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イタリア未来派の親玉マリネッティの思想を現代SFファンが読んだ時に見えちゃう厄介な関係

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皆さん、こんにちは。SF好きのヤシロと申します。今回もよろしくお願いします。

さて、最近の私ですが、実は学生時代にロシア映画やロシアアヴァンギャルドに興味を持って勉強したことがあり、その絡みで、

二十世紀前半のモダンアートが今でも大好きです。シュールレアリスム、ダダイズム、キュビズム、ドイツ表現主義、ロシアアヴァンギャルド、、、。

そこで最近考えたのが、

「SF好きで、かつ、モダンアートも好きな私、この二つをうまく結びつけたSF研究ができないかな?」ということ。

その一端として、以下の本をこの週末に読んでいました。

まあ、何はともあれ、

イタリア未来派といえば、代表的な芸術家は、マリネッティ。

で、この方、

「機械文明は素晴らしい!都会の生活は素晴らしい!」と賛美したり、

「テクノロジーは人間をいずれは超人に変える!百年後のイタリア人は我々の及びもつかない幸福なテクノロジー生活をしているだろう!羨ましい!」と叫んだり、

「戦争はすべての問題を解決する!」と戦争協力を打ち出したり(そして有言実行、この方は口だけではなく、第二次世界大戦において前線に参加してる)、

そしてこのような思想から当然のように、ファシズムに接近した、いわくつきの人物です(ただし、公平を期したい気持ちから本人弁護を少しだけしておくと、ムッソリーニの路線とはしばしば対立してたし、ヒトラーの反ユダヤ主義には猛反対してた)。

そういう人だと思って、モダンアートに関わった芸術家たちには基本的に好意的な私も、マリネッティ及び彼が指導した未来派とはこれまで距離をおいていた。

でもですねえ、、、今回、「SFとの関係」という観点からイタリア未来派のことを本で読んでみると、

「高度にデザインされた機械こそが美しい」とか「いろいろ問題はあっても百年くらいの単位で見ればテクノロジーこそが人類を幸せにする」とか「やがてテクノロジーによって人間は人間の限界を超えたより高度な存在に進歩できるだろう」とかいう言い方は、、、なんてこった、私のような楽天的SF好きも、しばしば口にするようなセリフだw

ていうか、読めば読むほど、

マリネッティから「戦争賛美」と「ファシズム賛美」を抜き取れば、SF文化の先駆と言っても過言ではない発言が目立つ。

ということは、戦争賛美やファシズムとの問題をうまく回避すれば、マリネッティをもってSF文化の隠れた先人として扱えるのか?

それは即断したくない、、、繰り返すが、マリネッティといえばやっぱり「ファシズムと表裏一体のヤバい人」なイメージがどうにも強くて扱いづらい。

ですが!

今回、この年齢で未来派を読んで、

「あれ?『戦争賛美』と『ファシズム協力』という点を除いたら、存外、私が普段楽天的なSF好きとして語っている未来観とあんまり変わんないことを言っているな、、、」と気づいたことは、

未来派の再考うんぬんよりも、「SF文化とは何か?SFファンと現実の関わりはどうあるべきか?」と、何のことはない、自分のことを省みる時に重要な気づきかもしれないですね、、、。

まあ、こんなふうに、この他にも、シュールレアリスムとかダダイズムとかを含めて、「昔の過激な、ぶっちゃけ思想的にはかなりアブない芸術運動」と今では醒めた目で見られがちなモダンアートの諸氏、よくよく彼らの言動を見ると、なんのことはない、20世紀前半の社会ではじゅうぶんに過激であっても、現代の我々がむしろ当たり前な顔をして言いそうなことを先駆的に言ってたりする。

そういう意味でやはり、「現代SFファンの目から見たモダンアートの人々」というテーマは今後も深掘りたいのですが、いきなりマリネッティに手を出したのはさすがに対象として難しすぎたか!?だがさっそく、自己反省の契機になったという点も含め、考えさせられた点が多かったのでした。


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