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月経カップを作るヒト:人生は色々な味があるなと思いながらやってきた


今回は無名人インタビューに載せていただいたインタビューを掲載。
ニューヨークへのMBA留学から起業、ブランディングやネーミングなど詳細に取り上げていただきました。

感謝と共に記事を転載させていただきます。




女性が強くなって社会に出て自分のしたいことをしていくためにできることを会社としてやっていきたいフェムテックの「意識から変えていくブランド」オーナーの人


目次

  1. 今回ご参加いただいたのは 浅井さとこ さんです!

  2. 現在:「フェムテック」の本質を伝える

  3. 過去:爆発する瞬間

  4. 未来:「スクーン」な人間

  5. あとがき

  6. マガジンで過去インタビューも読めますよ!

  7. インタビュー参加募集!

今回ご参加いただいたのは 浅井さとこ さんです!

現在:「フェムテック」の本質を伝える

森逸崎:今回ご応募いただけた理由からお伺いしてもよろしいでしょうか?

浅井:「面白そうなことやってるな」って単純に興味が湧いて。シンプルにそれで(笑)

森逸崎:ありがとうございます(笑)
毎回冒頭に「どんなインタビューにしていくか」ということをご参加者の方に考えていただいてるんですけど、浅井さんは今回どんなインタビューにしていきたいですか?

浅井:どうでしょうね、割とこれまでの起業の経過とかもnoteに書いてあるので。
でも、内容がダブっても「これから起業したい人の役に立てばいいな」とは思うので、noteに書いてあるのと同じような質問でも聞いてもらって全然大丈夫です。
あとは、先月4冊目の本を出版したので、ちょっとその話もしたいなと思っています。

森逸崎:承知いたしました。
早速ですが、「スクーンカップ」の「スクーン」という言葉に、どういう意味や思いが込められているかお伺いしてもよろしいでしょうか。調べても出てこなくて。
事前に浅井さんのnoteを拝見して、素材へのこだわりだけでなくその概念、例えばプロダクトの打ち出し方を女性限定ではなく「生理があるすべての人たちに」というジェンダーレスなコンセプトにしていたりとか、随所に思いを感じたのでその名前にもきっとこだわりがあるのでは、と。

浅井:はい。実はブランド自体は最初、オーガニックコットンのベビー服からだったんですね。エジプトにすごい大きくて有名なファームがあって。そこで「スクーン」という言葉に出会ったんです。それが一体何かというと、アラビア語で「湖の表面が澄んだ状態」「静寂な状態」を言うんですよね。そこから心の状態を表す言葉にもなっていて、「澄んで、混じり気のない、ほんとに静弱な状態」。響きもいいし、そのアラビア語から取ったんですよ。

森逸崎:へえー!日本語で言う「凪」のようなことでしょうか?

浅井:うーん「凪」というよりは、やっぱり、「静寂」かなあ。元々は同じように水面の静けさから来ているんですけど。はい、「静寂」というのが一番適当かと思います。

森逸崎:なるほど。ありがとうございます。
ちなみにこの無人インタビュー、本当にいろんな方が見てくださっているものなのですが、フラットに「今何をやっている方ですか」って聞かれたらどういう回答になりますでしょうか。

浅井:「フェムテックのブランドをしています」って言うかな。

森逸崎:「フェムテック」、「フェミニン」と「テクノロジー」の掛け合わせの言葉ですよね。使い始めるようになったのって、いつぐらいからなのでしょうか。

浅井:アメリカではもう結構前から言われていたんですよ。日本で「フェムテック」と言われるようになったのは、なんか急にここ4〜5年じゃないかな。一旦それが流行りだした時には、猫も杓子もじゃないんですけど、社団法人なんかもできてきて。日本人ってそういう新しいものに飛びつくじゃないですか。それで、それこそ膣ケアだとか、ほんとにいろんなビジネスチャンスを見つけようという会社や個人がどんどん入ってきてるなという風潮ですね。あんまり私はそれを好ましくは思ってないんですけど。ほんとにお金儲けのためになっている気がしてしまって。もちろんビジネスですから、お金儲けなんだけど、なんかそっちが先に来ちゃってるなっていう気がするんですよね。

森逸崎:「そっち」というのは?

浅井:その言葉自体では「女性」って言っていますけど、「フェムテック」の原点というと、そもそもその「女性の体を持つ人が、自分の体と向き合って、親しくなる」とか、「健康に生きて自信を持ってきていく」っていうことだから。あんまりプロダクト寄りだとね。なんかちょっと、その真の意味から外れてしまうなっていう気がするんですよね。
特に今「フェムテック検定」とか言って、その試験まであったりとか。もう、なんのこっちゃっていう感じなんですよ。
そんなことよりも、自分の生理だとか、あと避妊だとか月経痛だとか性交痛とか、色々ありますよね。そういったことを考えていくってことだから。みんなであまり恥ずかしがらないで、みんなで悩みをシェアして、みんなで助け合って理解し合っていくっていう方向が本来の「フェムテック」なんですよね。
今は割と、概念だけが一人歩きしてるところがあって。でも、元々はその自分の体を大事にしようっていうこと。そのためのテクノロジーが趣旨ですから。

森逸崎:確かにそうですね。

浅井:日本で月経カップが導入されたのって、この「スクーンカップ」が初めてなんですよ。だからその時、厚労省にもそういうカテゴリーがなくて。「タンポン」として入れられちゃいそうになったんですけども、「月経カップ」というカテゴリーを作ってもらうよう結構抗議したんです。
「一般医療機器」の中にもあるんですけれども、2015年か16年かな、ここで初めて、厚労省でその分類ができて。それからスクーンカップも初めて導入に至りました。
ですから、本当に一番乗りだったし、まだ知っている人自体も少なかったので、最初、この認知を広めるところから始めていったんですね。
そしたらもう今や、フェムテックブームもあるし、「儲かるから」って他のブランドがどんどん入ってきて。

森逸崎:10社ぐらいできたって別のnote記事に書いてましたね。

浅井:はい、私たちの後に10社ぐらい入ったんですよね。でも他社はみんな、中国のシリコン工場で作っていて。あのキッチンに使うようなシリコンとかわかりますか?お弁当箱に入れるカップとか。ああいうので作ってるので、あんまりそのバイオテストとかしてないんですよね。そしてそれが安い。
みんな4、5000円の金額を出して使えなかったら困るっていうんで、その安い2000円のとかの月経カップを買うんですけど、あれって本当、自分の体の中に入れるものだから、割と危険なんですよ。シリコンって色んなグレードがあるし、色料なんか使ってると、それが膣内で溶けてしまうこともあるし。カラーコンタクトレンズと同じで、本当に危険なんですよね。
でもなんかこう、今、作るのも簡単になっているし、厚労省も取り締まるべきものが結構野放しになっていて。医療関係の商社もうるさいこと言うわりには、その商品のバイオテストとかにはあんまり目を向けていないし、そもそもバイオテストの存在自体をあんまり知らなくて。日本も結構色んな製品が出てきて、正直大丈夫かなと思っているのが現状です。

森逸崎:そうなんですね。
先駆者あるあるかもしれないですけど、後から入ってきた会社は、その先駆者のいいところだけをパクって、いかに安く早く提供できるか、みたいな。

浅井:本当そうですね。コピーされるし。形なんか、金型みたいなのも、その言い方についても、もう実際コピーされているし。そうなってしまいますよね。でもまあそれって避けられないことなので、もうスクーンは、うちはうちのやり方をやるしかないって感じですね。

森逸崎:スクーンが今の形になるに至ったのも、「3年かけて日本人含む300人以上のモニターの方の声を聞いた」と記事で拝見したんですけど、今の形にする上で一番こだわってきた部分って、どういう部分でしたか。

浅井:色々あるんですけど、やっぱり尻尾の部分ですね。膣口から出るぐらいになるんだけど、あれがリング形担っていたり太い形だと、膣の入り口に当たって痛いんですよ。だから、いかに痛くない設計にするか。あとは「体の動きに沿ってしなやかに曲がる」っていうのが最大のポイントだった。
あと、一般的に月経カップって空気穴を開いているんですけど、あの空気穴って、取り出す時にパカっと空気を抜いて取るために必要なものなんですね。他の会社の製品って、みんな先にそのカップを作って、後からピアス開けるみたいに穴を開けているんです。ということは突き刺して開けるから、表面に対して直角に穴が開くわけですよね。そうなるとそれも、その膣内の内壁に触ってしまうんですよね。だからそこを工夫しようと思って。

森逸崎:へえー!

浅井:エンジニアリングの人たちとも何回も話して、鋳型の形からその穴を開けるようにしたんですね。そうすると、見ていただくと分かると思うんですけど、その穴の入り口の表面がなだらかに開くようになるんです。
他のカップは、表面を指の先で触るとこうなんか引っかかるんですよね。それが膣の中で起こるのは嫌だなと思って。それが滑らかになることによって、根詰まりもしにくくなるんですね。人間の血って結構濃度があるから、穴に詰まっちゃったりとかすると、不潔な元になってしまうから。そこを広げて洗いやすいようにもしました。いろんな本当に細かなことですけども、皆さんの意見を一つ一つ聞いて配慮してきましたね。

森逸崎:本当に細かな気遣いがたくさん。
実は私、今回浅井さんからインタビューご応募いただいてから初めて月経カップの存在を知って。で、実際に使ってみたんです(笑)
びっくりしたのが、付けてみるともう本当に、違和感がないんですよね。

浅井:ほんとに?よかった。

森逸崎:はい。もともとタンポンユーザーで、その時は「タンポン入ってるな感」がすごいあったんですけど、このスクーンカップに関しては、「あれ、入れてたっけ」みたいになる時がすごいあって。

浅井:ああ、タンポン使ってたんですね。タンポンって、水の入ってるコップに入れるとバーッと繊維が散るんですよね。ということは、膣の中でばらまくというか、それが体の中に残ってるっていうことなので、あまりタンポンはお勧めじゃないです。

森逸崎:そうなんですか!

浅井:はい。それでタンポンも、「何が使われているか」って開示しなくていいっていう風に法律で守られてるんですよね実は。ほらなんか、あれレーヨンとかいろんなもの入ってて、綿じゃないんですよ。それに対して疑問を持つ産婦人科の先生も多いですけど、日本ではそこまでまだね。
森逸崎さんはスポーツとかされてました?

森逸崎:していました。中学時代にバスケやっていて、高校ではヒップホップダンスを。ダンスは今でもたまに踊ったりしています。

浅井:あ、そうなの。じゃあ、ナプキンだとね、思いっきり動けないもんね。

森逸崎:そうなんですよ。それに量も多いから、二日目とかもう不安でしかなくて。
だから個人的にも、もっとこのスクーンカップっていうものが広まったら、すごい嬉しいなっていうのは思いますね。

浅井:ありがとうございます。

森逸崎:ちなみに今回4冊出版されたと仰っていたんですけど、どういった内容の書籍になるんでしょう。

浅井:それぞれ違うんです、色々試してみようと思って。
一冊目の『金の砂漠』っていうのは、フィクションの小説です。これね、昔に書いたのを引っ張り出して直したんですけど。一人の女性が毎日退屈な仕事をしていてね。ある日、「癌かもしれない」ってお医者さんから言われたのを機に砂漠へ旅立つんです、新しいものを見つけようと思って。そこでいろんな冒険をして、いろんな人に会って、そして自分に目覚めていくっていう話なんですけどね。
砂漠っていいんですよね。私も、この間スクーンカップを広めるために何ヶ月かエジプトにいたんですね。そこで砂漠を訪れた時に、これまでと違うような気持ちになった。小説は、なんか続編も書きたいなと思っています。

森逸崎:いいですね。ぜひその気持ちの変化も後ほどお伺いさせてください。
その他の書籍はどうですか?

浅井:もう一つは、読書のインプットとアウトプットですね。
普段、どんな良い本を読んでも忘れてしまうじゃないですか。それをいかにツールを使って自分らしいまとめをして、いつでも取り出せるようにして、今度アウトプットをしていくのかというような、その一連の流れをまとめました。まあ、「本の読み方」ですね。

森逸崎:うんうん。

浅井:三冊目はね、「ストア派」と言って2000年ぐらい前のローマの考え方についての本。日本では「ストイック」っていうけど、本当のストア派の考え方って、すごく哲学なんですよね。どういう風に生きていくかっていうようなことに対する答えがそこにある。
ポジティブ思考じゃなくて、もっとネガティブなことを考えて、それに用意して構えて生きていくとか、それから自分のコントロールできるものにだけ集中して、コントロールできないものには全く気にしないで生きていくとか、色々とそんな叡智があるんですよね。で、それがすごく面白いと思ったのでそれについて書いてみたのが、『生きやすい空気』ってタイトルのやつ。

森逸崎:おおー。

浅井:で、最後の『もう猫吸いながらしか仕事できません。』という本は、あれはただnoteのエッセイをまとめた内容。本当に雑文、エッセイですね。
noteも、本来ならフェムテックブランドに携わる者として、吸水ショーツだとか月経カップについてどんどん書けばいいんだけど、そういうものに限定しないで、思いついたことは全然枠なしに書いていこうと思って書いてるんですね。これがどんなふうになっていくのかはよく分からないけど、noteを書いていると、「人と繋がっていく感覚」はありますよね。きっと森逸崎さんも感じていらっしゃるでしょうけど、ほんとに小さなコメントでもらうと嬉しいし、他のSNSとはちょっと違う媒体だっていう気がしますね。

森逸崎:確かにそうですね。
この4冊、てっきりこれまでの起業したところの経験談というか、起業のノウハウみたいなところも含まれてるのかなと思いきや、本当に書きたいことや興味があることについて書かれている。

浅井:そうですね。
あと関心あるのはジェンダーとかも。ちょっとずつ書いていますね。

森逸崎:もともと書くことはお好きだったんですか?

浅井:はい、好きでしたね、ずっと。

森逸崎:ここからはぜひ、浅井さんのパーソナリティについても教えてください。

過去:爆発する瞬間

森逸崎:noteに記載されていた経歴よりももっと前について伺います。
幼少期は、浅井さんはどんな子どもだったのでしょうか。

浅井:私、一人っ子だったんですよね。両親もずっと働いてたので、結構一人で遊ぶのに慣れている子でした。

森逸崎:どんな一人遊びをしてたんですか?

浅井:それこそ小説を書いたりしてましたね。

森逸崎:へえー!ほんとに小さい時から。
書くこと自体を始めたのは、どこからの影響なんでしょう。

浅井:両親ともに本が好きだったのかな。本は家にいっぱいありましたね。それも読んでたし、図書館の本も読んでいたし。

森逸崎:どんなジャンルの本を読むことが多かったんですか?

浅井:もうそれこそクラシックですよね。小学校の頃なんて図書館にある本、片っ端から読んでましたね。あまり選り好みしないで。

森逸崎:それはすごい。
小中高、就職するまでは、どんなコミュニティに属してたんですか。部活とか習い事とか。

浅井:部活は卓球部でしたね。
大阪なんですけどうちの学校、強かったんですよ。大阪全部の中でも4位だったのかな。チームメイトとの関わりもすごく深かったし、それはいい思い出ですね。でも卓球って結局個人プレイだからバスケやサッカーみたいにみんなでするものではないので、結構そういうところは自分に向いていたのかも。チームでいるのも好きなんですけど、でも最後はその単身プレイっていうのが好きみたいで、大人になってからは、コートでスカッシュやったりするのも好きなので、ああいうスタイルが好きみたい。
基本的に自分勝手なんじゃないですかね。根底では「自分のやりたいようにやりたい」っていうところがあるんじゃないかな、と思います。

森逸崎:なるほど。
卓球はどのくらい続けられてたんですか?

浅井:卓球は中学校だけかな。もう高校に入ると進学校でもあったので、あんまりもうみんな部活とかしていなかったけど、でも私はガソリンスタンドでバイトし出して。バイクには結構夢中になってましたね、高校の時は。

森逸崎:ご自身でも乗ったり?

浅井:そうです、乗ったりしましたよ。あの頃って、まだ珍しかったけどね。女の人がバイク乗るのって。多分、シンプルに「かっこいいな」と思って始めたのかもしれない。

森逸崎:うんうん。
大学は、専攻は何だったんですか?

浅井:法学です。
文系だったのと、父が「そんな文学部とか行ってもしょうがないだろ」とか言って、割と大学は簡単に決めちゃいましたね。

森逸崎:大学生活はどんな感じでしたか。

浅井:寮に入ったんですけど、あの頃の大学ってすごかったんですよ。学生運動とかの、寮の壁にもすごいいろんなスローガンが書いてあったりとかして。そんな感じでしたね。

森逸崎:では、幼少期から今携わっているような海外の文化に触れ合うというか、そういうのはなくて、本当に社会人になってからだったのでしょうか。

浅井:そうですね。高校ぐらいまでは海外旅行も行ったことなかったし、大学になってからかな、アジアの街行ったり、アメリカ行ったり。それから、いいなと思いましたよね。日本の方がなんかこう空気が閉ざされてる感じで、「外国っていいな」と思いましたね。

森逸崎:どういう部分で閉ざされてるなって感じられてましたか?

浅井:まだそのときって女性がお茶を汲むような時代だったんですよ。就職した教育委員会でも女の人だけがお茶を汲むんですよね。その時は不思議に思ったけども、そんなこと言えるような状況でもなかったし、女って損だなと思っていました。それで、もっと「そうじゃない環境」もあるのかなと漠然と考えてたんですよね。

森逸崎:その漠然とした違和感に対して実際に行動を起こすきっかけになったのが、note
に書かれていた「やめちゃえば」って言ってくれたアメリカ人の女性、でしょうか?

ある日一人の派遣先生のアメリカ人女性に、弱くなった気持ちを垣間見せたことがあった。彼女は笑って、「Why don't you quit? (辞めちゃえば?)」 軽く言った。
その時、何かが閃いた。そうだ。自分の人生なんだ。公務員の仕事は一生するもんだと思っていたけれど、辞めてもいいんだ。やりたいことをすればいいのだ。

浅井:あ、読んでくださったんですね。そうです。
彼女とは今でも交流してます。彼女も子供とか持たないで、パートナーと過ごしていますね。その時はなんか、背中を押してもらいましたね。

森逸崎:元々どういう関係性の方だったんですか?

浅井:その人は教育委員会に雇われていた英語の先生だったんですよ。アメリカから招待されて日本の教育委員会に雇われて、そして、日本の中学校に英語を教えに派遣するグループがあったんですけど、そのグループの一人でした。

森逸崎:浅井さんの目から見たその方は、どういう人でしたか?

浅井:彼女はそんなキャリア思考でもなかったんですけど、ただ、私にとっては初めての外国人の友達で、「公務員を辞めたら?」ということを言ってくれる人なんて初めてだったので、すごくありがたいし、私の中で大きなきっかけになった存在ですね。

森逸崎:確かに、まだ「公務員になったら安心」みたいな価値観があった時。

浅井:そうなの。
教育委員会だったでしょ。でね、美術館が管轄だったんですよ。大阪市にその美術館と動物園が並んだところがあって、私、そこに派遣されたんですよ。
さっき紹介した小説、『金の砂漠』っていうんですけど、その主人公が美術館で働いている描写が最初あるんですけど、あれって私の体験なんですね。
その仕事はその仕事で面白かったけど、やっぱり事務職ですからね。事務職って自分には向いてないなって、ずっと思っていました。

森逸崎:先ほど書籍を紹介いただいた時、「砂漠を見て感じ方が変わった」というようなお話をしていただいたのですが、具体的にどの状態からどの状態になったのでしょう?もし、小説と実際の体験と、リンクする部分があれば。

浅井:それまでは割とステレオタイプ的なものの見方をずっとしていたんですよね。人に対しても、それから自分の周りに起こっていることに対しても。でも、そうじゃなくていろんな角度から見えるっていうようなことは、やっぱり年を取るに従って学んでいきますよね。

森逸崎:うんうん。

浅井:小説『金の砂漠』の中にも書いたのですが、「割礼」っていって、女性の性器を切り取って女性が性交で快感を得ないようにする風習が今でもあるらしいんですね。そういうようなことを最初聞いた時は私、すごくびっくりしたし、それに対して本当に、「自分にできることがあればしていきたい」って思った。実際、そういうことに対してテコ入れというか変えようとしている動きもあるらしいんだけど、でもそれがね、長年続いた風習ということもあって難しいみたいで。
そういう信じられないような問題と、それから自分がずっと教育委員会でお茶汲みしていたことが、なんかちょっと重なりますね。「もっと違う生き方が誰でもできる」とか、「その機会があればこれまで見えなかったものが見えなかった角度で見えていく」っていうことが。そういうことがあると、人生の色が変わるような、目の前が開けるような感じになるじゃないですか。だからこそ、そういうことを仕事にしたいと思ったし、ものを書くにしても、そういう観点で書いていきたいし。
これまでと違うもっともっと本当のものを見つけていきたいと思っています。

森逸崎:そうなんですね。
ご自身の中で、それまでの固定観念が覆ったタイミングはいつでしたか?

浅井:変わるタイミングはいっぱいありましたね。特に、アメリカに行ってから変わりました。

森逸崎:ニューヨークの大学でMBA取得しに行ったと書かれていましたね。そもそもそうしようと思ったのは何かきっかけがあったのでしょうか?

浅井:旅行したんですよね。まだ学生の時に友達と。それで行ってみたらすごい解放感があって。「こんな空気のところで生きていたいな」とずっと思っていたので。そこから、学生のビザも取れたし、「今しかないんじゃないかな」と思って。
私が入ったのが90何年だったかな。まだあの頃ってね、日本でもMBAがちょうど流行りになってきたんですよね、「海外でMBA取得する」っていうこと自体が。それにも後押しされて、なんか良さそうだなと思って。

森逸崎:それでやろうって言ってやりきれる実行力がすごいですよね。

浅井:そうですか、ありがとうございます。
なんか、自分の性格から考えたらあまり信じられない。いつも割と石橋を叩くような性格だったと思うんですけど。親からもそんな風に育てられてきたし、一人っ子だからね。
でも、やっぱりそういうものが自分の中にあったんでしょうね。やっぱりね。

森逸崎:変化の過程、すごい気になってたんです。
アメリカに行って「爆発」した、という感じでしょうか。

浅井:そう! 本当に仰る通り「爆発」っていう言葉がぴったりかも。うちに秘めていたものが、一気にこうバン! って爆発して、形にしてきた感じ。

森逸崎:本当面白い(笑)
そしてアメリカに滞在されていた時に、9.11に遭遇された。

浅井:そうですね。あれはね、ニューヨークの大学を卒業して一旦カリフォルニアのシリコンバレーで働いていて、そこのコンサルティング会社からニューヨーク本社へ戻してもらったタイミングだったんですよね。戻してもらってすぐだったのかな。

森逸崎:この時得た心境というか感情、考えはどのようなものでしたか?

浅井:なんだろう、本当にもう、髪とか真っ白になりましたからね。あの爆風で建物が壊れた時に。それで「うわあ」と思って。スーツ着て高い地位にいるようなおじさんが、地面に座ってわあわあ泣いているんですよ。すごかった。あれ、映画みたいだったね、本当に。
本当に愕然というか、「こんなことあるんだ」と思いましたね。

この世で生きている限り、真の意味での安心や安全など存在しない。実体験を持ってそう学ばせられたのだった。
事件のすぐ後、起業することを考えるようになった。いやそれを機会に考えると言うよりは、むしろそれまで眠っていた激しい闘志がむくむくと起き上がってきたような気分だった。

森逸崎:「戦う気持ち」だったのはなぜだったのでしょう。

浅井:テロって言ってるけど、結局はその人間同士の諍いですよね。あれも元はといえば、宗教同士の、というか。そこにちょっと納得できないようなものがあったんじゃないかな。
それと、私の友達でも、あの後結構人生を変えた人も多いんですよ。あまりにショックだったので。ニューヨークを離れてどっかの土地に引っ越していった子とか。あれを目の当たりにして「このままではいけない」って思った人がその時のニューヨークには沢山いた。あのセプテンバーイレブンの事件だけじゃなくて、その後の空気がそうさせたのかもしれないけど。
こういう信じられないことが起こるっていうこと自体が、「自分の人生だってもううかうかしてると、もうそのまま終わってしまう、なんとかしなきゃいけない」っていう気持ちにさせたのかもしれません。きっと私だけじゃなくて、たくさんの人にその気持ちはあったと思いますね。

森逸崎:そうでしたか。
私みたいにニュースだけで知っているのと、その場で体験するのとでは絶対感じ方も違うんだろうな、と思いながら記事を拝見していました。

浅井:ずいぶん昔ですもんね。その時って森逸崎さんは子供だったんじゃないんですか。

森逸崎:そうですね、8歳とかかな。

浅井:私、そこの場にいたから本当に、パノラマみたいな感じだったんですよね。見上げると、140階とかそんなとこから人が落ちてきたから。それを見上げていたし、その地面に座って泣いているおじさんとかも、ほんとに地獄絵みたいな感じでしたよね。

森逸崎:ありがとうございます。すいません、お辛い経験を。

浅井:いえいえ。

森逸崎:その後立ち上げた会社が、オーガニック素材を利用したベビー服ブランドでしたね。「アメリカのベビー服が可愛くない」って書いてあった(笑)

浅井:はい、全然可愛くなかったですね(笑)
でもエコな生活とかエコな暮らしとか、もともと「エコ」っていう言葉はあったので、そのブームに乗れたというのはあったと思うけど。
たまたまそのオーガニックファームのことを知ってる人が知り合いにいたんですよ。それで、ちゃんと認証を得た正式なオーガニックの生地を使って作りたいなと思ったんです。

森逸崎:アメリカで販売し始めた最初の反応としては、どうでしたか。

浅井:良かったですよ。やっぱり敏感なんでしょうね。アメリカの特に都会の方、サンフランシスコとかニューヨークとかLAとか。社会のために何かしようっていう人が沢山いるので、なんかそういう人たちからも支持してもらえましたし、あとは、メディアが結構取り上げてくれたんですね。
オーガニック野菜とかはみんな知っていたけど、やっぱり当時はそんなにまだオーガニックコットンって広まってはいなかったから。それで珍しいのもあって、メディアでたくさん取り上げてくれたので、急に大きくなりだしたかな。
アメリカはそういうことが好きな人が多いというか、そういうことに真剣な人が多いですね、日本に比べて。

森逸崎:うんうん。
もともと、ベビー服の余り生地で布ナプキンを作っていたタイミングで、あのアフリカの団体からお声がけいただいたんでしたっけ。

浅井:そうですね。

そんな時、アフリカで貧しい子供たちに商品を寄付する団体から商品の寄付を求める声がかかった。
着るものも食べるものも満足にない子供達の支援になるし、在庫もはけるので、寄付することに承知した。それは願ってもないことだったが、そこで初めて、同じく寄付しようと参加していたある会社の商品「月経カップ」を知ることになる。
「アフリカの女の子たちは生理用品が買えない子も多くて、学校を休まずにはいられないんです」とその寄付団体は話した。「ボロ布を使う子もいるけれど、生理ナプキンはまだまだ高価な商品なのです」

森逸崎:アフリカの女の子たちの生理事情を知った時に、どう思いましたか?

浅井:彼女たちは、それで学校を休んじゃうんですよね。布ナプキンでも、なかなか水で洗ったりとかできないし、なんか布切れとか使っているみたいだし。でもそういう時に月経カップって、ほんとに一つあればね、便利だし動きやすいなって。そう思ったことが、きっかけになりましたね。

森逸崎:最初のマーケットはアメリカからでしたよね?

浅井:アメリカ、カナダですね。

森逸崎:その時点で月経カップっていう商品自体はアメリカ・カナダに存在していたのでしょうか?

浅井:4、5社ぐらいあったんじゃないかな。アメリカとイギリスかな。でも、かわいい色はなかったんですよ、月経カップ。ただの白というか、半透明みたいな色だったり、あとはラバーみたいな素材の、茶色くて可愛くもなんともないような色の。
あの、なんだっけ、トイレのつまったときにするやつに似てて。

森逸崎:すっぽん!?

浅井:そう!すっぽんってやるやつ。あんなのしか無かったから、全然可愛くない。ベビー服もカラフルなのが好きだったじゃないですか、私が。「じゃあこんな可愛くないカップよりももっと沢山色を使おう」と思って。

森逸崎:確かに女性が手に取ろうって思うかどうかって、可愛いかどうかがすごく重要な気がしますね。

浅井:そうなの。日本の人でね、スクーンの色を何色も揃えてくれる人もいるんですよ。でも他のメーカーでも今はもういっぱい色が出てきてるからね。

森逸崎:それで冒頭仰っていたこだわりの部分、空気穴とかプロダクトのつかい心地で差別化を。

浅井:そう。あとは、考え方というか概念的なことも。
色んなジェンダーの問題があるから、「女性へ」って言わないで、みんなに訴えていくとか、そもそも生理のある人みんなに使ってもらいたいっていうスタンスでもあったので。
それから、やっぱり地球のためにゴミを出さないとか。他にも、生理のために毎月毎月出費がかさむじゃないですか、ナプキンでもタンポンでも。そういう経済的なことに対してもそうだし。
あと自分の体のことですね。アメリカで売っているナプキンにパッチを当ててると、粘膜にはやっぱりひどくてね。つけていて肌荒れしたこともあるでしょう?粘膜がそういう化学物質を吸収していくっていうことですよね。体を冷やす原因にもなるし。
そういうことを、どんどん発信していくっていうのも、やっていきましたね。

森逸崎:ほおー。
実際にその後日本に参入していく中で、アメリカと比較して苦労した部分ってありましたか?

浅井:そうそう、最初「日本では売れない」ってみんなに言われましたね。なんでかって言うと、タンポンも売れないじゃないですか。タンパックスってご存じかな、タンポンのメーカー大手なんですけど、日本のマーケットで頑張ってても売れないから撤退したんですよ。
それで、日本人って本当に「体の中にものを入れることに対して抵抗がある」って言われたんだけども、ぼちぼちAmazonで出し始めたら、日本のAmazonでね、これが結構売れるんですよね。そういう前例があったので、これを大掛かりに厚労省に申請していこうと思ったんですよね。日本でも海外輸入品みたいな形で買う人が多かった。だから、これは大丈夫だなと思った。

森逸崎:うんうんうん。

浅井:それにやっぱり、もうSNSとかで情報感度の高い人がいっぱい出てきてましたので。
「この人たちはアメリカやカナダのみんなが使ってるっていうことを知ってるな」と思って。だから、今までタンポンが売れなかった時代の日本と、その頃の日本は変ってきている。月経カップも受け止められる土壌ができている。

森逸崎:本当に商品だけじゃなくて、考え方、向き合い方そのものを一緒に日本に持ち込んでくださったような印象です。

浅井:そうですね。

未来:「スクーン」な人間

森逸崎:今、フェムテック商品を展開されている中で、目下目指している世界というか、浅井さんが実現したいことがあれば、ぜひお伺いしてもよろしいでしょうか。

浅井:やっぱり最初から貫いているスタンスなんですけど、「その物を売るブランド」じゃなくて、「その意識から変えていくブランド」。そういうメッセージをどんどんしていくようなブランドでありたいと思っています。noteで書いているのも、あんまり関係ないこと書いてますけど、究極のところ、いろんな問題がある中で、女性が強くなって社会に出て自分のしたいことをしていけるように、その実現のためにできることを会社としてやっていきたいですね。

森逸崎:女性として、とっても心強いし嬉しいです。
浅井さん個人の方はいかがでしょう。5年後、10年後、もしくは死ぬ直前、どういう感情でいたいですか?

浅井:うーん、そうだなあ。スクーンのような「静かな心」でいたいですね。静かな、何の疑いもない、これでいいっていう感じの静かな心でいたいですね。
なんか平和が一番ですよね。心の中の。なんかこう「もっともっと」とかはだんだん年を取ってくると、思わなくなってきました。こだわらない。スクーンカップ作る時なんて、ほんとにこだわってたんだけど。ああいうこだわりは今はもうしょげて来てるんでしょうかね。ここ2~3年ぐらいかな。

森逸崎:徐々に徐々にですか。

浅井:そうですね。エジプトで結構長く暮らしたので、それもあるかも。
なんかエジプトに暮らしてるとね、みんな大雑把で日本人みたいになっていないから、それに流されて「もういっか」という気持ちになっていくんですね。あとね、マイアミもけっこうそういう感じなんですよね、みんな。人も熱いけど、細かいことにこだわらない。自分もだんだんとそうなってきましたね。
自分にそれがすごく合っていた。

森逸崎:静かな心。そうですね。平和が一番ですね。
最後にひとつ、「もしもの未来」についてお伺いしたいんですけれど、もしも公務員の時の爆発、自分の中の感情の爆発が幼少期からされている状態だったら、今ってどういう人生になってたと思いますか?

浅井:うーん、なんか、結局同じようなことをしてるとは思います。遅かれ早かれっていう感じで。あんまり変わってないんじゃないかな。そのタイミングは違うかもしれないけど結局最後には同じところへ流れていくような気がする。ていうか、他の生き方とかやり方とか考えられないんですよね。

森逸崎:おお、「考えられない」。

浅井:それか、もっと専門職になれてたら違っていたかもしれないですね。絵を描く人とか、踊る人とか。そういうのが仕事であったら、それはそれなりにずっとそこを突き詰めていたと思う。
のめり込むタチなので、ひとつの事をとことんやっていたと思うし、今はnoteも最近始めたばかりですけれども、これも突き詰めていきたいと思っています。

森逸崎:いいですね。個人的にも、めっちゃ応援しています。
すみません色々教えていただいて、本当にありがとうございます。

浅井:こちらこそ。楽しかった。ありがとうございます。森逸崎さんもぜひ、そのままのお名前でいてほしい。すごい名前のバランスいいもの。日本もこれから夫婦別姓を選べるようになっていくと思うんですけど、苗字と名前と両方バランス合ってるし、苗字変えないでくださいね(笑)

森逸崎:恐縮です!(笑)
今日は本当にありがとうございました!

あとがき

冒頭でqbcさんも触れていましたが、実はご応募から2ヶ月越しのインタビュー実施。普段は「来るもの拒まず去るもの追わず」スタンスの私だけど、どうしてもこの人だけはインタビューしたかった。理由を聞かれればうまく回答できないけど、「今の私はこの人の話を聞くべきだ」という本能だか直感だか、に近いなんとも言えない感覚。だからダメ元で「その後いかがでしょう」と追いかけたメールにOKをいただけた時は、本当に嬉しく思ったものです。
そして実際にインタビューを終えて、浅井さんの過去のとても強い願いと、知的好奇心くすぐられるお話の数々、自分で決めたことを実行してきた力。それらを目の当たりにした私は、これまで経験したことのない充実感を感じることができました。
でも一番私が素敵だな、と思ったのは、やっぱりその人間性。びっくりするくらい、ご本人の物腰もお話の仕方もとっても柔らかくて、そして静かな方なんです。最初はなんと形容したらいいのかわからなかったけど、本当にそうだ、「スクーン」そのものだ、と今は思っています。
「スクーンカップ」はぜひ一度皆さんにも使ってみて欲しいし、生理がない人は、人へのプレゼントにもぜひしてみて欲しい商品。それに、SDGs、LGBT、フェムテック。概念だけに囚われて目の前の本質を見失わないようにしたいと思える、それに気づかせてもらえる貴重な機会をいただけました。このタイミングで浅井さんのお話を伺うことができて、とても幸せに思います。これからも応援しております。

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #月経カップ #フェムテック

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Satoko@スクーンカップ
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