1999年の旅日記(10)〜ヒースローから香港に向かって嫌々出発。
25年前の私の一人旅は、そろそろ終わりに近づいてきた。
大好きなイギリスを出国しなければならない。
ずっと旅をしていたいけど、帰ってまた仕事に行かなきゃ職を失う。
イギリスで違和感があったのは、駅のプラットホームが日本と違って境目がない事。道の続きにホームがあるような平面スタイル。
うわ〜、イギリスだな〜、と思った。
イギリスでも田舎の駅は、日本の駅と同じ鉄道屋(ぽっぽ屋)スタイルだった。
こちらは全く違和感なし。風情があってこちらも二重丸。
1999年9月2日(木)
パディントン駅からヒースローエクスプレスに乗って15分。
空港に着いた。
早く着いたのでまたボーッとすることになる。
今日の朝ご飯は、ドレッドヘアーやモヒカンのお兄さん達と一緒。ロンドンぽい。
お湯の出し方が分からなかったので、ドレッドヘアーに聞いたら、チビっ子はしょーがねーな・・・て感じだった。
ヒースローの中で買い忘れてたお土産を買った。まだ忘れてるかも。今回は節約の旅なのであまりお土産はない。
今は飛行機の中でこれを書いている。
今回はわりと空いていて、私の隣にも人はいない。こういうことは初めてなので嬉しい。隣の席のブランケットも使っちゃう。
隣の隣の席の人が使っていいと言ってくれた。さすがに枕は2コはいらない。
隣の隣の席の人は、座席を2個使っている。
朝起きた。食べた。飛行機に乗った。
今日はシンプルな一日。
考えてみれば、地下鉄、電車、寝台列車、バス、日産マーチ、あらゆるものに乗った。せっかく持ってきた国際免許は、私が貧乏なばっかりに出番がなかった。
飛行機もファーストクラスに乗ってみたい。ぜひぜひ。
お金をかければ不自由のない旅行がいくらでもできるけど、いかにお金をかけずに不自由を楽しめるか、が私の「旅行」ではない旅のポリシーだった。
時間があったから出来たんだな、と今は思う。
2024年の私は、ケツカッチン的にこの先の人生に限りがあるということが実感できてしまい、つい移動時間を短縮することを考えてしまう。
年相応の旅の仕方があるということなのかな。
次回「香港で見た。8月22日のアレ」の巻
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