幽霊を信じもせず信じなくもなく:そんな曖昧な私もいつかは「社会からは不要」と殺されるのだろうと予感もしつつ一つ推薦図書を
怪談や幽霊系フォークロアを収集している私。
「あなたは幽霊を信じているんですか?」ときかれると、「いいえ」と答えています。
ところがその一方で、「幽霊なんているわけないよ、バカバカしいよね?」と冷笑的にいう人に対しては、「そんなことを言うもんじゃありませんよ!」とたしなめます。
どっちの味方だよ!?
と戸惑われることが多いのですが、
あえていえば私は「不可知論者」。
「幽霊がいる!」と断言することも「幽霊なんかいない!」と断言するのも、どちらも極端、「この問題は曖昧なままでいい」と考える人です。「合理的な決着がつくことを否定する派」とでもなりますか。
つまり、どんな問題であれ、人間が合理的に演繹していって得られる「ロジカルな結論」などにロクなものはない、と考える人です。歴史を見てもそれは言えると思います。ナチスの「ユダヤ人を壊滅させたほうがよい」も、スターリンの粛清も、それぞれ「合理的に考えて、そうしたほうがよい」と決定したものですから。
これについてはイギリスのチェスタトンが言っていた通り、「合理的であればあるほどよいなどというのは間違いである。合理主義はむしろ、突き詰めすぎると狂気と一致する。たとえばなにかの妄想に囚われている精神病院の患者のほうが、論理的といえば一般人よりよほど強固に論理的だ」。
合理的に考えれば幽霊などはいない。しかし、「幽霊はいないから、幽霊の目撃談などはすべてインチキだ、あるいはそういう話をする人はバカなのだ」などとロジックを進めるのは危険である。ややこしい言い方になりますが、私は「いわゆる漫画に出てくるような『幽霊』というものは存在しないだろう、でも、なぜか、科学で説明しきれないナニカだいじなものを指し示すヒントが、怪談やフォークロアの中に眠っていることを経験的に知っている」となりしょうか。
ところで、こういうことを考えているときに、
「ホームレスなどいらない」という意見が大炎上しているニュースを知った。
こういう意見はいつもどこにも出てきますが、まさに、「一人の人間が頭の中で合理性だけこねくり回していたら、『あれは世の中にいらない』『こんなものは世の中にいらない』という結論を導出することは簡単」です。本人の経験や知見が小さければ小さいほど、前提条件が少ないので、より、強力で確固たる結論が出てくる。
だがそれこそが合理主義の罠でありまするよ。
幽霊は、合理的に考えれば、いない。だが、幽霊がこんなにも世界中で、各時代で、信じられ語られ続けていることには「ナニカ」がある。私はそれがナニカを追い求め続けていますが、効率・収益性・スピードを重視する「合理主義者」からは、私もまた不要なことをしている人間に見えるでしょう。
ということは、世の中で、この手の、「効率・収益性・スピードを重視する合理主義」が大勢を占めれば、たぶん私も殺されるか、少なくとも粛清リストには載るんでしょうね。最後まで抵抗はするけど、ジャコバン時代やナチス時代みたいに、社会の大勢がそちらに傾いてしまう病的な時代は何世代かに一回くらいはやってくる、そのときに大衆に殺される覚悟は決めておかないと仕事はできない。
という長話をした上で、「ホームレスはいらない」という人には、ぜひ、吾妻ひでおさんの『失踪日記』を推薦図書としておきましょうか。
私の持っているのは海外版なので英語ですが、これでよければ、なんならメンタリストの方にもお貸ししますぜ!「あなたのような有名な漫画家さんが、なぜホームレスなんかに?!」と補導した警官の側が仰天して嘆くシーンにすべてが代弁されております。こういうものに触れるのが大事だ。
サブカルでもいい、いろんな「作品」に触れることから始めましょう。そしてバカにせず、怪談や、できれば各民族の古いフォークロアに浸りましょう。それがまず身近にできる合理主義暴走(狂気化)への予防策なのですから。
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