あたりまえを疑うって、今も昔もたいせつ。『学校ってなんだ!』を読んで
元麹町中学校長の工藤先生と劇作家の鴻上尚史さんの対談本『学校ってなんだ!』を読んで、『あたりまえを疑う目』を鍛えておかなくちゃ、と感心したのです。
25年前ほどの卒業生として、いちばん驚いたのは、生活委員(いわゆる風紀委員)の話でした。
麹町中学校って知ってますか?
そもそも麹町中学って
麹町中学は、東京都千代田区立の中学です。その昔は、番町小・麹町中・日比谷高校・東大というエリートコースがありました。
ぼくらの頃でさえ、その名残はあって、区立なのにわざわざ優秀な子たちが越境して入学してました。
ちなみに、校内偏差値が50だと、全国偏差値では60相当と言われてました。つまり、お勉強ができる子らの集団です。
自慢じゃないですが、番町・麹町までは!せっせとエリートコースを爆進しました。
ぼくらの頃の麹町中のあたりまえと比較
ぼくらの頃と工藤校長の改革を比較してみたいと思います。
※もしかしたら、認識違いがあるかもですが。
▪️定期試験
ぼくらの頃:絶対的なもの(校内偏差値ってのがあるくらいだし)
工藤校長:廃止。そのかわり単元テスト
▪️夏休みの宿題
ぼくらの頃:通称電話帳(そんだけいっぱい出た)
工藤校長:廃止?(たぶん)
▪️制服
ぼくらの頃:絶対的なもの。男子は腰パンとか、常に注意されたし、女子はスカート丈とルーズソックスは、厳格な注意の対象でした(懐かしい……)
工藤校長:厳しい規則なし
▪️髪型
ぼくらの頃:前髪、耳よこ、髪色。指定あり
工藤校長:自由
▪️生活委員(風紀委員的なやつ)
髪型とか服装とかを、登下校時にチェックする役目。
ぼくらの頃:当番制
工藤校長:廃止
ぼくがいちばん驚いたこと
とにかく、ぼくらの頃の麹町中は、締めつけがきつかった。その分、見えないところで荒れてた……
だから、ぼくがいちばん驚いたのは、これ。
教員と生徒が、教員と生徒が一緒になって服装違反を取り締まるような風景、もう最悪ですね。(中略)
だから私、麹町中ではすぐになくしましたよ、生活何とか委員会みたいなやつ。「先生の手下を作るって発想おかしくないですか?」「子供が子供を注意するなんてそんなことやめさせようよ」と。
『学校ってなんだ!』p52
これ、読んで「たしかに〜」と思ったのと同時に、「あら、先生の手下だったのか!?」と思いました。
言われてみれば、「めんどくせぇ〜なぁ」と思いながらも、内申点ももらえるし、先生から怒られない程度にやってましたもん。(マインドに手下感がありますね)
朝と帰りに門の前に立って、帽子の被り方だ、学年のバッチがどうだとか、超絶瑣末なことに目を光らせてみたりして。
でも、自分だって偉そうに言える立場ではないから、チェックしながら、変な気分になるわけです。。。
たとえば制服が乱れている子がいたとして、それを先生に言って、いったい誰のための、なんの行為なのか。
あたりまえを疑ってなかった
校則だから、規則だから。
そう言われて、ぼくは疑問に思うことはありませんでした。あったとして、うまく言葉にできないし、めんどくさいから従っていたと思います。
でも、いま思えば、『そもそも』を『疑う』って、大事なのかもしれないと思うのです。それって、自分で考えるってことだから。
考えるって、正直めんどくさいし、いちいち立ち止まっていたら進むものも進まないのかもしれない。けれど、3.11を経て、2020年、2021年を経て、考えることから目をそらす方が、あとあと払うツケが高いことを、ぼくらは知ったわけです。
なにより、創作する人間には、作家の眼が必要です。
その作者が、人生や社会を見る(作家の)眼がなくてはなりません。どんなことに対しても、自分はこう考える、と言う考え方が必要で、これがなくては作家とは言えないのです。
『シナリオの基礎技術』p40
違和感を言語化して、必要なら変えるべきことは、声に出していく。そういうの、めんどくさがらずにやっていけば、少しは、下の世代に貢献できる大人になれるのかもしれませんね。
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