空洞です _谷川俊太郎「詩人の墓」に寄せて
谷川先生が亡くなった。
詩人の、谷川俊太郎氏か11月13日に亡くなった。
私は、作家に対して、詩人に対して、「先生」と日常的に呼ぶことはほとんどない。ご本人を前にすれば当然「先生」と呼ぶだろうが、頭の中で考える限りは、そのように呼ぶことはない。しかし、谷川先生だけは谷川先生と呼びたくなる。
日本で、これだけ多くの人に「私はこの詩が好き」と言わせた詩人は、そうそう居ないのではないだろうか。
「二十億光年の孤独」「これが私の優しさです」「生きる」「朝のリレー」「みみをすます」「どきん」「なんでも○○○○」「春に」
その一作で詩人の代名詞になりそうな名作を、何作も書かれた。美しい曲に乗り、合唱曲として、小中高たくさんの学校で歌われたものもある。
合唱曲「二十億光年の孤独」は、思わずニヤリとする、楽しくそしてお洒落な構成の曲。
合唱曲「きみ」。生ぬるい肌の湿気が伝わって来そうな、なまぐさいエロスを感じる。
最も好きな詩は、と問われたら、私は「詩人の墓」を挙げるだろう。何も、谷川先生が亡くなって日が浅いからではない。好きなのだ、ただ。
詩についてストーリーや内容を語ることほどナンセンスなことは無いので、特に説明はしない。かわりに、私の印象の話をしたい。
この詩を思う時、私は、金属のような薄い素材で出来た、奥行きの浅い土管状の大きな筒を思い浮かべる。むしろ、詩の中にそのような描写がある、と記憶違いをしていた時期さえあるほどだ。
その筒は、結局はただの筒なので、風が通り抜けるばかりだ。だが、こちらから覗けば、筒の中は「向こう」の景色で満たされている。レンズの無い望遠鏡のようなもので、何も起こさない代わりに、あるものをそのまま通す。それで居て、景色の美しさを丸く切り取る。「表現する」ということは、究極こういうことなのかもしれない、と思わされる、そういう詩だと感じている。
己の心の奥から湧き出るものを凝縮したり濾したり薄めたりして形にする、そういう表現もあれば、確かにあるものを、自分自身でそのまま切り抜く、そういう表現もあるだろう。
後者のような表現活動は私にはできないが、限りなく自我を無くした先に出来上がるものなのだろう、と思う。それはたぶん、人間という生き物、そのものを写し取る行為なのだとも。谷川先生の詩があらゆる人の心に染み込んでいるのは、そのように誰もが「自分のきもちだ」と思えるからかもしれない。
この詩を思う時、私は、もう一つの人生を思い浮かべる。
「詩人の墓」一作のみの単行本。表紙のような、美しい絵が全篇に渡って載っている。
私の非常に少ない蔵書の中で、おそらく一番美しい本だ。どうしても欲しくて、神保町の古書店からネット通販した。受け取った日、ドキドキしながら包装を開けた。古書だが、十分すぎるほど状態が良い。開くと、このような物が挟まっていた。
「詩人の墓」の新聞広告の切り抜きだった。鉛筆で「集英社」のメモ。成程この切り抜きの範囲中には集英社刊であると記載されていない。スクラップに慣れた、几帳面な方の蔵書だったようだ。もちろん、初版本である。
この本の発売を心待ちにしたであろう、そしてその切り抜きも皺ひとつない状態で本に挟み保管した持ち主が、自らこの本を手放すとは思えない。
切り抜きを目にしてから私はずっと、この本は私が持つべきものではない、と思っている。早く東京の、神保町に帰してあげたい。
私はこの詩を、本のキャッチコピーにある「哀切な愛のバラード」として読むことが出来ない。
この詩を思う時、筒越しに見える草っ原とその向こうの海、そしてどこかのどなたかが新聞を切り抜く、その二つの光景が頭に浮かぶ。ないものの先にあるものと、かつてあったであろうシーンと。いずれにせよ、私の目の前には「無い」のだけれど、不思議とはっきりした輪郭を持ってイメージが結ばれる。詩の力、そのものだと思う。
谷川俊太郎先生のご冥福をお祈りします。
たくさんの素晴らしい言葉たちをありがとうございました。