あなたの努力はホンモノですか?—「置かれた場所で咲けない人」がいる―
がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです(平成31年度東京大学学部入学式 祝辞より 2020年5月7日閲覧)。
こんにちは、scherzです。本文は、自分の努力で成功を掴んだという人、不自由なく生活を送れている人に読んでいただきたいと思い書きました。よければどうぞ。
いきなり引用から始めましたが、これは大きな話題を呼んだ上野千鶴子氏による祝辞です。記憶に新しい方も多いでしょう。個人的に上野氏の哲学的主張には、賛成なこと反対なことどちらもありますが、この祝辞に関してはおおむね同意しています。
今日は、この祝辞を自己責任と貧困という観点から、少し具体性を持たせて言いかえてみたいと思います。
統計データが示す貧困~東大生の親はお金持ち?
同祝辞において、上野氏は女子学生が男子学生に比べて合格しにくい、という統計を紹介していました。詳しくはリンク先をご覧いただければと思います。
少し別の事実を示してみましょう。
子ども期に貧困であることの不利は、子ども期だけで収まらない。この「不利」は、その子が成長し大人になってからも持続し、一生、その子につきまとう可能性がきわめて高い(阿部彩(2008)『子どもの貧困—日本の不公正を考える』18ページ、岩波書店)。
貧困の定義は厳密にしておかねばならないところですが、ここではいったん措きます。
貧困世帯で育つことは、教育格差、社会的なつながりの希薄さ、低収入に影響が及ぶことが分かっています。そしてその子どもたちもまた、同様に貧困の連鎖に巻き込まれていきます。上記の書籍にて実証的にデータをまじえた分析がされています。詳細はぜひそちらをご覧ください。
東大生の親は所得が高い、という話を耳にされたことがある方もいるでしょう。あるデータを見つけましたので、引用しておきます。
教育社会学者の舞田敏彦氏の調査によれば、東大生の親の世帯年収は54.8パーセントが年収950万円以上である一方、その親と同世代の世帯年収で年収950万円以上は22.0パーセントにすぎないことが判明しています(2014年度)(幻冬舎GOLD ONLINE 東大生の親「年収950万円以上が半数超」経済格差の不条理 山田 浩司2020.4.8より。2020年5月7日閲覧)。
日本も学歴偏重社会を脱しつつあると言われていますが、高学歴ブランドがもつ効果は随所に見られます。
その高学歴や高収入、本当にあなたの努力だけで勝ち得たものでしょうか?
低学歴や低収入、本当にその人の自己責任でしょうか?
能力・努力って平等でしょうか?
みなさんはなぜ、努力するのでしょうか?
努力しないと生活できない、努力すれば夢がかなえられる、そうかもしれません。
もう少し具体的にいうと、
努力すればいい大学に入れる、努力すれば高収入が得られる、そうかもしれません。
私は努力を否定するつもりは全くありません。
しかし、努力するのはある程度、それが報われるはずという期待があるからではないでしょうか。
報われない努力があることは知っています(私もそう感じたことがあります)が、努力すれば何かしら得られると期待します。
私は自分の努力が認められる環境にいるのだと感じます。これは運がよかったからだと。努力のモチベーションは平等じゃないのだと。
もし私があなただったら、もしあなたが私だったら
少し話を大きくしてみたいと思います。
もし私がコンゴに生まれて、iPhoneに使われるコバルトを手掘りさせられていたら、今と同じ豊かな生活はなかったでしょう。
もし私がシエラレオネに生まれてエボラ出血熱にり患していたら、成人せずに死んでいたかもしれません。
コンゴで金属を手掘りしている子どもが貧しいのは、自己責任でしょうか?
もし私が努力を認められる見込みもない環境に生まれていたら、努力していたでしょうか?
豊かな環境に生まれてくる(努力が認められる)のって、運がよかっただけだと私は思っています。
それでも自己責任ですかね?アフリカの話は極端ですか?たしかに日本で金属を手掘りしたり、エボラに感染はないでしょう。しかし、運が悪かっただけで努力を諦めた方は多いのでは?
『置かれた場所で咲きなさい』という書籍が話題になりましたが、私からすれば、「置かれた場所で咲けない人」がいます。ビニールハウスで生まれた花は、南極に生まれた花に、「そのつらさは自己責任だよ」と言えるでしょうか?
予想される反論とそれへの回答
最後に反論を想定しておきたいと思います。
1点目として、高学歴でも低収入な人あるいはその逆もいる、という主張です。これは事実です。そういう人もいます。しかし、私が言いたいのは、その確率・傾向が顕著だということです。ごく少数の事例のいいとこ取りをして全体を語るのは危険だ、と言いたいのです。
2点目に、本文は主に、社会的に成功していると言われる人々、不自由なく生活できている人々にむけて書かれているということをお断りさせて下さい。「あなたの成功は自分の努力で勝ち得たものですか?本文を読んでなお、自己責任という魔法の言葉を貧困下にある人々に投げることはできますか?」というお話です。お許し下さい。
3点目に、貧困の人たちの生活を保障すると、それに依存して働かなくなる、という反論です。これは正直、わかりません、としか言えないです。実際そういう事例もありそうですが、その逆もあります。
ベーシックインカムを試したところ、酒やギャンブルに費やすお金が増えたのは、貧者よりもむしろ富者であったという分析もあるくらいです。貧者が酒やギャンブルに溺れるという話は、案外ステレオタイプかもしれませんよ。
4点目に、偉そうなことを言っているがお前はどうなんだ、という反論です。回答としては、私は寄付をしています、というものになるかと思います。アルバイト収入の10%~15%を援助団体に寄付しています。十分だとは思っていませんし、もっとされている方には頭が下がる思いです。
ちなみに、コロナ禍でアルバイト収入が0になりましたが、貯金を切り崩して寄付に回しています。赤字ですね。それでも続けている理由は、自分の収入、学歴、それへの努力、その努力のモチベーションは、単に運がよかったからだと思っているからです。私がモザンビークで金属を手掘りしていた可能性やシエラレオネでエボラ出血熱にり患していた可能性だってあったわけです。
最後に、貧困下にあっても幸せに暮らしている人だっている、というものです。これは1点目と近いですが、たしかにそういう方もいらっしゃいます。しかし、明らかに少しのお金があれば防げたはずの死や病気、というものが数多くあります。運が悪かっただけで、命という最も根本的な部分を脅かされる人々のことを思うと、幸せな人もいると私には言えません。
長文、ありがとうございました。
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