「いい子」に育てると、なぜ罪を犯すのか?
出口保行
『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』より
親は子どものためを思って、「ああしなさい」「これはしてはダメ」とさまざまな声かけをするものです。人間は社会の一員として生活することが求められ、ひとりでは生きていけませんから、社会性を身につける必要があります。「人の物を盗ってはいけない」「暴力をふるって人を傷つけてはいけない」といったことも、親が教えなければならない社会のルールのひとつでしょう。社会に出て困らないよう最低限のルールを教えるのは親の務めです。
一方で、「ああしなさい」「これをしてはダメ」といった、社会性を身につけさせるために言った言葉の数々が子どもをがんじがらめにし、非行へ向かわせていることがあります。
「よかれと思って」
非行少年の保護者から何度聞いたかわかりません。子育てを放棄しているわけでもない、虐待をしているわけでもない、自分なりに一生懸命やってきた。子どものためを思って、よかれと思っていろいろな言葉をかけてきた。そう思っている親も多いのです。
「うちの子がまさかそんなことをするなんて……」
よかれと思ってしたこと・言ったことがいったいなぜ、非行・犯罪につながってしまうのでしょうか。
マイの場合──「気をつけて!」が共感性を破壊する
マイが幼い頃、両親がレストランを始めた。家族経営の小さなレストランだが、地域ではすぐに人気が出た。忙しい父母にかわって面倒を見てくれたのが祖母のカズヨだ。カズヨは公立小学校の校長をしていた教育者で、たったひとりの孫のために全身全霊で教育にあたっていた。マイの父親は、教師であったカズヨをとても尊敬しており、子育てについてはカズヨに任せっきりのところがあった。
母親はといえば、義母であるカズヨに対し大きな引け目を感じていた。自分が高卒であるのに対して、カズヨは校長を退職後も地域の民生委員を務めるなど、地域の評価が高かったからだ。
カズヨはマイを非常にかわいがる半面、心配性なところがあった。何かにつけて「危ないことはしちゃダメよ」「気をつけないとね」と言う。同年代の子がブランコで遊んでいるのを見て、マイもブランコに乗ろうとすると、
「おばあちゃんが昔いた学校で、ブランコのチェーンに指を挟まれて大ケガした子がいるの。危ないからやめておこうね」
川のそばに咲く花を摘もうと土手を下りようとすると、
「足をすべらせて川に落ち、なくなった子がいるのよ」
などと話してやめさせる。マイは小さい頃はあまり疑問に思わなかったが、小学校高学年になり周囲の子たちが友だち同士だけで遊ぶようになると自分もそうしたいと思うようになった。
「みんなでショッピングモールに行くんだって。私も行っていいでしょ?」
ところがカズヨは一切認めようとしない。
「私は心配で倒れるかもしれない。それでもいいなら行きなさい」
脅しのような言葉に、マイは遊びに行くのをあきらめた。こうしてマイはクラスの中でも浮いてしまうことが多くなった。
中学生になり、塾や部活などの理由がつけられるようになると、さすがにカズヨの監督下から少し抜け出せるようになった。マイは家ではいい子のふりをしつつ、外では不良グループと付き合うようになった。ミーハーなところもあったので、高校からはティーン誌の読者モデルも始めた。洋服やアクセサリーをバンバン買うので、お小遣いはすぐに底をつく。
大学生になってバイトを始めたが、金遣いの荒いマイには焼け石に水だ。そこで思いついたのは、両親のレストランの売上金を盗むこと。多少抜き取ってもバレなかったので、何度も犯行を繰り返した。しかし、一度に盗める金額には限りがある。今度はカズヨのタンス貯金に手をつけた。これまでさんざん自分を抑圧してきた代償を支払ってもらう気持ちで盗るので、とくに悪いことをしている認識はない。
さらに大金を手に入れたくなったマイは、特殊詐欺の記事を見て「これだ」と思った。レストランによく来る高齢者をターゲットに、「うちのお店、3年後にリニューアルオープンして大規模店になる予定なの。いま出資してくれれば、高い配当を得られるよ。でもこれは内緒の話だから誰にも言わないでね」という話をした。
その際、「これはおばあちゃんからの話なんだ」と、地元の名士である祖母の看板を使った。これによって500万円ほど騙し取ることに成功した。しかし、当然ながら配当をすることはできず、マイは逮捕されることとなった。
「私は悪くない」── 合理化の心理
マイに限らず、こうした窃盗や詐欺を行う非行少年・犯罪者は共感性が低い傾向があります。「騙されるほうが悪い」と言って、被害者の気持ちを考えようとしません。
しかし、当然ながら騙すほうが100%悪いのです。
相手が欲にかられたからと言って、犯罪をしていいことにはなりません。「騙されるほうも騙されるほうだ」という言い方がされることがありますが、それは犯罪者側の理屈です。
騙されるほうが悪いのだ、お金に目がくらんだからいけないんだといった理屈をつけることを、心理学では「合理化」といいます。欲求不満や葛藤などから自分の心を守るために働く防衛機制のひとつです。人を騙してお金を奪うのは悪いことだとわかっているし、罪悪感があるからこそ、心を守るために合理化するわけです。
ほとんどの非行少年・犯罪者は合理化を行っています。
「こういう理由があったから、仕方なかったんだ」
そう思おうとします。「言い訳するな!」と言いたくなるところですが、第三者への説明としての「言い訳」とはちょっと違うのです。自分の心を守るために、自分で理屈をつけているわけで、「言い訳するな!」と叱っても意味がありません。まずは認めることが大事です。「そういう理由があったから、仕方なかったと思っているんだね」と言うことです。
もちろん、「仕方なかった」で終わってはいけません。それでは内省が深まらず、更生に向かうことができません。ただ、いったん合理化をして心を守らないと先に進めないのです。更生を見守る側の大人は、それを受け入れる必要があります。それでようやく被害者の気持ちや罪の重さに気づいていくことができます。
悪いことをした子どもを叱るときも、まずは言い訳を聞いてあげることが大事です。子どもの言い訳は、自分の心を落ち着かせるためにやっていることが多いです。合理化をさせてあげることは、その子の心を守るために重要なのです。そして、とことん言い訳をすれば、自分で矛盾を感じるようになります。これが重要です。自分で気づいて、先に進めるようになります。
ですから、「騙すほうが100%悪い」という事実は変わらないけれども、「騙されるほうが悪い」という非行少年の言葉をいったんは受け入れることが大事なのです。
「よかれと思って」がダメな理由
マイの祖母カズヨは、かわいい孫に「イヤな思いをさせたくない」「つらい気持ちになってほしくない」という気持ちが強く、何でも先回りして「気をつけて!」と言い続けてきました。よかれと思ってやってきたのです。
しかし、どう見ても過保護・過干渉でした。せめて両親がもう少しフォローできたら良かったのですが、それもありませんでした。その結果、マイは危険を自分で察知して判断する能力が低く、危険なことにも簡単に手を出してしまうようになりました。同時に共感性が低く、相手の気持ちを推し量ることが苦手になってしまいました。
「気をつけて!」と何でも制止すれば、子どもは経験のチャンスを失います。経験にはポジティブな面もネガティブな面もあり、失敗して落ち込んだりイヤな気持ちになったりすることだってあるでしょう。しかしそれが成長の糧なのです。
たとえばハロウィンパーティーに誘われて行ってみたら、みんな仮装をしていて普段着の自分は恥ずかしい思いをしたとします。すると、次からはどういう服で行ったらいいか事前に確認しようと思うでしょう。自分が人を誘うときは、来てくれた人が恥ずかしい思いをしないようにあらかじめ服装について教えてあげようと思うでしょう。
こういった小さな失敗で致命的なことが起こるわけではありません。先回りして何でも教えていたり、そもそも「パーティーなんてやめておきなさい」と止めていたりしたら、その子は経験ができないのです。
もちろん、本当に危ないことは止めなければいけません。
子どもが切り立った川岸に向かっているのに自由にさせていてはダメです。落ちたら死んでしまいます。親はまず危険の大きさに関する判断を整理することが必要です。一番の軸は身体生命の安全に関わるかどうか。それ以外はどこまで許容できるかです。
心配でつい口を出したくなる気持ちはわかります。しかし、親はいつまでもついていてあげられるわけではありません。親が「転ばぬ先の杖」となって転ばせなければ、転んだ経験のない子は自分で何に気をつけたらいいかわからないのです。本当に子どものためを思ったら、あえて失敗させてあげることです。
とくに対人関係の失敗は共感性を育てます。友だちに「誰にも言わないでね」と言って打ち明けられた話をうっかり人に言ってしまった。機嫌が悪いときに友だちがふざけてきたのでカッとしてひどいことを言ってしまった。そんな失敗も学びになります。
もし子どもが「だって〇〇ちゃんはいつも自分勝手だから、バカって言いたくなるのも仕方ないよ」と話したら、「そう思ったんだね」と言い訳を否定せず聞いてあげましょう。
たくさん話しているうちに自分で「でもあの言い方はちょっとひどかったかな。傷ついていると思うから、明日あやまろうかな」と気づくかもしれません。自分ひとりでは内省が深まらないようなら、「〇〇ちゃんはどう感じたかな?」というように促してあげるのがいいでしょう。親の考えを言うのではなく、本人に考えさせてあげることです。
子どもの頃に何を経験したかが、その後の人生に長期的な影響をおよぼします。以前は発達心理学といえば子どもから青年期頃までが研究の対象でした。しかし現代では生涯発達心理学といって、生涯を通して発達が続くという視点で人の一生を探求する学問も注目されるようになっています。これだけ高齢化が進んだ社会で、大人になって以降もどう行動し、どう生きるかというのは重要なテーマなのです。
年をとってからも学ぶことはできるし、体力は落ちても心理的な発達は続くわけですが、どうしても子どもの頃の経験がベースになります。
自立した大人になるためというだけでなく、一生に影響するのだということも知っておいてほしいことです。
反省ではなく、内省を促す
共感性が低く自己中心的な考え方をしていると、なかなか内省が深まらないという話をしました。
内省は「反省」に似ていますが、別のものです。自分自身の心に向き合い、自らの言動や考え方について客観的に振り返って分析することです。気づきを得ることを目的にしています。
一方、反省とは、自分の言動や考え方の良くなかった点を振り返り、改めようとすることの意味で使われます。
問題行動があったとき、大人は「反省しなさい」と言いがちです。しかし、残念ながらこの言葉には意味がないことが多いです。
「ごめんなさい。悪いことをしました。もうしません」
そんな言葉を引き出すことに成功しても、本人は心の中で舌を出していることはよくあります。自分自身の心に向き合わないまま、反省の言葉を言わされているだけだからです。
私が見てきた非行少年はとくに反省を表現することに慣れていて、いくらでも言うことができました。それこそお経のように唱えることができるので、感心するくらいです。神妙な顔をするのも得意です。しかし、反省の言葉と表情がどれだけうまくなっても、それが何になるというのでしょうか。
最初はきっと、言い訳をしたに違いありません。
「こういう理由があったから、仕方なかったんだ」
それに対して「言い訳するな! 反省しろ」と余計に叱られるようなことを繰り返すと、言い訳をしなくなります。
「ごめんなさい、私のせいでこんなに迷惑をかけてしまいました。これからは心を入れ替えて頑張ります」
このように反省上手になります。しかし、内省していないので同じようなことを繰り返すのです。
さらには、「反省しなさい」という言葉は抑圧を生みます。その子が抱えている不満を聞いてあげることなく一方的に反省を押しつければ、不満はどんどん蓄積し、いずれ爆発するでしょう。
繰り返しますが大事なのは内省です。自分の言動や考え方を振り返るのが苦手な子に対しては、「どうしてこういう行動をしたの?」「そのときどう思ったの?」と問いかけて内省を促します。「ここが良くなかったよね」「こんなことしたら、相手は怒るに決まっているよね」などと指摘するのではなく、本人に気づかせてあげてください。
※本記事は『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』の一部を再構成したものです
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