダウン生活。

毎日10時間。時間割決め、一日も休まず受験勉強を完遂した。これで、迎えた当日。英語は90分のところ10分で解き終え、40問中間違いは1問だけ。他の強化もほぼ8割の得点で無事合格。

どうやら、逃げ道がなくならないと、自分はパワーがでないようだ。

3、自分で自分の尻をたたく

何度も何度も這い上がり、何度も何度もまた底からスタートする。それを繰り返していると、自分で自分を厳しくできるようになる。逃げなくなる。
「これでいいや」などと思わなくなる。

自分で決めた目標と到達点。これを叶えるために努力する。足りないことがアレば、その差を埋めるために工夫する。限られた期限や時間に責任を持つ。そうして、「大人」という頼られる人間にようやくなれるものだと思う。

でも、最近は、自分にも甘く、他人にも甘く、そして、甘えることを「やさしさ」という言葉でオブラートに包み、厳しさを排斥することで、心の安定を保とうとする人が本当に多い。

なにかに傷つき、再起が必要というのなら仕方もない。でも、チャレンジも、努力もせず、「そこそこ」にそもそも目標やゴールを設定して、物事が実現できるとは到底思えない。

もちろん、そんな心構えで、何かを達成したり、社会をよりよくしたり、地域を活性化したりなんてした人を、誰一人見たことがない。

自分で自分に試練を課す。それは苦しいし、ツライこと。厳しいことかもしれない。それでも、己を律することでしか、問題は解決しないし、答えなんて今持っているものの中でしか見つからない。

「できる世界」で安住するのは、「できないまま」でいることと同じ。

人生は一度切りなのに、それでいいなんてもったいないよね。そして、何も成し遂げず、つまみ食いの人生でいたら、誰がその後に続きたいと思うのだろうか。

自分から逃げないこと。2度の大きな壁を乗り越えた自分にとって、大学のゼミの厳しさは「乗り越え可能」な壁になった。
14名でスタートしたゼミ。卒業したときは7名になっていた。毎週毎週の膨大な課題と発表。そして、質問の嵐。答えが詰まれば言われることは唯一つ。

「時間が足りないの?能力が足りないの?どっち?」

前者なら、その場であと「どのぐらい」の時間か約束させられる。後者なら、もう退場するしかない。そんなことを毎週2年間やり続けた人間が、社会にでたらどうなるか。

大抵の困難は困難にもならない。質問攻めでも答えられる胆力はつく。そして何より、すべての物事を、深く、強く、そして広く、やり尽くす。誰にどんなことを言われても対処できるよう万全の準備と努力をする。そうやって乗り越えてきた先にある、「余裕と余力」は、モラトリアムなど必要としない。

逃げた壁は、また同じところでぶつかる。
諦めた高さは、乗り越えるまで同じ高さで存在し続ける。

ねえ、自分で逃げ道作って、恥ずかしいと思わないの?

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