「教養がある」人ほどなぜかカトリックとプロテスタントしか見てくれないことにギリシャ縁が深い身としては寂しいこと
少年時代の縁から現代ギリシャと関係が深く、ギリシャ語も学習中という私の立場から、ぜひヒトコト。
日本においては、自称「歴史や宗教についての教養がある」と言っている人ですら(あるいは、そういう人こそ?)露骨に公的な場で以下のような発言をしがちなこと。すなわち、
「キリスト教というのは、カトリックとプロテスタントという二つにわかれていて、この違いをちゃんと理解しないといけないよ」
なんて寂しいんだ、露骨に正教が無視されてるw!
そもそもプロテスタントを「新教」、カトリックを「旧教」などと訳しているのもどうなのか、正教から見ればカトリックだって後から出てきた新参者ですぞ。
ともあれ、御茶ノ水にニコライ堂があるように、日本だって正教と無縁ではない。これから、ギリシャ人やロシア人のみならず、中欧の人たちが日本にもやってくるようになるとますます正教とのユカリも強くなってくることでしょう。
別に正教のことを勉強する必要はありません。ただ、キリスト教とヒトクチに言ってもいろいろあるんだぞ、ということは是非膾炙してほしいと思うのでした。
そしてこれを言ってしまうと身も蓋もないかもしれませんが、やはり現代ギリシャ人のマインドを理解するには正教を知るしかない、と思う。
なんだかんだ、現代ギリシャは正教の伝統がとても強くイキイキしているところ。これは、私がギリシャについて学べば学ぶほど、痛感するところなのです。