見出し画像

繋がりやすいことは別の何かを断つことでもある

カラカラカラと海鳴りがする琵琶湖を眺める。
砂浜ではない浜辺ではこんな音が鳴るのか。今年のおみくじで書かれていた「小さきものに目を向けよ」という助言を思い出す。美しい音だった。
再び夜の琵琶湖を眺めると真っ黒な巨大な生き物の呼吸のようでため息が出る壮大さ。果たしてこのクリエイティブに僕らは勝てるのか。いや寄り添うか。ここでもまた固定されてしまうクリエイティブへの疑問が沸いた。

この日は発酵の女神に会いに高島へ赴いていた。
お昼時、七輪で茄子をや決まってくれる女神。うさぎがもしゃもしゃ口を動かし、壁にはカマキリと小さなカエルが並んでへばりついている。
パスンとナスの皮が弾け溜め込まれていた蒸気が上がる。BGMはカエルの鳴き声や鳥の声、田んぼを眺めてご馳走になった。

豊かさとは何かを問われたあの時間をいうかもしれない。
豊かさを知っていくことはとても大切だ。お米を買うなら湖畔沿いではなく山のそばのお米の方がいい。なぜなら最も澄んだ水を得れるのは山間だから。そんな知識が豊かさにつながる。お金ではないのだ。

それなりに多忙なチームメンバーは移動中に、台湾とビデオ会議したり、釧路とビデオ会議したり、東京とビデオ会議をする。滋賀の山頂でどこかにつながる不思議。どこにいても誰とでも繋がれる時代に、何か今自分がここにいる感覚を断絶されてしまう怖さを感じる。繋がりやすいことは別の何かを断つことでもあるのかもしれない。

当初、車2台で視察する予定だったのが粋な判断で車一台で大学生の夏休みのように移動した。とても大事な判断だったと思う。真っ黒な帰りの社内でチームメンバーの過去の話、価値の話、いろいろ交わした。どこにでも繋がれることを断つことで今ここにいる人たちとしっかり交歓できている。喜びを分かち合えている。

いいプロジェクトはいい工程があることが前提だ。
僕はそう信じている。
距離を超えて、いつだって繋がれる時代だからこそ、顔を合わせて最初に信頼を交換していくことが大切だ。それって昔から当たり前のことだったのに便利が時代を覆い尽くしてしまったように思う。そこに酒があれば僕はいくよって毎回伝えている。交歓しにあの街この街へ今日も移動する。

明日は東京か〜と思いながら、このドライブがいつまでも続けばいいのにと思う。たくさん笑ってたくさん驚いた。自分ではない人の生きてきた時間を交歓し合うことでまた一つ世界が広がる。自分を拡張して共感して同じ者になっていく。

ここから先は

0字
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉のビールに変わったりお会いできたらビールを奢ってお返しします。

🍺ビールに代わる日記🍺

¥500 / 月 初月無料

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:…

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。