自分をさらけ出すことで、生徒との関係は変化していった|神奈川県 公立高校 教諭 白根稔彦さん
こんにちは。神奈川県の公立高校の教員として働いている白根稔彦(しらね としひこ)です。
高校時代から教員になることを志し、大学卒業後は非常勤講師として1年間母校に勤めました。翌年から、新任教員としての生活がスタート。今年で7年目になります。
今の僕が大切にしているのは、生徒とも先生とも1人の人間として関わること。そう思うようになったのは、教育実習や教員採用試験、部活動指導などを経験する中で、多くの困難にぶつかったことが影響しています。
最初は「教員はこうあるべき」という枠から抜け出せずにいましたが、失敗を繰り返しながらも自分をさらけ出したとき、周囲との関係は変化していきました。
教員を志したものの、採用試験は不合格。挫折を経験した
幼い頃から人に教えたり、説明したりすることが好きでした。高校はバスケの強豪校へ進学して、僕は勝つためにどうするかを考えたり、チームに対して意見を言うことが多かったです。その頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。
大学に入ったとき周りの学生が授業をサボったり、なんの勉強もしない姿を見ては「僕は先生になるために生まれてきたんだ!お前らとは違うんだ」なんて勝手に思っていました。で、自分はどうしたかというと、何かに打ち込むことはなくだらだらと毎日を過ごしていたんです。今当時のことを思い出すと、視野が狭かったし傲慢だったなと思います。恥ずかしいですね(笑)
自信満々で迎えた教育実習はボロボロでした。自分が思っているようには全くできなかったんです。知識は浅いし、教えるスキルもない。それまでは他の先生を見て「僕の方が上手く教えられるな」と思っていたこともあったんですが、実際にやってみて「先生方ってこんなにすごいことをやってるんだ」と感じました。
最後の1年間は頑張って勉強しましたが、教員採用試験は不合格。さすがに「僕は先生に向いてないんじゃないか…」と落ち込みました。
1年間、母校での講師生活。朝から晩までを学校で過ごした
その後は、非常勤講師の求人を探しました。それまで教員になりたくていろんな人とコミュニケーションを取ってきたので、今更「教員になることを辞める」なんて言えなかったんです。
そんなとき、ちょうど母校で空きが出て声をかけてもらいました。実習先の先生には普通では考えられないくらいの迷惑をかけたので、僕は「あんな奴もういいよ」と見放されてもおかしくないと思っていました。なので、母校の先生が手を差し伸べてくれたことに驚きました。
ここまで優しい先生方に恵まれ、声をかけていただいたにも関わらず、私は断ろうか迷ったんです。先生方の優しさや自分の生活のことよりも、過去の失敗から逃げ出したい気持ちの方が強かったんです。不届きものですね(笑)
でも「過去にかけた迷惑を、1年かけて償う気持ちで働こう!」と決心し、母校で勤務することに決めました。非常勤講師なので担当している授業の時間だけ学校に行けばいいんですが、先生たちからいろんなことを学ぶために朝7時から夜7時まで学校にいました。
手伝いをしたり、授業を見させてもらったりしました。休みの日に教員採用試験の勉強をして、ようやく合格。新卒2年目からは本採用としての勤務が始まりました。
厳しい指導で部員はゼロに。自分をさらけ出して、生徒との関係が変化した
勤め始めてからは部活の指導を熱心にやっていたんですが、それが全然上手くいきませんでした。「厳しい」と言われたりして、2年目には部員が1人もいなくなってしまったんです。
その頃は、「生徒が成長するなら、厳しいことでもなんでもやった方がいい」と考えていました。自分の名誉も大事だったんだと思います。ちゃんとした先生だと思われたいという気持ちもありました。
正直僕自身は、普段あまり怒らないんです。怒りの感情が湧いてこない。でも「生徒には怒らないといけない。ビシッとした先生だと思われないといけない」と思って、怒鳴り声をあげたりしていました。それを繰り返すうちに、自分が自分ではなくなっていく感覚がありました。
あるとき、怒鳴ることなく生徒とちゃんと話をしました。自分の素直な気持ちを伝えたら、「先生はそういう風に思ってたんですね」と返ってきたんです。子どもたちは、私の伝えたいことを無視しているわけではなく、単純に理解できていなかったんです。怒りに身を任せて、「伝える」ことを怠っていたんですね。それが自分の刀を、少しずつしまおうかなと思うようになった出来事です。
人間として生徒と接すると、良い関係が築けるようになりました。僕が攻撃を止めたら、生徒も攻撃を止めたんです。生徒に悪い行為をさせていたのは僕自身だったのかなと深く反省しました。それが教員3年目のことです。
今は1人の人間として生徒と関わることを大切にしています。例えば、課題の提出期限が過ぎていることがあったら自分に置き換えて考えるようにしています。
恥ずかしながら、僕は一人暮らし時代に水道代をずっと払わず水が止まったことがあるんです(笑)支払いを滞納しても怒られないけど、シンプルに水を止められます。ある日水が出なくなったら困りますよね(笑)そのスタンスでいいなと思いました。
期限に遅れてしまうことって誰でもあると思います。「遅れるな!」と指導することは簡単ですが、解決はしませんよね。遅れてしまったことを伝える、その原因を聞く、次はどうするか考える。それでも解決しなかったら、取りに帰ってもらう。当たり前のことをやれば、怒鳴ったり強い指導は必要ないことが多いのではないかと考えたんです。
周りにる先生たちの支えが力になった
思い返すと、挫折経験に満ち溢れた日々でした。それでも教員を辞めずに今日までやってこれたのは、仲間達の存在が大きかったと思います。周りの人にはめちゃくちゃ恵まれていました。つらいときに理解してくれる人が、必ず周りにいたんです。
失敗しても「お前が悪いんだ」と言われることはなく、「大変だよな。でも頑張ろう」と言ってくれたり、「そんなことはいいから馬鹿話しようぜ」と言ってくれたり。そして大事だったのは、自分が間違ったときに「それは違う」とちゃんと誤魔化さずに言ってくれる人がいたことです。
つらいときに職員室という場所があって、そこでたくさんの先生たちが支えてくれたから、教員を続けられていると思っています。
今の職場では、周りに強く当たったり否定的になりすぎたりしないようにしています。ミスが起こったときに誰かのせいにすると、職員室はいづらい場所になってしまう。そうならないように、先生たちと話す機会をたくさん持つようにして、自分からいろんなところに顔を出します。
とは言え、どうしても発散できない気持ちがあったり、違う場所でもっとこんな話がしたいという思いはあったりします。僕自身がそんな思いを持っているので、本業の傍ら、教員に限らずいろんな人と話せる「職員室2.0」というコミュニティをつくって運営しています。
※ 今は多忙すぎて活動を実質休止状態です…(笑)
School Voice Project への思い
学校現場を変えたいと思って行動する人たちが、School Voice Project を通して1人でも声をあげることができるようになるのが僕の願いです。
僕は学校現場が大好きな人間だし、現場の先生たちは素晴らしいと思っています。その人が盲目的に働くのではなくて、もうちょっと議論がしやすくなったり、ちょっとでもアクションしやすくなると良いなと思っています。黙っている人ほど、実はいい意見を持っていたりして、そんな声を集めていけたら良いなと。
鎖国状態の学校をもっと開いていって、やれることを分担していく必要がある。こんな風に学校に対してアクションしてくれる人がいる限り、このプロジェクトは全国の学校現場に広がっていって欲しいなと思います。
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(取材・文:建石 尚子)