井上円了先生の「怪」に関する分節が便利すぎる
過去の偉人を評価する時のひとつの基準として、「その人が定義したキーワードが、私が物事を考える時に便利かどうか」があります。たとえば、いかにその理論の細かいところが古くなったとしても、フロイトの「無意識」というキーワードの発明は私が「人の心の在り方」を考える時に強力すぎる。ラカンの「象徴界・想像界・現実界」もまた然り。
そして怪談や妖怪や幽霊について考えるときは、我が国の生んだ巨人、井上円了先生のフレームがいまだに強力すぎると思うています!
すなわち、
・「怪」を、大きく、「実怪」と「虚怪」に分ける
・「実怪」をさらに「真怪」と「仮怪」に分ける
・「虚怪」をさらに「偽怪」と「誤怪」に分ける
細かい話はもっといろいろ出てきますが、私なんぞが「世の中の怪異」を自分なりに分類したいとなったときは、この四つでもう十分すぎるほど。
そして、とても重要なものは井上円了先生にとっても「真怪」への到達である点は強調したい。ただしこの「真怪」の体得は尋常でなく難しい。井上円了先生の分類では、世にある「怪異」はほとんどすべて虚怪ないし仮怪に分類されてしまう。先生の著作「真怪論」を読んでも、出てくる怪異はことごとく科学的反証によって打破される。ここに至りて井上円了先生のいう「真怪」はかなり哲学的な一種の「境地」というか、「心眼で見るもの」のような高度なレベルの話であることがわかる。
ところが「真怪」にたどり着くためには、やはり、世の中のたくさんの「怪異」を分類して、ひとつひとつを迷信として打破していかねばならない。
世の中の怪談を科学の力で解明し、怪異が人の近代的生活を阻害する影響を持ってしまうことは「迷信」として徹底的に粉砕しつつ、その向こうに残る「真の不可思議」に目覚めること。まさに現代的な怪異への向き合い方として私は大絶賛します。ただし、どうやら「真怪」の意義に到達するのはまるで仏教の修行にも似た、なかなか年月のかかる大変な道らしい。
と、難しいハナシになったものの、何はともあれ、「妖怪や幽霊をマジメに研究した学者」は過去に何人かいる中で、井上円了先生が破格に面白い。科学と妖怪の関係を考えるにあたって、いまでも有効な議論を投げかけてくれるのみならず、井上先生の残したキーワードや分類方法は自分が物を考える時にもいまだに超強力です。
▼入門として、私のオススメはコチラ▼
▼読んでも読んでも難解な「真怪論」がコチラ。私もこの本の最終章に描かれた境地にはまだ到底到達できていない、、、▼
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