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“天は自ら習慣とルーティーンをつくり・そだてる者を助く”というおしえ

祇園祭のお囃子の音が聞こえない京都の夏。

前代未聞の出来事に戸惑うことが多いけれど、無くなって初めて気づくいつもの大事な景色だったりするわけで、何百年と続いた伝統という名のルーティーンが途切れたとき、京都の街の何かのリズムが狂ってしまうようで、少し不安になったりしています。

でも長い歴史の中で培われたその習慣やルーティーンというのは、その不在ですらリズムを生み出す、不在自体がリズムとなり得る、そんな強さと揺るぎのない何かがあると思ったりもするのです。こと祇園祭くらい大きいと。

ボクは、ボクたちは都市や国家や地球規模の、とてつもなく大きく規則正しく流れるタイムラインに、自分の時間軸を照らし合わせて生きています。その大きな流れで己を見失わずに、自分自身の習慣とルーティーンをつくり・そだてていくことって意外と難しい。でもとても大切。今日はそんなお話です。

さて。

「習慣」と「ルーティーン」について語る前に、ボクのパーソナリティについて少し語る必要がありそうです。ボクは基本的に「自分は他人よりも能力が低い」という前提で生きています。自己肯定感が低いという話ではなくて、なにをやるときでもボクより優秀な人が必ずいるというマインドだということです。その優秀な人たちは高いパフォーマンスで、しかもそのパフォーマンスを安定させることができるわけで、いつかは辿り着ける境地かもしれないけれど、今は到底張り合うことはできません。でもボクが考える優秀な人たちは恐らくは全体の中の一部で、相対的に考えたとき、ボクは「例え高い能力ではなくとも、少なくとも安定させることのできる」というポジションでいることが必要だと、それがボクの役割だと信じています。

そして優秀な人は、能力を高くすることや、その安定感を得るために「がんばる」や「努力する」ことで人より高みに到達しています。でも「がんばる」や「努力する」ことってとても抽象的です。でもとても必要なこと。「がんばる」や「努力する」っていったい何なのでしょう?優秀な人たちがしている「がんばる」や「努力する」を、「自分は他人よりも能力が低い」と考えるボクがしない理由はありません。その辺りのお話も。

今日言語化したいのは「“天は自ら習慣とルーティーンをつくり・そだてる者を助く”というおしえ」というお話しです。

1、努力の正体とは何なのか?

みなさんは過去に「がんばる」とか「努力する」という抽象的な言葉で目標を立てたことはないでしょうか?もっと手前の話を言うと子どもの頃に、お父さんやお母さんから「あんた!もっとがんばりなさいよ!」とか、学校の先生から「君は努力が足りないよ。」なんてことを言われたことはありませんか?

「いやいや!がんばってるよ!」ってな感じで反論してみても、結果が伴っていなかったりすると、なんとなく頑張りが足りなかったんだろうなとか、努力の仕方が良くなかったんだろうなと反省してみたりしたものです。

学校で教えてくれる勉強のような類の学びは、ある程度ガイドが引いてあるので、授業を聞いていれば、はたまた受験というレールに乗っかっていけば、うまくいったりするのですが、それはあくまで世の中のことの一部なわけです。スポーツも指導者がいたりで、ガイドラインはあるんだろうけど、そのとおりやっていたらいいかというと必ずしもそういうわけでもなくって、個人のがんばりや努力が実力として歴然とした差になるわけです。

ボクはこの抽象的でまったくもって具体性に欠ける「がんばる」とか「努力する」って言葉を、もっと自分の手元の課題に置き換えることができるんじゃないかと思っています。

“がんばる“とか”努力する“とは”習慣化とルーティーンづくりのこと”である。

ボクは自分でがんばってるとか努力していると思っていません。周りの人から褒めてもらうことはあるけれど、少なくとも自分ではそう思っていない。「がんばる」とか「努力する」ことって精神性で身体をコントロールするイメージで、それって長続きしない。と思っています。習慣化とルーティーンづくりは身体性で精神をコントロールするイメージなのです。スポーツで基礎の動きを身体に覚え込ませて、勝手に動ける状態をつくる、武道で言うところの型のようなものかもしれません。

ボクは以前の記事「ドラゴンボールの孫悟空が与えてくれた”能力の発揮”についての気づき」で以下のことを書きました。

ボクが自分の「能力の発揮」について考えるとき、「風邪を引いているけど動けないわけではない」という状態と「気分が落ち込んで動きたくない」という状態を想像します。その2つの状態でもできるルーティーンとそれを実行できる、なるべくたくさんの習慣を用意しておきます。(ルーティーンと習慣のお話はまた別の機会に。)

つまりボクは自分のコンディションやモチベーションに頼りすぎないシステム・仕組みづくりをしているということで、「安定した能力の発揮」を目指しています。

2、習慣とは

さて、では習慣とは何でしょうか?

習慣 = ある事が繰り返し行われた結果、その事がしきたりになること。しきたり。ならわし。※wikipediaより

例えばボクにとっては習慣とは。例えば朝バージョン。

朝に必ずシャワーを浴びる(夜も浴びます)
毎日ハンカチを持って出かける
平日は基本白シャツ(第1ボタンまで留める)
自宅のゼロ地点を決めて、家事や整理整頓をしてから出かける
なるべく1人の環境で午前中に文章を書く
・・・

まあボクの習慣を聞いても誰も得はしないので程々で書くことをやめておきますが、細かいことから大きなことまで自分にとっての決め事を多く持とうと心掛けています。そして身体に染みつくまで繰り返すようにしています。

習慣とは自分のコンディションやモチベーションを測るツールのようなものです。例えば、ある朝にボクが上に挙げたことができなかったとき、それは何かしらコンディションやモチベーションに不調があると捉えます。もしアラートを感じとることができれば、自分を助けてくれるツールになるということです。

逆に「あぁ。今日はちょっとしんどいなぁ。」みたいなときは、習慣を意識することで自分の調子が軌道に乗ってくるときもあります。先ほど書いた身体性で精神をコントロールするイメージというのがまさにこのことです。風邪を引いたり、熱があったりしたら別ですが、朝にシャワーを浴びることでスイッチを切り替えられたりします。

3、ルーティーンとは

そして、ボクはルーティーンとは、習慣たちが連なってタイムラインをもった、流れのようなものだと解釈しています。

ルーティーン = 「決まった手順」「お決まりの所作」「日課」などの意味の英語。※weblio辞書より

ルーティーンは当然ながら習慣ほど多くはならず、

朝のルーティーン
オフィスで仕事を始めるときのルーティーン
自宅で仕事を始めるときのルーティーン
帰宅後のルーティーン
休日用のルーティーン

のように時間帯、働く場所、オンタイム・オフタイム、ウィークデイ・ウィークエンドによってある程度のパターンが生まれてくるはずです。

習慣がスイッチのようなものであれば、ルーティーンはどの順番でそれらのスイッチを押していくのかという流れのようなもので、習慣よりももっと大きなスイッチ、例えば朝のルーティーンがうまくいけば、きっとその一日は大丈夫、そういう風に捉えています。

4、“天は自ら習慣とルーティーンをつくり・そだてる者を助く”

ボクがここで言いたいことは「きっちりかっちり生きていこう!」ってことではありません。自分で決めたことがきちんと出来なくったって、ルーティーンがうまくいかなくたって、気にし過ぎることはありません。

もし何かを習慣にしようとしてうまくいかなかったとしたら、あるいは三日坊主になったとしたら、それはたぶん今の自分にはできないことなんだと諦めればいいと思います。でももし、それが習慣になって、自分のものになったとしたら、それはとても有効な武器です。自分のコンディションやモチベーションを測るツールであり、スイッチにもなる、ということです。

習慣とルーティーンは自分を助けてくれるツールになります。もし「がんばらなきゃ!」とか「努力しなきゃ!」って思ったときは習慣とルーティーンを見直してみてください。もし自分の子どもに「がんばりさない!」とか「努力しなさい!」って言いたくなったときは、子どもと一緒に習慣とルーティーンを見直してあげてください。

「“天は自ら習慣とルーティーンをつくり・そだてる者を助く”」ということです。

5、さいごに

ボクはこのnoteで、本記事を含めてパフォーマンス・能力に関する記事を3本書いています。実はこれらはボクの中で「パフォーマンス・能力の発揮に関するある理論:3部作」と呼んでいます。

A:概論「能力の発揮の総和アップ」のための
 B:実践編 → 日々弛まぬ努力すること、ルーティーンと習慣をつくること
 C:精神性編 → 明日の自分に期待しない、信じ過ぎないこと。(つまり今を生きる、この一瞬を大切にすること。)

A:概論が「ドラゴンボールの孫悟空が与えてくれた”能力の発揮”についての気づき」、B:実践編が本記事、C:精神性編が「“明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。”考え方のすすめ」ということで、いつかボクなりの理論として一つにまとめたいと思っています。

インターネットやITテクノロジーが進化したことによってもたらされた「働く場所の遍在化による、働く時間の細分化」という現象の中で、どうやってパフォーマンス・能力を高く発揮していけるかというのは、これからとても大事なキーワードになると思っています。

ボク自身のパフォーマンスや能力について考え続けながら、おいかぜのスタッフやボクに関わる全ての人がパフォーマンスや能力を高く発揮できる環境や状況をつくっていきたい。そんな風に考えながら、この記事を書いています。



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