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自主的に頑張る子

親として「子どものスポーツとの向き合い方」について、色々考えてしまいます。とても難しいですよね。
我が家も模索中です。

小学生の我が子は、ずっと続けているスポーツがあります。
(身元がわかってしまうといけないので、具体的なことは書けませんが。)

我が家は「楽しく」をモットーに。
スポーツを楽しんで出来れば良いと考えています。
結果はあまり気にしていません。
本人の「楽しい」気持ちが一番大切だと考えているからです。

親も口うるさく叱咤したりは全くしません。

それでも
先日開催された東京大会では、準優勝をしました。
準優勝ということで、取材に来ていたテレビにインタビューもされました。(ローカル番組ですが)

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(別種目もあった為、メダルが二つ。)

県大会では4位入賞。
甲信越ブロックでは3位入賞
全国大会では最高6位入賞を果たしています。
(専門誌に掲載されたことがあるため、身バレ防止に詳細は書きません。)

叱らなくても、強制しなくても、無理に誘導しなくても、このくらいの成績なら行けるんだなあと思います。

親だって好き好んで子どもを叱ったりしたくはないですよね??

「自主的に頑張れる子」になって欲しい。
罰や褒美に頼らない、自立的、自律的なやる気を引き出す。
うるさく言わなくても「"楽しく"頑張る姿勢」を作る。
そうした我が家の方法を紹介してみたいと思います。

ご家庭それぞれ合う合わないがあると思いますので参考程度にお読みくださると嬉しいです。

アスリートを目指すのか?

まず最初にお断りしておきたいのは、我が家はアスリートは目指していません
トップアスリート養成の話ではなく、あくまでも競技を楽しむ為のスポーツについての話だということ、ご了承ください。

トップアスリートを目指すお子さんには当てはまらない話だと思います。

息子が所属している教室は、有名選手を輩出していて、上位入賞者ばかりが所属しています。
そんなことも知らずに、家から近いという理由だけで入ってしまったので…我が家は最初戸惑いばかりでした。
なぜならばトップアスリート目指しているご家庭とは、温度差を感じるからです。

他県から何時間もかけてほぼ毎日通っているお子さんもいたり。
家を売って引っ越してくる方もいらっしゃいます。
親御さんの熱意と本気度が違います。(とても尊敬します)

しかし一人の親として、疑問を感じてしまうこともしばしばあります。

中には外国で育ったお子さんもいますが(特に優勝常連のお子さん)
母国では、鉄の棒で殴られながら指導をされていたそうです。
この話を息子から聞いた時、私は大変ショックを受けてしまいました。

「だから上手いんだよ!○○ちゃんも△△ちゃんも……手足に未だに殴られた跡があるよ〜。消えないんだって。可哀想だよね。」
と息子。

その話をとあるスポーツの指導者にしたところ、その国では人権は軽視されていて…。
子どもをAグループ、Bグループ、Cグループと分け、各種の最先端のメソッドを各グループに試す。
どのメソッドが有用か、人体実験をするようなものです。
その中で成績の出たグループだけピックアップする。
残りは捨てる。

体を壊しても、いくらでも替えがあるのだから。
次から次へと無茶な指導を試す。
そこから結果を出した手法を先鋭化していく。
そのように合理的にトップ選手を育てるのだそうです。

鉄の棒で殴られてまで必死で練習してきた子どもたちと競わせるのか?
そんな人権蹂躙もまかり通る不毛な世界に挑ませて良いのか?
いくら息子がやりたいと望んでも…。
親として考え悩みました。

日本生まれのお子さんもトップ選手は、練習はとてつもなくハードなようです。
鉄の棒で殴られていたお子さんが、日本のトップ選手のお子さんの自主練に参加したところ「もうできない!」と泣き出してしまったとか。

そこまでしてトップを目指すものなのか?
スポーツって楽しむものではないのかな?
私たち夫婦は考えてしまいました。

また全国大会では、自前の専属サポートチームを帯同してくるお子さんもいます。
その中には専属マッサージ師まで。。。
(こうしたお子さんたちには企業スポンサーがついているので、全て親の出資では無いと思いますが。)

世界に通用するトップアスリートを目指すというのは、こういう事なんだなと痛感します。
息子のお教室も裕福なご家庭のお子さんが多いですが、ここまで親の覚悟があるか?と問われると…
少なくとも我が家は無いです。というより経済的にも精神的にも無理です。

またそうした環境でバーンアウトしたりメンタルヘルスの問題を抱えるお子さんも多く。
そこで我が家は、やはりスポーツは楽しめば良いと結論しました。
元々スポーツで名を成してもらいたいのではなく、あくまでもスポーツは教育活動の一環であるという考えが強かったのもあるからです。

まず何を目的としてスポーツをするか、そこを明確に家族でコンセンサスを取ることが大事だと感じます。

自主的に頑張る秘訣

なぜ?スポーツを頑張るのか?頑張りたいのか?
徹底的に息子に問いかけてきました。

親の意図としては、スポーツを通して忍耐力や努力を知って欲しい。
つまり自制心の涵養のためです。 
勝ち負けが目的では無いのです。
夫は長年武道をやってきたからこそ余計に、そう思うのかもしれません。
自己の精神修養・鍛錬こそが重要であると。

「なぜ君は勝ちたいの?」と夫はいつも尋ねます。
「人を打ち負かしたいから?」
そう問うことで、勝ち負けだけがスポーツの目的ではない、ということに気づかせていきます。

頑張った結果が伴うのはもちろん嬉しいことではあるけれど。
成果主義(外発的動機)に陥ることは、長期的な視点で見た場合の「子どもの生きる力」の成長を阻害すると考えます。

頑張ったから上手くなったという達成感や喜び、いわゆる内発的動機付けこそが、自主的・能動的なやる気を生み出すからです。

成果ばかりに焦点を当てるのではなく、常に物事の本質に目を向けるようにさせています。
それによって息子は「自分がやりたいから頑張る」という図式が出来たようです。そのおかげで親が強制しなくても、自ら進んで努力をしています。

具体的には、上述の問いかけもそうですが…
その他には、全て本人に決断させています。

自分がやりたくて始めたのだから、続けるも辞めるも、怠けるも頑張るも本人の問題です。
ですから私と夫は、息子の人生を応援しているのであって、競技自体を応援しているわけではなく、続けても応援するし、辞めて他のことを始めても応援する。
というスタンスを貫いて、全く強制しません。
見守りに徹します。

休む日も本人が決めています。
休んだ分はどこかで補填する。
逆に大会前で頑張った分、後日休むのもOK。
親はそれを尊重して見守ります。
時間配分を考える習慣を付けていきます。

大会前の集中レッスンで時間が足りなくなることもしばしば。
彼の中でのプライオリティを意識させます。
最優先は学業。(本分は学生です)その次は?と考えて、優先順位を付けていく作業をさせます。
ここで勝手に親が決めたりはしません。
(遊びの時間も大切にして欲しいことだけはしっかり伝えます。)
こうした作業を通じて、なぜ頑張るのか?内省する機会を持つこととなり、能動的な頑張りに繋がるようです。
自己決定をさせることにより、自立的・自律的精神を育てていきます。

複数の習い事を掛け持ちで頑張ってはいたのですが…練習がハードになるにつれて、本人的に全てが中途半端になると感じたそうで。
他の小さい頃から続けてきた習い事(プールやピアノ、バレエ、ヨガ、英会話など)を辞めると言った時も、その意見を尊重しました。
自分で決断し、自分の選択に責任を持つことを教えていきます。
(もちろん失敗しても大丈夫だよ、いつでも再開できるよ!という安心感が基本にあってこそですし。常にじっくりと向き合って相談に乗ります)

海外遠征も自分で行く意味があると思えた時に行くと、決めているようです。(親としては成績は関係なく人生経験として行って欲しいですけど)

こうしたことにより、タイムマネジメント能力も養われていくように感じています。限られた時間をどう割り振っていくのか、リソースの分配は大人にとってもとても重要な課題です。小さな頃から習得させたい力ですよね。

罰も褒美もエスカレートする

しかしこのように子どもの自主性を見守るというのは大変な忍耐力を必要とします。
私もつい、周りに煽られて競争心が顔を出し…怒ったり、ご褒美で釣ったりと安易な方法に頼りたくなります。
これらの方法は速攻性もあり、目に見える成果が出やすいため、親もつい使いたくなりますよね。
しかしこれからの時代に求められる能力は、自分で能動的に考え行動する力です。拙速に成果に飛びつくのではなく、じっくりと子どもの成長を待ちたいものです。

そして罰も褒美もキリがなくなってしまうのでは?と思います。
どんどんエスカーレトしていくのではないかと。

実際には、子どもはそうした罰や褒美をきっかけに次第に順応して自発的に頑張るようになっていくのだと思います。
しかしそうした場合のメンタルヘルスの問題を我が家は心配しています。

2種類の自尊感情

臨床心理士の近藤卓さんは自尊感情には2種類あると言います。
基本的自尊感情社会的自尊感情です。

基本的自尊感情とは、「生まれてきてよかった」「自分に価値がある」「このままでいい」「自分は自分」と思える感情です。他者との比較ではなく、絶対的かつ無条件で、根源的で永続性のある感情です。これが弱いと自分自身のいのちの大切さに確信が持てません。
 社会的自尊感情とは、「できることがある」「役に立つ」「価値がある」「人より優れている」と思える感情で、他者と比較して得られるもの。相対的、条件的、表面的で際限がなく、一過性の感情です。

と近藤さんは説明しています。

スポーツの成果ばかりに焦点を当てた声かけをしていると、子どもは社会的自尊感情ばかりが発達していきます。
自己決定した事柄に対して、自分で達成した喜びを感じると基本的自尊感情が育まれていきます。

こうした基本的自尊感情と社会的自尊感情の関係を近藤さんは気球に喩えます。

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基本的自尊感情は黒い土台の部分社会的自尊感情は白いバルーンの部分
基本的自尊感情は消えることはありませんが、社会的自尊感情は一過性のものなのですぐにしぼんでしまいます。

土台が作られていない場合(C・Dパターン)、バルーン部分しか誇れるものが無く、バルーンを懸命に膨らまし続けることになります。
そのためには永遠に燃料や空気を送り続けなくてはいけなくなります。
そのため社会的自尊感情が大きく発達している子どもは、勝つことにこだわるようになるのです。
換言すると、勝つことにのみ執拗な喜びを見出している状態は、危険信号です。

燃料を絶えず送り続けるということは、精神を疲弊させ、すり減らしていくものです。
人との比較で作られる自尊感情は、どんなに頑張ってもキリがないからです。
「勝利」「結果」「成績」「人より優れている」「賞賛」と言う燃料を追い求め続けることになり、大人になってもその焦燥感や渇望感に苦しむことがあります。

勝つことをに楽しみを見出すということの危うさがあるということです。
人は永遠に勝ち続けることは、不可能なのですから。

アスリートにとってはこのヒリヒリとした渇望感、飢え、満たされない想いこそがハングリー精神であり、必要なものなのかもしれません。
なので一概に悪いものでは無いと思います。
しかし私は自分の息子には、心が満たされた人生を送って欲しい。と思ってしまうんです。
そうした観点から我が家では、基本的自尊感情の涵養を目指して声かけしています。
相対的な価値ではなく、絶対的な価値を感じられるようにと。

目指すはBパターンです。
これを実現するためには、やはり親に忍耐が必要になると思います。
まだまだ私自身修行が必要だと感じています。
じっくりと待つ姿勢。
親側も自らの社会的自尊感情を満たすために子どもを利用していないか?という不断の内省が必要なのだと思います。


そのおかげか、先日の大会の会場で、今回初めて参加するというガチガチに緊張している選手に対して「楽しめば良いんだよ!楽しんで!」と息子は声をかけてあげていました。
全く面識のないお子さんでしたが、ライバルに対してそうして声をかけてあげられることは、彼が成果主義にならずに本質的にスポーツを楽しめている証左ではないかと思います。

強制する必要は無い

ある程度の成績まででしたら、練習を強制する必要はないと思います。(一位を目指すトップアスリートのお子さんは、このような甘い手法ではダメだと思いますが。)

楽しい日ばかりでは無いようですが、それでも親に何も言われなくても自ら頑張っています。


「準優勝のご褒美に何か買ってあげる〜」とおばあちゃんが言ってくれたのですが…本人は「要らないよw」と断ってました。
彼の中では、達成感が一番のご褒美なのかもしれません。

叱責も褒美も要りません。

こうした姿勢や態度はスポーツ以外でも必要なものです。
親も大変ですが、最初の少しの忍耐で下地を頑張って作れば、あとは口うるさく言わなくても能動的に頑張る子に我が家はなりました。

これからいつ辞めても良いです。
もっと世界を広げて欲しい気持ちもあり。
親のそうした楽観的態度も良かったのかな?と思います。

子育てって正解は無く。これが正しいわけではないです。それぞれに合ったものがあるはずで。
あくまで我が家の現状の話です。
ですが、少しでもどなたかの参考になれば幸いです。

長い駄文をここまで読んでくださり、ありがとうございました。


参考文献(出典)
『自尊感情と共有体験の心理学―理論・測定・実践 』、近藤卓、金子書房、2010

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