1999年の旅日記(4)〜エイボン川でカナルにナローボートが出ていくところをいつまでも眺める。
25年前の古い日記が出てきたので、ここに転載している。
事の発端はこちら。
ようやく平穏な日々を取り戻した頃に書いたもの。
当時は自分のメモのような感じで書いていた。読み返してみると忘れていることばかり。自分で書いたものなのに「ヘェ〜、そうだったんだ〜」を繰り返している。
1999年8月27日(金)
ストラトフォードは前にも行ったけど、金曜日はマーケットがあるというので行ってみた。
食べ物や服や雑貨の露店がたくさん並ぶ。写真立てや花の種を買った。
シェイクスピアの妻、アンハサウェイの生家を見にいく。
そこには日本の団体ツアーが来ていて、多くのツーリストがごった返す中、添乗員が説明をしていた。
その後ろに私もちゃっかり付いて、一緒に説明を聞いていた。
でもあんまりまどろっこしいので、私はクリスと一緒に先に行くことにした。
アンハサウェイの家はさすがに古く、屋根は藁でできているし庭も畑もとてもかわいい。
エイボン川の公園はとても広く、ここも前にも来たけど、いい所なのだ。
カナルにナローボートが出ていくところを眺めていた。
ナローボートは水門で水位を調節して川に出ていく。
洗濯機が回っているのをずっと見てしまように、いつまでもつい眺めてしまう。
カナルとナローボートとカモの世界、最高。
今日の夜はなぜかパーティーで、オルトンウェアで一緒だったメンバーでクリスの家に集まった。
庭でディナーを食べて、ワインやビールを飲んで騒いでいたが、私は今日はレモネード。
日本人留学生ヒデオは、子供たちと遊んだ後、ずっと一人でテレビを見ていて、いつの間にか帰ったらしかった。
かなり盛り上がって夜も更けた頃、キャロラインは家にワインを取りにに行き、ついでにヒデオを連れ戻してきた。キャロラインは豪快でパワフルな人。
年齢不詳でやたら明るくて声の大きいアンドレは、夜中だというのに大声で喋るので、しょっちゅうクリスに叱られる。
すごく寒くて上着を着ていたが、ヨーロッパ人は体温が高いのか皮膚感覚が違うのか、全然平気のようだ。
皆家の中に戻ってダンスパーティーに変化した。
クリスたちは踊り狂っていたが、私たちオリエンタルガールズ3人組はどーもそういうのは苦手。ノーツはカンペキに逃げ腰だし、モウ・インも私も全く無理。
いつの間にかアンドリューは寝てしまっていた。
私は最後まで付き合っていたが、オリエンタルガールズは私一人残して寝てしまった。パーティーは夜中の2時にお開きになった。
とても楽しくて皆と写真を撮って騒いだ。
2024年の私談。
日記によると、この旅で唯一というくらい平穏な1日。
この当時のカメラはフィルムカメラ。
25年前の私は、買い物の傾向やせっかち加減が今と全く変わっていなくて可笑しい。(ちなみに花の種は日本に持ってきたわけじゃない。)
ここはイギリスでも田舎の方で、その昔、私はこの辺り(町内?)で初の日本人留学生だった。私をホームステイさせた後、日本人が友好的な民族だと分かり、たくさん受け入れるようになったとクリスが言っていた。
ヒデオも私の後に続いた留学生の一人。
昔々、小さ〜な小さ〜な、本当に小さ〜な架け橋になれたのかな。
次回「イギリス鉄道トラブルばっかり」の巻
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