ランニングを続けていてよかったと実感した夜
先日の夜、職場から帰るときに乗った電車が途中で止まってしまった。もう23時になろうかという頃だ。そろりそろりと前に進み、いつも使う駅のひとつ手前までは辿り着いたが、そこで本格的にストップした。
こういう時、私は車内アナウンスをそのまま鵜呑みにはしないことにしている。「復旧までしばらくかかるから他社の振替輸送を利用して」という車内放送が何度も流れた5分後ぐらいに電車が動き出す、といったことを何度も経験しているからだ。
でもその時はほんとに復旧しないようだった。さて困った。どうするか。その駅から私の家の近くまで行くバスはない。タクシーはお金がかかるし、多分すごい列になっている。しばらく考えて私が選んだのは、「家までゆっくり走って帰る」ことだった。
グーグルマップで見ると、家までの距離は約6キロ。普段の行動圏ではないが、大体の道筋は見当がついた。途中の起伏もそんなに激しくないはずだ。電車が動き出すのを待ったりタクシーに乗る列に並ぶよりも走って帰るほうがいいだろうと結論づけた。
職場への行き帰りにはいつも「走れるシューズ」を履き、カバンは背負えるリュックタイプにしているというのも、この選択ができた大きな理由だ。
混み合った車内とホームを抜け、改札から駅の外に出た。やはりそこにも人が大勢いる。方向を確認してゆっくりと家に向けて走り始めた。
丸1日働いた疲れが溜まっていてスピードは出ない。それでも10分ぐらいすると体がほぐれてきた。
思いのほか道が暗くて、ところどころではスマホの懐中電灯モードを使って足元を照らしたりもした。それでも、40分弱で家に着くことができた。着替えて一息ついてから電車の状況を確認すると、まだ止まったままだった。
ランニングを習慣にしていることのメリットは、日常ではほとんど感じることがない。でもこの時は「普段から走っていてよかった」と思った。
それは二つの要素に分解できる。ひとつは、多少の距離なら1日の終わりでも走れる体力を持っていること。そしてもうひとつは「6キロがどれぐらいの長さなのか、それを今走ったらどれぐらいの負荷と時間がかかるのか」を肌感覚でつかめることだ。両方が揃わないと、普段使わない夜道を6キロ走って帰ろうとは思えなかっただろう。
こんなことはもう行いたくはない。でもあのまま電車の運転再開を待っていたら、家に着くのが深夜1時とかになっていただろう。便利になった世の中でも、いざとなったら自分の体を使ってどうにか切り抜けられる力・スキルを持っておくことは大切だと、改めて感じた夜だった。