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19世紀末からナチス直前までのウィーン文化のアヤしい破壊力:「悪意と敵意を持つ者だけが生き延びられる」
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今週「20世紀初頭のウィーンが、哲学・数学・物理学のオオモノ揃いで、あまりにおかしい」という、以下の記事を公開しましたが、
その後、よく調べると、文学や芸術の側の人材も、なかなかにおかしいと気づく
気づかせてくれたのは、古本で買った、この本↓
池内紀先生が選んだ、19世紀末からナチス時代までの名作短編小説集ということなのですが、
シュニッツラー、アルテンベルク、ホフマンスタール、ツヴァイク、ムージル、、、って、なんという豪華メンバー!
↑、、、と思いきや、よくみるとこれ、よほど「文学が好き!」という人でないと、「え?この人たちだれ?一人も知らないけど?」となりそうな点、
かなり玄人好みwな豪華メンバーである点も実に渋い、、、
この頃のアメリカ文学が、ヘミングウェイやフィッツジェラルドら「そんなに文学ファンではない人でも豪華だとわかる」ネームが並ぶ点で、レアル・マドリードのような銀河系軍団だとすれば、この頃のウィーン文学は、よほど好きな人が見れば「なるほどレアル・マドリードに対抗できるくらい強そうだ!」と納得する点でアトレティコ・マドリードみたいなものか。って、これこそよほどサッカー好きな人にしか伝わらない比喩か、、、
※もしかしたら映画好きには伝わるかも、とほんの少しだけ解説すると、たとえばシュニッツラーというのは『アイズワイドシャット』の原作を書いた人です。あの(怪作としかいいようのないw)映画は、実はナチス登場前ウィーンの上流階級の妖しく怖い精神世界を描いた小説を、20世紀末のニューヨークのアメリカエリート層の話に置き換えたという企画からして「アブない」ハナシなのだ!そしてそんな「金持ちだが空っぽな」エリート層夫婦役がトム・クルーズとニコール・キッドマンて、もう「出オチ」レベルの、悪意ある配役、、、
そもそも、
思えば、私がこの時代のウィーンに興味を持ったきっかけも、ウィトゲンシュタインやポパー、そしてウィーン学団を産んだ街、という点でした。「遅れてきた論理実証主義者」を自認する私には、やはりウィーン学団のインパクトは決定的なわけで、、、って、ごめんなさい、これもよほど哲学好きな人しか伝わらない話か、、、
しかし、池内紀先生が集めてきたような、退廃と夢と狂気と倒錯と妄想が渦巻くウィーン世紀末文学の作品リストを眺めていると、もしかしてフロイトの夢判断もウィトゲンシュタインの論理哲学論考も、カルナップやノイラートらが熱く「俺たちの手で文系から哲学を理系の手に奪ってやるぞゴラァ!」と語り合って生まれたウィーン学団(その後、結局、「本業の」文系哲学界にボッコボコの返り討ちを受けてシュンとなる「ウンまあそりゃそうなるわな」展開まで含めw)も、
この時代のウィーンという「なんでもあり」の世紀末感から生まれたと仮定すると、とても面白いと思いましたが、いかがでしょうか?
しかし、
世界史的に見れば、
「アヤしくもどこか魅力的」なこの頃のウィーンには、
まもなく、おそろしい運命が待っていたわけで。
池内紀先生が、『ウィーン世紀末文学選』のあとがきで、大恐慌時代のことを書いたジャン・アメリーの手記を引用しているのですが、実は、あとがきにさりげなく引用されているこの手記こそ、私がこの本でいちばん背筋が凍った箇所でした
(博士号の持ち主だろうとなんだろうと、食うもの着るものに困るほどの状態に追いやられ)「世界は悪意と敵意にみちていた」
そして
「悪意と敵意をもつものだけが、この世界を生き延びる」
↑大恐慌時代のウィーンの若者世代の状況、つまり、ヒトラーによるウィーン進撃の、約10年前のことを書いた手記との旨