クアトロ・ラガッツィ
毎年2回は会いに行く夫の叔母。彼女はフィレンツェに住んでいます。今回も春に引き続き彼女に会うため彼の地へ赴き、その後ヴィチェンツァを回って帰ってきました。
世界に名だたる有名かつゴージャスな都市が国内にズラリと揃うイタリア。そのイタリアにあってはヴィチェンツァは目立たない地方都市ということになるのかもしれません。その名を初めて聞くという方も少なくないと思います。しかし、この都市には他にはない目玉があります。欧州史上最初期の職業建築家の一人とみなされているアンドレア・パラディオ(Andrea Palladio, 1508-1580)が設計した素晴らしい建物が数多く街中に並んでいるのです。そのなかでもとりわけ有名なのが、彼がその人生の最後に設計したオリンピア劇場(Teatro Olimpico)です。自分の目で一度見てみたいと思っていたこの劇場を見るために、今回フィレンツェへ立ち寄った後、後ヴィチェンツァまで足を伸ばすことにしました。
オリンピア劇場は期待どおり素晴らしいものでした(しかし、Rolleiflex搭載レンズの画角では圧倒的に狭く、観覧席から舞台を上手く撮影するためには35mm換算で28mmより広い広角レンズが必要だと思いました)が、ここで予想外の出会いがありました。劇場を見学し終わった後出口に向かう途中にミュージアム・ショップのあるホールがあり、そこには美しい天井画が描かれています。その中の一つのモチーフとなっていたのが天正遣欧使節だったのです。彼らがこの劇場を訪れたのは、若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』の記述から推察するに、1585年後半から1586年頭と考えられます*。1985年オリンピア劇場はパラディオの死後1585年に落成しているので、使節は完成直後の劇場を訪れたことになるのではないでしょうか。
中学高校時代、歴史は私の最も好きな科目でした。ひと口に歴史といっても、私の興味は子供の頃からひたすら欧州史に向かい、日本史に関心を持つことはありませんでした。しかし、その中でも唯一の例外だったのが、日本が欧州へ向かい窓を開けたごく短い期間(織豊時代)でした。日本におけるキリスト教布教史や天正遣欧使節などに関する本は少なからず読んだつもりだったのですが、ヴィチェンツァと少年使節たちの関係は頭からスッポリ落ちていたので、オリンピア劇場で天正遣欧使節の天井画を見た時には新鮮な感動がありました。少年たちはここへ来たんだ。今、私は彼らが見た舞台を見て来たんだ、と。
街にはもう一つ、少年たちが目にしているに違いないと思われる建物があります。それはカテドラル(Cattedrale di Santa Maria Annunciata)です。オリンピア劇場を見学した翌日、そこを訪れてみました。15世紀に着工されたこのカテドラルは16世紀を通して建設が続きます。大まかな形をとったのは16世紀半ばのようですから、少年たちはやはり真新しいこのカテドラルを見ているのではないでしょうか。海の向こうから遥々やってきた使節を迎え礼拝を行うのなら、街の中の他の教会ではなく、カテドラルに違いないと思うのです。そして、もしカテドラルを訪れていたとしたら、その当時「ragazzi(少年)」ではなく、既に「signori(男性)」と呼ばれていた成長した彼らは、一体何を考えたのでしょうか。眩い主祭壇を目にし、聖堂内に降り注ぐ光を受けて、キリスト教とともに日本で生きる輝くような未来のことを考えていたのでしょうか。
私は4人の使節の運命を知っています。彼らの未来に起きうるべきことを考えていると、カテドラルの窓から燦々と差し込んでいた光が翳り、急に辺りは暗くなりました。夭折、追放、棄教**、そして殉教。その人生を長く生きた少年ほど、辛い運命を引き受けなければなりませんでした。「日本なんかに帰らないで、そのままヨーロッパにずっといれば良かったのに」という言葉が思わず口から漏れました。
…もちろん、彼らにそんな選択肢などあり得なかったのでしょうけれど。
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*天正遣欧使節は1985年6月2日ローマを出発、ボローニャ、ヴェネツィア、ヴィチェンツァ、ジェノヴァなどを経て(下巻89ページ)、1586年4月にリスボンから帰途につく(下巻91ページ)と書かれれいます。
**長い間棄教したと考えられていた千々石ミゲルは、近年その埋葬地が特定され、副葬品などからイエズス会を脱会したものの、隠れキリシタンとしてその人生を全うしたという可能性も出てきているそうです。詳細は以下のサイト参照。
千々石ミゲル墓所調査プロジェクト
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参照)
若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』集英社文庫, 2008
Guide to Vicenza, edited by Angelo Colla, Angelo Colla Editore, 2023