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12月を歩く

「2024年の写真」という記事を投稿することにより、今年の写真生活は締めたつもりでした。しかし、先日1日中濃い霧と霜に覆われた日があり、「これは撮らなければ」と予定変更してRolleiflex片手に森へ写真を撮りに行きました。 ところで、毎年この時期になると必ず思い出す立原えりかの短編小説があります。擬人化された12月が、暮れも押し迫った夜の街を歩くのです。まだ年が明ける前に、酔っ払って「あけましておめでとう〜」と声をかける人に、「まだ12月は残っていますよ。この時間を大切

自転車が走る街

イタリア文学者・河島英昭はこのように書いています。これはイタリアでは案外珍しいことなのではないでしょうか。例えば、夫の親戚がいるため頻繁に訪れるフィレンツェでは、自転車より圧倒的にバイクのほうが優勢のように思います。 河島英昭がフェッラーラを訪れたのは約20年ほど前のことですが、今でもその時と変わらず自転車はたくさん走っていました。私が撮った写真にも、自転車が山のように写り込んでいます。 少々驚いたのは、旧ゲットーの道路脇にキーチェーンもなく無造作に置かれた自転車があった

愛と憎しみのフェッラーラ

愛と憎しみのフェッラーラ。 これはイタリア文学者でウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の訳者でもある河島英昭(1933-2018年)のエッセイのタイトルです。このエッセイに惹かれた私は、夫を誘い、秋の終わりにエッセイの舞台である北イタリアの街・フェッラーラを訪れました。 河島英昭はこの『愛と憎しみのフェッラーラ』というエッセイにおいて、この街のゲットーに触れ、次いで作家として名を馳せたジョルジョ・バッサーニ(1916-2000年)という代々フェッラーラに住み続けてきたユダヤ人

クアトロ・ラガッツィ

毎年2回は会いに行く夫の叔母。彼女はフィレンツェに住んでいます。今回も春に引き続き彼女に会うため彼の地へ赴き、その後ヴィチェンツァを回って帰ってきました。 世界に名だたる有名かつゴージャスな都市が国内にズラリと揃うイタリア。そのイタリアにあってはヴィチェンツァは目立たない地方都市ということになるのかもしれません。その名を初めて聞くという方も少なくないと思います。しかし、この都市には他にはない目玉があります。欧州史上最初期の職業建築家の一人とみなされているアンドレア・パラディ

アンナのドレスデン

とても面白い本を読みました。『Dostojewski in Deutschland(ドイツのドストエフスキー)』(Karla Hielscher著)という本です。 正確に言うと最初から最後まで読み通したのではなく、今までに自分が訪れたことがある場所について書かれた章のみ読みました。すなわちヴィースバーデン、ホンブルク(現在のバート・ホンブルク)、そしてドレスデンです。このうちドストエフスキーが最も長く滞在したのがドレスデンで、その期間は延べにすると2年半に及ぶそうです。そし

Bad Ems

その生涯を閉じる前の約20年間、ドストエフスキーは断続的に何回もドイツを訪れています。一昨年とある本を読んで以来、私はその足跡を追うように毎夏ドストエフスキーが訪れた場所を旅するようになりました。最初はドレスデン(Dresden)、去年はヴィースバーデン(Wiesbaden)、そして今回はバート・エムス(Bad Ems)。 私とドストエフスキーとの付き合いは長く、最初に読んだのは大学進学を控えた高校最後の春休みでした。ドストエフスキーの小説は、その世界観を何某かの形で感受で