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「考える」をやめないように

最近よく「考える」について、考えている。

小学校4年生の時の国語の授業で、こんな課題があった。

「国語辞典で『思う』を調べてみましょう」
一斉に辞典を開いて、言葉を探す。

ある物事について考えをもつ。考える。

weblio辞書より

「辞書には『考える』という言葉が使われていますね。では『考える』の項目には何が書かれているでしょうか?」
また、辞書をから単語を見つけ出す。

小学生向けに使われていた辞書だからか、そこには「あることについて、思いをめぐらす」のようなことが書かれていた。(今辞書で調べてみると、しっかりと「思う」と「考える」の用法は違うことが明記されている)


何を思い出したかというと、小学4年生だった私は「思うと考えるって、一緒なんだ!」と安易に覚えてしまったなぁ、ということ。

その先生の授業がとても面白く、楽しかったので印象に残っているのかもしれない。それ以来、漠然と「思う=考える」と定義していたような気がする。(今思うと、先生は類義語について授業したかっただけかも)


でも、やっぱり「思う」と「考える」には距離がある。で、色んな「思う」は1日の中で連続して起こるのだけれど「考える」は意識しないと中々できていないよなぁ、と思って。

そして考えたことは頭の中でグルグルさせておくより、こうして文字として形にする方が、何だか私はスッキリするような気がした。

なので、noteを使ってどんどん頭の中を整理していこうと思う。そうした方が「考える」を続けられるはず。


ちなみに「考える」について考えたきっかけは、このnote。色んな人のXやnoteを読んで「この人の言語化力、本当にすごいな」とよく思う人は、ぜひのぞいてみて欲しい。

昨今見られる「言語化」という「言語」は、明らかに私たち人類の「知的体力」が低下しつつある兆候なのではないか。

脱タムパ的思考論ー「言語化がスゲぇ」が実は全く凄くない理由。より

この文章を読んで、グハァ、となった。「知的体力」の意味については、ぜひこのnoteを読んでみてほしい。私はこの言葉、今年のテーマにしたいなと思っている。


以上、久々のnoteでした。

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