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自分と親を切り離して考えてみる | 私の人生の取り戻し方④ | 毒親育ち卒業
私が解決したいことは【自分の生きづらさ】
親に謝ってもらうなんて真っ平ごめんだと気づいてから、じゃあどうする?となりました。
どうする?と言うのはつまり、この後どうやって生きていくのかということです。
そもそも私が苦しみながら心の勉強を始めたきっかけは【自分の生きづらさ】でした。
虚勢や見栄を張り
他人を頼れず
嫌われるかもと誰も信用できず
他人を思いやる想像力が無いため実際に嫌われ
「普通」が分からず
「正解」が分からず
愛想笑いして冷めた心で「自分だけが特別」だと思っている
そういう人間である私は、友達に囲まれてワイワイ騒いだり雑談をして「楽しい」と感じられない自分が大嫌いでした。
学生時代は孤独を感じるくらいで済んだけど
私はもう結婚して子供がいました。
娘たちに胸を張れる親でありたいという強い気持ちが、自分と向き合う力になり、結果、毒親育ちという言葉と知り合うきっかけとなったのです。
親のことは許せないし謝られたくもないし、
絶縁や没交渉も難しい(20代の結婚出産のあたりで悩みましたが、その当時の自分が罪悪感に耐えられず付き合っていく方向に舵を切っていました)
では、もう親のことは一度置いといて、自らの問題に向き合うしかなくなったのです。
確かに生きづらさの原因の一端は親との歪んだ関係にありますが、私が望んでいることは【親との仲直り】ではなく【生きやすい幸せな自分になる】ことです。
ここを同一視しないことが、結果的に毒親育ちの人生を辞める上で非常に大きかった。
自分の歩いてきた道を見てみる
上手くいかないことは何でもかんでも毒親育ちの人生のせいだと思っていたのですが、
自分に起きている問題を親抜きで考えてみるとなると、自らの甘さや浅慮さ、幼稚さに気付きました。
自分のことが大嫌いで正面から向き合わなかった結果、小学生くらいで精神年齢が止まっているように感じました。
誰かに少し指摘されただけで涙が出てしまう(感情失禁)や、否定された様に感じて怒りが収まらない。
それは、愛着形成に問題があることが原因ですが、それをカバーして生きていくには自分自身の努力やテクニックが必要です。
この努力を、私は長いこと怠けてきた。
まずは、「親のせいだから仕方ない」から「親のせいだけどやるしかない」に意識を変える必要がありました。
※こういう文面を目にすると、【いい歳こいた大人が何でもかんでも親のせいにして、毒親育ちだと言い訳して逃げている】と書かれているように思えて怒りがわくことがあると思います。
ですが、そんなことは何処にも書いていません。
よく読んでみてください。
生きづらい人間になった原因は、たしかに親のせいですよ。家庭環境のせいですよ。
ただ、原因を作ったのは自分じゃないけど、自分自身のために出来ることがあるならやる。というだけです。病気と同じです。
ステップに分けてみる
たとえば私は、自分の好きなものや、やりたいことが分かりませんでした。
子どもを連れて頻繁に実家に帰っていたので、なんと私のクローゼットは、母が買った服がほとんどでした。
三十路を過ぎた2児の母が、未だに【ママ服】だけを着ているということ、今思うと衝撃なのですが、当時は心が死んでいて、そのことを嫌だと思うアンテナが折られていた。
母は、女の子の孫が2人も産まれ、その子たちの服を狂ったように買い与えるにも関わらず
それでも私を解放はしてくれなかった。
「子供と孫は全く別! 孫は半分他人のモンだけど子供は私の自由に出来るじゃない」
「あんたは一生アタシの選んだ服を着るのよ」
「絶対逃さないから」
と言われたこともありました。
今では、これを笑って流せます。でも当時はこの言葉に縛られ、呪われていましたね。
服のことだけではなく、あらゆる面で別居している母に支配されていました。
精神的に支配されていると、距離の取り方やどうしたら自分は楽になるのかも分からなくなるのです。
なんかしんどいんだけど、何がしんどいのか、分からなかった。
だってそれが「良いこと」だと「正解」だと、刷り込まれ続けてきたからです。
つまり私は当時、判断力の無い、自分の感受性で考えることを放棄した、非常に稚拙な人間になっていたのです。
私が自分のことをまず知らないと、
何が嫌で何が嬉しいのか分からないと、
私を満たせない。
私を満たせないと夫や娘たちを愛せない。
愛されても気づけない。
もちろんそれは正しいのですが、ただいきなりそこへ到達するのは難しい。
抵抗感も壮絶でした。何せ自分のことを信用できず嫌悪しているので、自分なんかが現状を打破しようなどと烏滸がましいとすら思っていたからです。
そこで私は、心理学や哲学や啓発本を読み漁り、自分なりに客観的な視点だと思える(つまり信用に値する)ステップを作りました。
まずは、自分のことを自分で知ろう。…①
次に、自分のことを満たそう。…②
そして、自分のことを受け容れよう。…③
最後に、自分のことを愛そう。…④
これが、私のスタートラインでした。