【6月】2報目 | 今まで出会った○○研究者(みっつ)
現在6月30日の26時頃。もう6月ではなくなってしまいました。
6月は、研究者とはどんな生き物なのか知ってもらいたい、という目標のもとnoteを書くことになっていますが、
・「今まで出会った○○研究者」についてそれぞれ書く
・ ○○の中は、各々自由に設定する
こういう方針で三人がそれぞれ記事を書いたら、色んな研究者について紹介できるんじゃないか?
ということで今月のお題の二つ目が設定されたので、書きます。
私みっつは
○○ = 印象的な
に設定して書いていこうと思います。
最初にことわっておきたいのは、たくさんの紹介したい人の中から、書けそうなことや具体的なエピソードがある、かつ思いついた順に無作為に書く人を選んだということです。
といいつつ、絞りに絞っても全然減らせないどころか、考える時間をとればとるほど候補が増えていってしまい、最終的には
先生、先輩、後輩、外国の方、著名な方、おまけ
のそれぞれについて、一人ずつ書くことにしました。
ひとつひとつは短めにする予定です。長くなりそうですね。
長くなりました (※編集後記)。
見出しをつけましたので、興味のあるものだけ読んでください。すみません。
それと、身近だった人は名前を伏せます。アルファベットは順番につけているだけで何の意味も表していません。
A准教授
学生の頃の6年間はこの人の下で研究生活を送った、といういわば人生初めての上司。研究の世界の面白さと、厳しさを教えてくれた人だと思います。
6年間には研究イヤイヤ期も何度もありましたし、プライベート含め大変だった時期もあって色々と迷走する時期などもあり、配属から卒業まで、さんざん迷惑をかけたおかげで、エピソードには事欠きません。
A先生にとってはいい学生ではなかったかもしれないけど、自分としては最も影響を受けた人だと思います。
思考、気質、カリスマ性、語学力、プレゼン力やユーモアさまで、研究に必要な能力すべてがそろっているように見える、ご多分に漏れない界隈のスーパースターだったと思いますが、そういう化け物のような人たちの中でも、飽くなき開拓者精神と、最善手を打つために妥協しないという点が特に近くで見ていて気持ちよかったです。
とにかく、未踏のことを実現するために、いま足りていない一番必要なことから最速で実行する、という感じの人だと思います。
将棋というゲームを、全員がはじめて同時に目にしたときに、
「色々考えて試したけど、一手目は ▲7六歩 が強くね?」
と、誰もが納得する定石に、いち早くたどり着けるような感じかもしれないです。
そんな人が6年間のラボ生活におけるあらゆる面でフェアに"関門"として立ちはだかってくれたのは、自分にとっては大きな財産だったと思います。
「あの人を一度くらい唸らせるような研究アイデアや結果を出す」というのは、先輩もよく言っていました。自分もそういう気持ちで進学を決意したのを覚えています。
研究室に配属されたての学部四年生の頃、飲み会の帰りに歩きながら「学生でも教授でも研究者としては対等。そういうつもりで関わりたい」と話してくれたのが、研究の世界とはどのようなところなのか、はじめて言葉にして教えてもらったことかもしれません。
この日はよく覚えています。
先輩Bさん
この方は研究室のOBで、自分は直接会ったことがありません。
博士課程後期に進学したあと、卒業するためには博士論文を書かなければいけないなと思い、卒業生の冊子を掘り出して読んでいるときにこの方のものを読んで、そこで出会いました。
内容は普通の博士論文なのですが、巻末になにやら詩のようなものが1ページだけ書かれていて、中身は正直意味不明でしたが、そのゆるぎない独自の世界感にいたく感動したのを覚えています。
たしか「混沌(カオス)は言った―――。」のような書き始めだったような気がします。
おそらく、溶液中で分子が自発的に集合する様を研究する中で、Bさんがたどり着いた考え方、もしくは垣間見たある一瞬を切り取って表現したものだと推察します。
これを読んだときに「これからの研究生活で自分は、ただ研究結果を残すだけでなく、研究を通して世界を見ることで、自分だけの哲学にたどり着かなければいけないんだ」と衝撃を受けました。
のちにまた別の教授から「D論では自分が研究している物質群を題材にすることで、世界をどう見ることができるのかについて書いてほしい、それが読みたい」と言われることもあり、やっぱりこの数年間は、そういうものを身に着ける時間なんだな、と思いました。
Bさんは、お話ししたこともない方ですが、印象深い先輩です。
面と向かわなくても、残した研究成果やそれに付随するものを通して世代を超えて対話できるというのも、この世界の面白さだと思います。
後輩Cくん
自分よりも3つくらい下の後輩です。
先のA准教授は、このCくんが入ってくる頃から、新しい研究分野にも進出し始めていて、古参の私たちにはよくわからない新しいテーマがいくつか立ち上がりました。
その何やらよくわからない、難しそうな (今思い返してもかなり難解な分野の) テーマを与えられたのがCくんでした。
誰が話していても、それこそ先生たちが話していてもイマイチよくわかりにくかったテーマについて、彼が発表のイントロダクションで説明した時に初めて内容や背景が理解できた気になれました。
これはただ話が上手だということではなく、たぶんそのとき誰よりもこのテーマに関わる現象について理解していたのが彼だったから、そういう発表ができたのだと思います。
学生同士であーでもないこーでもないとディスカッションをするでもなく、いつも割と静かに実験をしている、机には常に教科書と論文が広がっている、というような感じのイメージでした。
マイペースに研究を突き詰めていく姿は、すごく魅力的でしたし、数年後気がつけば研究室内では愛されキャラを確立しつつも誰もが頼るエースとして活躍していて、個人的には初めて見るようなタイプだったなあと思っています。
たまに彼のところに行って、ちょっとこんなこと考えてみたんだけど、どうかな、という風に話しかけてみると、「それ僕も考えたことあるんですよね・・・」という風に会話が弾んでいくのはけっこう好きな時間でした。人知れず、誰よりも自身の研究について考えている安心感というのをいつも感じることができました。
帰省して古巣に遊びに行ったときはよく車に乗せてもらって一緒にご飯を食べに行っていましたが、それもたぶん今年までなのかな。ワクチンを打ったら一度帰りたいな、と思ったのは余談です。
ポスドクDさん
2年間の任期付きでインドからラボにやってきたDさん。
自分がいたラボはその立地もあってか、インドから来日している人が多かったのだけど、中でもすごく存在感があったのがDさんだったかなと思います。
経歴や研究についても、申し分なしのバリバリな人で、過去の専門を活かしたテーマでたくさんの結果を出していました。
抜群に明るくて人懐っこい人柄で、よくラボの人たちを家に招いてパーティをしていたり、ドライブに出かけたりしていました。こんなにフレンドリーなポスドクは6年間でこの人くらいだったと思います。いつも真剣なんだけど、余裕がある、という感じ。
実験中だったか、ホームパーティでお酒を飲みながらだったか覚えてないけど、ふと「幸せってなんだと思う?」と聞いたことがあって、
「住むところがあって、家族がいて、目の前にやるべきことがある。これが幸せだよ」
というような答えが返ってきたことを、すごく覚えています。
彼にとっては初めからそれが当たり前なのか、色々なことを経てたどり着いた考え方なのかまではわからないけど、自分もいつかそんな境地のような所にたどり着けたらいいなと思っています。
利根川 進先生
超が100個付くほど有名人で、分野も違って研究内容も深く理解していないような自分が紹介するのもはばかられるけど、実際に目の当たりにしたことのある人の中で強烈だった方。
2017年、(ラボ生活からのプチ脱却も兼ねて) 参加したHOPE MEETINGという合宿の初日、Nobel Prize Dialogue 2017というイベントに出席したことがあります。
その年のテーマは "The future of intelligence" 。 知の未来。
いまは当時よりもっと身近になった AI とか機械学習とか、自動運転、ロボティクスなどについて、その領域の第一人者たちと、まったく関係のない領域でノーベル賞を受賞した方々が一堂に会して講演やディスカッションをするというイベント(無料。興味のある方は調べてみるといいかもしれません)。
イベントの最終プログラムの「ノーベル賞受賞者による総括パネルディスカッション-人間の「知」とは?」の中で、そのクロージングに進行の方がした
「AIがノーベル賞をとる時代は来ると思いますか?何割の確率でそんな時代がやってくると思うか各々どうぞお答えください」
という質問に対して、最後に順番が回ってきた利根川先生の
「この分野に詳しくはないから、何とも言えないんですけども、ロボットが「ノーベル賞を取りたい!」と思うような時代が来ることを願うっていうのが、私からの回答でしょうね」
という独特な目線の受け答えに、会場全体が湧いた。
ウィットに富みつつ、時代を冷静に眺めていて、心に斬りかかってくるようなアンサーだと思います。
こんな返しを、あの場で茶目っ気と迫力たっぷりに返せるのが凄い。
これが、ノーベル賞を取るほどの研究を成し遂げ、しかもそのあと分野を変えて研究を続け、70代後半でも現役で戦い続ける研究者の姿、とショックを通り越して感動したのを覚えています。
おまけ:緑の妖精
この人については何も知りません。今でも本気で妖精だと思ってます。
出会ったのは、研究生活1年目。
修士課程にあがる直前に初めて参加した学会で、昼休憩の時に構内の広場のベンチでプログラム集を眺めている時。
「君はなんだか学者風だね。」
と突然話しかけてきたのは、緑色のギラギラしたスーツをまとったおじいさん。確か肌は真っ黒に焼けてたと思います。
「そうですか?」
と返すと、
「何の研究をしているの」
と訊いてくるので、
「光化学をやってます」
と答えると、少し間を置いて返ってきたのは
「君にとって、光とは何だい」
ちょうど卒業論文を書き上げた後だった私は
「光は、エネルギーです」
と答えてみたものの、
「そうではなくて、光ってなんなの?」
とさらに問い詰められ、私はそこで観念して
「うーん、、わかんねっス笑」
とおちゃらけた返答をしてしまったのですが、彼はその答えが不服だったのか、
「君はふざけているのか頭がいいのかわからん!!!」
と怒って去って行ってしまった。
というのが妖精と過ごした数分間です。
一体何者なのか、発表前のプレッシャーでみた幻覚なのか、まったくわからないのですが、
「光とはなんなのか」
いまだにたまに考え込んでしまうような、難しい問いを投げかけられた思い出です。
一応、「緑 スーツ 教授」などで調べてみたりしたものの、正体は不明なままなので、もし妖精を見かけた方は、私まで教えていただけると助かります。
最後に
長くなりましたが、今まで出会った印象的な方々について書いてみました。
他にも書きたかった方はたくさんいるのですが、これまで出会った印象的な人は共通して、自分だけの世界感や感性を持っている人だなと改めて思いました。
研究者に関わらずそういう人はたくさんいると思いますが、孤独で時に過酷な研究生活を過ごし、自己とそして自然と対話をし続けることは、その人なりのユニークな考え方が醸成されるのを助けているんじゃないかなと思いました。
終わり。