ドゥルーズのお弟子さんがSF作家フィリップ・K・ディックを評論したらどうなるか!?、、、って予想通りのことになった!
ダヴィッド・ラプジャードといえば、かの現代フランス哲学の雄ジル・ドゥルーズの師事を受けた新世代哲学者にして、ドゥルーズの遺稿出版やドゥルーズ哲学研究においてバリバリ活躍している人。
そんな人が、
SF小説界のオニ👹であるフィリップ・K・ディック論を書いたら、どうなるか?
、、、悪口ではなく、まったく予想通りの内容の本になったあw!
いや、悪口ではないんです。悪口ではなくて、
私自身が世代的にも、ちょうど二十歳前後の頃にドゥルーズに「かぶれて」しまった黒歴史の持ち主ゆえに、なんとなく、ドゥルーズ哲学といえば、気恥ずかしい感じがするという個人的な事情がまずありまして、
そんな私が、本書を見つけて購入する段になり、
「ドゥルーズのお弟子さんが、ディックを論ずるとなると、、、ディックの主人公たちを統合失調症の症例と比較して論じたり、パラレルワールドをライプニッツにかこつけて論じたり、そして最後には『カオスを、崩壊を、混沌を恐れずに肯定しよう!』という力の思想になるのかなあ」と予想してたら、
まあ大体そうだった、というわけでw
繰り返しになるけど、これは悪口ではない。日本の片隅で中途半端にドゥルーズを読んだことのある私なんぞの期待を全く裏切らない論旨の本になっているということは、それだけラプジャード氏が「ドゥルーズの正式な後継者」としてもはや正しいってことと思うし。
それに多少、ドゥルーズをかじったことのある人ならピンとくる通り、ドゥルーズ自身はSFを正面から論じる本は出していないけど、その著作ではしばしば英米のSFが引用されるので、「ぜったいこの人、英米SF小説のファンなんだろうな!」とはわかっていた。
その正式なお弟子さんが、正式にSF小説を論じる一冊の本を著し、しかもその題材が、日本でも大人気のフィリップ・K・ディックとくれば、もはやある意味で「待望の本」とも言えます。
それに、私がこの本を読んで思った、だいじな感想がある。
ドゥルーズの書いた本は複雑怪奇で読みにくいが、ラプジャードのこの本は、SFファンであればお馴染みのディック作品ばかりを取り上げてるので、実に読みやすいということです。ぶっちゃけ、ドゥルーズの本を読むよりもこの本を読んだほうが、ドゥルーズの重要モチーフがパパパッて頭に入るんじゃなかろうか!
そういう意味で、哲学史とSF文学史の接点が生んだひとつの「出来事」(w)として、興味ある人はぜひ手に取って見てほしいと思った図書でした。
※あ、ちなみにですが、私が偉そうに「ドゥルーズ」うんぬん言っているときの対象は、かのフェリックス・ガタリと出会う前のドゥルーズのことですので悪しからず。ガタリとの共著である『アンチオイディプス』と『ミルプラトー』は、私も持ってるけど、一度たりとも一章たりとも理解できた気持ちになれたことがないw。どーしてガタリ合流後の本はこうなったんだろう。しかも厄介なことには、日本ではこの二冊の人気がやけに高いのだ。。。でもぶっちゃけ、これを読んで「うおおお!理解できたぜい!」となった人って何人いるんだろうか、、、?
↑ま、これは余計な話。
↓こちらのディック論、一人のSF好きとしても、推します!