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家族の写真
昨日、近所を散歩した時にフィルム1本Rolleiflexで撮りました。
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撮っている時は意識していなかったのですが、1本のフィルム12コマのうち、実に11コマに夫が写っていました(顔がはっきり写っているものはここへの投稿を見送りました)。その写真をPCの画面で見直しながら、ふと私は子供の頃家に何冊もあったアルバムのことを思い出しました。家族で旅行に行った時、入学式、卒業式…、そんな何か特別なことがあった時ばかりでなく、新しい洋服を下ろした時とか、友達が遊びに来た時とか、日常のちょっと心が動いた時には、カメラを取り出して撮影していたと思います。そして折につけそのアルバムを開き、写真を通して楽しかった「その時」を思い出すと、「ねえねえ、見て、この写真、この時ってさ…」と近くにいる家族や友人に写真を見せて、思い出を語り合ったものです。つまり、アルバムを開けば、自分や自分の家族がどのような時を過ごして今に至ったのか、分かるようになっていたわけです。
しかし、妹と私という子供が成長すると、次第に写真を撮る機会は少なくなりました。一番写真を撮らなかったのは、両親の家を出て独立し、毎日仕事に追われていた20代後半から30代ではなかったかと思います。この頃は、例えヨーロッパへ旅する時でも、「重いから」とか「窃盗の対象になるから」という理由でカメラを持って出かけないことすらありました。そんな私は、40代になり、ふとしたきっかけから「外国製の古いフィルムカメラ」という全く違う道筋を経由して、再び「写真を撮る」日常に戻ってくることになったのです。そして、その写真がきっかけで知り合った夫と、ドイツの片隅に小さな家族を作り、ふたたび「家族の写真」を撮るようになりました。
現在はアルバムではなくFlickrで写真を管理し、Instagramに写真を投稿していますが、その写真を夫と一緒に見て写真を撮った時のことを「ああでもない、こうでもない」と時折話し合うのが楽しい時間となっています。この辺りは本当に昔と全く変わりません。
子供の頃、家に1台だけあったカメラは、国産のレンジファインダーだったと思います。二重線を合わせて写真を撮っていた記憶があるからです。現像やプリントは、町の写真屋さんにお任せでした。それを考えれば、今はRolleiflexだのLeicaだの、古いとはいえカメラは高級化し、自宅で現像・スキャンするなど、写真という「趣味」の領域に若干足を踏み入れた感がありますが、「それで撮っている写真は」と改めて振り返ってみると、子供の頃と今と全く変わっていないのかもしれないなあなどと思うのです。そのごく一部はインターネット上に公開こそしているものの、少なくとも撮る時は不特定多数の方々にお見せすることを目的としてはいないからです。私にとって写真とは、昔も今もやはり「自分と家族のための日々の記録」という意味合いが強いのかもしれません。
お互いかなり年をとってから結婚した夫婦なので、2人で過ごす時間はその1分1分がとても貴重に感じられます。ですから、これからも私たちが過ごした時間を記録する「家族の写真」を撮り続けていこうと思います。