「負の連鎖」は必ず断ち切れる
人生相談に答えるのはむずかしい。
人の人生を文面から読み取るのは不可能に等しいし、それに答えて的確なアドバイスをするというのは、私にはできそうにない。あれこれ考えてしまって、結局は気にすんなよ。。。なんて中途半端なことを言ってしまいそう。
しかしながら、時折、素晴らしい回答を読むことがある。そのうちの2点を以下に紹介したい。
相談1:息子から無視されてつらい日々
(朝日新聞「悩みのるつぼ」より)
(質問)」50代男性です。大学生の息子から無視されてつらい日々を過ごしています。
数カ月前、ささいな行き違いをきっかけに(と私は思いましたが)、離れて暮らす息子から連絡を拒絶されました。長年にわたる私の強圧的な態度に嫌気がさしたようです。妻によると「アンタが悪い。急に大声で怒ったり、上から押さえつける言い方をしたり。とにかく謝るしかない」とのことです。
子供にとって私は確かに「パワハラ・モラハラおやじ」です。言いわけですが、12歳で両親が離婚し、私には「良い父親モデル」がいませんでした。
中学生から新聞配達をして、高校・専門学校は奨学金を借り、大学は働きながら通いました。記憶に残る父もかんしゃく持ちで、子供の頃は父親の顔色をうかがって過ごしました。父がいなくなった後は、当時荒れていた兄にビクビクしながら生活をしていました。
(。。。中略)今後どのような心持ちで生活していけばよいか、ぜひ姜尚中さんにお答えをお願いします。
回答者・姜尚中さん
(回答)相談を読んで頭を過(よぎ)ったのは、夏目漱石の自伝的な作品『道草』の主人公のため息まじりの台詞(せりふ)です。「世の中に片付くなんてものは殆(ほと)んどありゃしない。一遍起(おこ)った事は何時までも続くのさ」。諦めとも開き直りともつかない感慨が込められていますね。
あなたの心境は、漱石その人がモデルらしい主人公、健三と同じようです。漱石がよく使った言葉で言えば「因果」です。あなたが自嘲気味に語る「ダメおやじ」であることの「負の連鎖」です。
小説の中の、そして現実の漱石がそうであったように主人公は、親に捨てられ、養父母とも疎遠になりながらも、刻苦勉励、海外留学も経験して大学で教職のポストにも就いて、一家を構えるようになりました。あなたも、苦学生として働きながら大学に通い、一家を構え、立派に子どもを大学に通わせるまでになりました。
きっとその間、艱難(かんなん)辛苦の連続だったに違いありません。それが報われたと思った矢先、自分の労苦の果実の恩恵で大学生になったような息子が、ただ楽をし、当の父親を蔑(ないがし)ろにしているように思えて、あなたは無性に腹立たしいのかもしれません。そこには、苦労を知らない若者への一抹の嫉妬にも近い感情もあるのではありませんか。
実は漱石も癇癪(かんしゃく)をおこしては家族に八つ当たりする家父長的な「おやじ」然としたところがあったようです。でも、家族に対する愛情は誰よりも深く、不幸な生い立ちだったからこそ、家族を何よりも大切にしたのです。あなたもそうではありませんか。
あなたは苦労や努力を重ね、世間一般から見れば「成功者」です。でも、やっと一息つける境遇にあるからこそ、気がつけば自分の艱難辛苦を知っている人もおらず、どこか孤独の風が体を吹き抜けるような寂寥(せきりょう)感に襲われているのかもしれません。
本来なら寂しさを夫婦で分かち合ったらいいと思います。しかし、これまで自分にも「弱み」を見せてはいけないと、張り詰めて生きてきただけに、「素直」になることもできず、どうしても「家父長的な」強い態度が表面に出てしまうようですね。
どうしたらいいか、答えは簡単です。これまで頑張った自分を褒めてあげましょう。そしてもうこれからは無理をしないで気楽に生きていこう、自分の弱みもさらして人生を楽しもうと、思いましょう。そうすれば「負の連鎖」は必ず断ち切れるはずです。
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よい回答ですね。質問者に対して「あなたは苦労や努力を重ね、世間一般から見れば『成功者』です。」と優しいいたわりの言葉をかけているのもいい。
「寂寥感(せきりょう)に襲われることは誰しもあること。」とはまさに王道の回答。
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相談2:男性を信じることができません。
(質問) 私は男性を信じることができません。怖いというより、嫌い。話をしてもつまらない、頼りにならない、といった感情です。
若い男女に結婚志願者が増えているといいます。私はそれを聞き、「なぜ?」と思いました。知識を得ていけば、男性に求めなければいけないことなどそれほどないのではないかと思ってしまいました。
昔の日本男児だらけの日本であればそうは思わないと思いますが、現代男性のように打てば崩れる人たちに何かを求めようとは思えなくなってしまいました。現在お付き合いしてくれる方がいますが、全くと言っていいほど普通のコミュニケーションを取ることを自分で制御してしまいます。
頼りにできない人間と結婚という形を取るのか、尼さんになることも手なのかもしれない。この状況を打開できる方法を教えてください。
回答者・小池龍之介さん
(回答)男性に対する期待値が異様に高いため、自縄自爆で苦しんでおられる。 それが、文面を拝見しての第一印象です。
男性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「打てば崩れそうで頼りないからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。
「自分を楽しませられるよう、会話をリードすべきだ!」「頼りがいがあって、ただ一方的に自分を守ってくれる人であるべきだ!」 そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の異性に嫌悪感を抱かれているのでしょう。 けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。
かつての「日本男児」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を得ることといわば交換に、女性を庇護していたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人君子は、この世にいません。
ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の女性は、女らしいおしとやかさも、かれんさもないから好きじゃない」とスネている男性に対して、あなたはやさしく、ないしは女らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。
「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。
「頼りがいのある男性に出会えないのは、自分の性格ゆえでは?」と、視線を180度転回してはいかがでしょうか。
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一刀両断の回答である。みごと。ただ、「頼りがいのある男性に出会えないのは、自分の性格ゆえでは?」とはキツすぎるかも。質問者さんは、そばにいて心から安心できるパートナーを求めているのであって、それは甘えではないと思うんですよね。みなさんはいかがお考えでしょうか。
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