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戦争体験者の祖母が『シェーン』を愛していた理由:現代アメリカよ!これがかつての日本人がリスペクトしたアメリカだ!

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気がつけば、2024年アメリカ大統領選挙の投票日を迎えましたね。

というわけで、アメリカ映画についての、私の思いをひとつ話しましょう!

、、、というか正確には、

アメリカ映画に対する、今は亡き私の祖母の思いの話というべきですかね。

私の祖母は戦争体験者で、まだ小さかった私の母を背負って空襲の中を逃げ延び、兄弟を失いながらも私の母を守り切って避難しきってくれたという女傑ですが、

そんな祖母が戦争終結後にすぐにアメリカの映画が好きになったというのは、不思議なような、わかるような、話。

そしてそんな祖母が「映画館で見て本当に感動した」と言っていた作品が『シェーン』というのが、またこれが大変に象徴的。

「それまでの西部劇っつうのはな、なーんにもない荒地で、バンバン、バンバン、乱暴に撃ちまくる映画じゃと思ってたのに!シェーンは、大きくてキレイな山がずーっと見下ろしてるんじゃ!そして、シェーンがなあ、『銃なんてものは抜いちゃいかん!抜いちゃいかん!』って子供に教えてくれるんじゃ」

なるほど、確かに!

私も『シェーン』を観て、思ったことです。

こんなに、主人公が、何をされても、何を言われても、なかなか銃を抜かない西部劇も珍しい、、、っていうか、ガンマンのくせに銃を使うことがこんなにすごくイヤそうなガンマンも珍しいなw

劇中では多くは語られていませんが、、、このシェーンという男、おそらく何か過去にあって、「人を殺す」ということに嫌気がさした、そんなガンマンなのでしょう。

一方で主人公の子供のお父さんは、とにかく

「暴力はいけない」「何事も話し合いで解決しよう」と言い続ける立派なリーダーなのですが、そのぶん、「話の通じない」ホンモノのギャングたちが街に入り込んできたら哀しいほど無力です。

それでもなお、「暴力に頼らないで街を守ろう」と必死なお父さんの、ある意味、身代わりとなってシェーンは最後に一回だけ銃を抜いて、どーしようもない悪党を倒してくれるわけですな

まあ、厳しい方は厳しく言うように、

『暴力はいけない』っていうテーマなのに、結局、いくら話し合いの通じないギャングが相手とはいえ、最後には早撃ち決闘で決着つけてんじゃないか!」と言われれば私も弱いんですがw、

でもね、考えてみるとこの映画、

「暴力はいけない!けど、話し合いも法律精神も民主主義も通じない奴らが暴力を武器に襲ってきた時は、どーすんの?!」っていう究極の問いにちゃんと答えてる映画とも言えるんですよ。残酷なことにこの映画では、家族も恋人もいない天涯孤独のシェーンが、その汚れ役を「やってくれた」わけですね

というわけで、

有名なラストシーン、

なぜ、子供が「シェーン、カムバーック」と言ったのに、シェーンが振り返りもしないで去って行ったのか?

私の解釈は明確です。シェーンは、たとえギャング相手とはいえ、結局は人を殺してしまったからですよ。シェーンは間違いなく、あの街のヒーローとして伝説になるでしょうが、そのかわり彼はもう「市民社会」には、入れてもらえないんです。というか、自分のほうから「もうこの街の人たちの仲間になっちゃいけない」と身を隠したというべきか(※そして私の解釈ではシェーンはあの後、長くは生き延びられていない)。

たとえ英雄であっても、人殺しは人殺し。共同体からは追い払われるべし」という、いかにも厳しい倫理観と、「それでも英雄は、あくまで伝説の中ではカッコよく語り継がれていくべきだ」という、いっけん矛盾する感情のせめぎあいが、ラストに響き合い続ける余韻、とても面白くて、

なるほど私も『シェーン』が大好きです。だが、そんな奥深い作品とはなかなか認知されておらず、最近は「観たことがない」という方も多いのでは?実にもったいない!

そして、このようなアメリカ映画を、戦争体験をした祖母が「いやあ、アメリカってのは、いい映画を作るのう」とさんざん褒めていたというのは、我が家に伝わる思い出話としてなんとも感慨深い。

それにひきかえ、、、

、、、

なんてことは、上から目線になるので、言いたくないが、、、

あー、でもまあ、たまには、いいでしょう。言いましょう。それにひきかえ、最近のアメリカは、ううむw。

かつてのアメリカ映画では、「西部劇」という大衆娯楽ジャンルですらも、こんなに「暴力」や「法」や「倫理」の描き方にめちゃくちゃ気を使っていたのだ。

そして私も、たまに祖母のことを思い出して、この時代のアメリカ映画を観ると身につまされる。

私とて『ジョーカー』がどうした『ソウ』がどうした言ってる場合じゃ、本来ないよなw。「暴力」ってのはどーしても見せ物として見たくなるスペクタクルだけど、本来は嫌悪すべきものだって大原則は忘れちゃいかんよな。

などなど、今夜は『シェーン』のことを、祖母の思い出とあわせて紹介させていただきました。私も今夜はぜひぜひ、この時代の日本人が憧れたアメリカってものが何だったのか、よくよく考える機会にしたいと思います。

※、、、という話を今夜したのは、まあ、つまりは、そうなんです、「大統領選が結果がどうあれきっと荒れるだろうなあ」と沈鬱に予想しているから、こんな記事を書いておるわけですな、ハイ、、、。暴力なしで済んでくれ。「相手のほうがどー考えても悪党なのに、それでも最後の最後まで銃ひとつ抜くのにずーっと逡巡していた」真面目なシェーンは、もう遠くへ行ってしまった。。。カムバックの声ももう届くまい。


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