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東京にまつわる或る物語4
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04:ブフォトキシンが見せた
ひとつの現実
麻布十番
1
無害の象徴のようなイメージはあるが、蛙は毒をもつ。コロンビアのカラフルな蛙の背中からは、人を死に至らしめる猛毒が分泌される。その名もモウドクフキヤカエル(猛毒吹矢蛙)。人間は一瞬で絶命する代物だ。その名前から原住民たちの残酷な用途が連想できてしまう。現在、麻布十番に発生している蛙のにも実は毒がないわけじゃない。われわれの身近な蛙にも毒はある。毒の名前はブフォトキシン。痙攣や目眩、酩酊、幻覚作用を引き起こす毒性の汗を分泌する。もちろん直接舐めたり目の粘膜に触れたりしない限りはまったく問題がない。だが、その分泌量があまりにも多ければ、人は中毒してしまうかもしれない。たとえば、巨大なガマガエルが町中に出現した場合など。そして、その症状はLSDの症状によく似ているのだという。
2
LSDは、1938年にスイスの化学者アルバート・ホフマンによって初めて合成された、人工的に作られた幻覚剤である。
ホフマンは「奇妙な予感めいたもの」により、1943年に再びこの物質を取り扱うことにした。そして4月16日、LSDを結晶化している際に非結晶性のごく微量のLSD溶液が指先につき、LSDが指先の皮膚を通して吸収されることによって、ホフマン自身によりLSDの効果が確認された。ホフマンは眩暈を感じ、実験を中断せざるを得ない状態に陥ってしまった。そして実験を中断して帰宅した後も軽い眩暈に襲われていた。帰宅するなり横になっていたが、極めて刺激的な幻想に彩られていた。日光が異常に眩しく感じ、意識がぼんやりとし、異常な造形と強烈な色彩が万華鏡のようにたわむれるといった幻想的な世界が目の前に展開していた。その状態は2時間ほど続いた。これがLSDの幻覚作用発見の瞬間であった。
(中略)
やがてその感覚が消えると、ホフマンは感謝と幸福な気分が満ちてくるのを感じた。そして万華鏡のように幻想的な現象が起こり始めるのを見た。視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。ホフマンはそのまま疲れ果てて眠ってしまった。
翌朝、目が覚めたときはまだ疲労が残っていたが、快適な気分と新鮮な生命力がホフマンを満たしていた。朝食はとりわけ美味しく、朝食後の散歩ではあらゆるものがきらきらと光り輝き、世界は再び創造されたかのようであった。LSDはバラエティに富みしかも刺激的な酩酊を生み出しながら、後に残ることなく、実験の後でホフマンが感じたのは肉体的、精神的爽快であった。
冷戦期、対立する両大国が核兵器を持ってしまったことで核戦争の危機が生まれてしまった。その状況下でLSDは、軍用機で敵領土に侵入して一帯に散布するか、都市の水道に注入すれば敵の抵抗力を奪い、死傷者をほとんど出さないうえに都市の経済活動にもほとんど影響を与えない、とアメリカ陸軍に限定的局地戦闘の新たな方法として着目された。
(中略)
1950年代後半、ノースカロライナ州フォートブラッグで行われた実験では兵士はLSDを投与された状態で様々な実戦活動を行ったが、兵士は完全な活動不能から戦闘能力の著しい低下に至り、LSDの威力を見せ付ける結果となった。
しかし、LSDは噴霧状のものを吸い込むよりも体内に注入するほうがずっと効果的であり、大規模な戦闘でLSDを使用することができなかった。そのため、CIAのように尋問の道具としての研究が始まったが、1960年代前半にはLSD実験は行われなくなった。
LSDは、動物への影響を調べるために動物に大量に投与する実験や創造性に与える影響を調べるために画家に服用させて絵を描かせる実験、魔界との交信実験等、医療分野や軍事分野以外でも様々な分野において研究された。
1960年代LSDが大衆の間に広まると、LSD摂取時におこる幻覚に影響を受けたアート、サイケデリック・アートが起こった。
LSDを体験した画家180人の調査では、ほとんどの画家がLSD影響下で書いた自分の絵を「技術は損なわれているが、線が大胆になり、色が鮮やかになり、情緒的により拡張されたものである」と評価し、114人が「LSDを体験してからは自分の作品が色をより大胆に使用し、情緒的な深みを獲得し、より熱狂的に創作できるようになった」とLSDが自分の作品に影響を及ぼしたと評価した。
(中略)
一般大衆の間に広がったLSDは創造力を増すとしてミュージシャン達にも多用され、LSDを使用したミュージシャンからLSDへの反応として「サイケデリック・ロック」(アシッド・ロックとも呼ばれた)が生み出された。歪み、リバーブが深くかかったギターによる浮遊感溢れ、空間的な音作りや幻想的な歌詞(当初はベトナム戦争への反対やサイケデリック革命等、社会問題を歌詞にしていたが、やがてLSDによる幻覚自体を歌詞とすることが多くなった)等を特徴とする。
アメリカでは、LSDは1960年代初頭には薬局に置かれるようになっていた。しかし、LSDは具体的な処方法と具体的な効果がはっきりしていない「新種の薬」であった(西欧の薬に対する一般的なコンセプトからはずれるものであった)。そのため、1962年にこのような薬を規制するために「安全性と有効性が条件に合致しない限りはマーケットに出せない」とする旨の法案が提出され、下院を通過した。また、LSDを「実験ドラッグ」と規定することでFDAは使用を研究目的に限定し、一般治療には使用できないようにした。
LSDは強烈な効果を有するために、ひとたび一般大衆の間に広がってしまったことにより服用中の事故が多発したことは当然の結果と言えた(錯乱によって引き起こされた死亡事故がほぼ全てであり、LSD自体の毒性で死亡した例はほとんど報告されていない。ただし、LSDの毒性で死亡したとされる例もその多くは粗悪な密造LSDに入っていた不純物による中毒であると考えられている。
そして世論を受ける形で1965年にはドラッグ乱用規制修正条項が下院を通過し、LSDの非合法な製造販売は軽犯罪となった。
(中略)
1968年にはドラッグ乱用規制修正条項が修正され、LSDの所持も軽犯罪となり、販売は重罪とされた。その後、世界中でLSDは規制されることとなった(日本では1970年に麻薬に指定された)。
こうしてLSDは、ひょんなきっかけから誕生し、一時は軍事利用に用いられ、大衆化した後、麻薬として指定されて姿を消していった。しかし、今でも世界のどこかで製造は続けられており、ブラックマーケットにて流通している。
この化合物は、ザ・ビートルズは、Lucy In The Sky Diamondsを生み出しすことになる。
3
ペイジは外へ飛び出す。一瞬ゾクリとイヤな胸騒ぎがした。オートロックの外側に出たらもううちには帰って来られないような、そんな刹那の不安は掻き消される。ふと見上げると、世界は紫だった。視界のゆがみや色彩情報への侵食。あの夕暮れのオレンジに包まれる世界の色彩の情報がそのまんま紫色に置き換わる世界の色合いの体験だった。
この紫には見覚えがあった。プロジェクションマッピングの中で体験したのだろうか。ペイジは記憶を手繰り寄せると、やがて答えに行き着く。家族と行ったテーマパークだった。小さいペイジがその紫色に包まれる中で、ペイジは楽しそうに笑っていた。母親も父親も笑っていた。
いつもの知っている暗闇坂のうねった坂が、波状に残影しそこには紫が付与されている。ペイジは感動した。これは、なにかすごいことが起きている。胸が高鳴るのがわかる。鼻にツンとくる臭気も、なんだか臭いという認識を変えられる余地があるような気がしてきた。それほど寛容な気分になれた気がする。
ヘッドフォンの音楽には、omniboiの『Spring St.』がかかっている。ペイジの朝はこの一日から始まるのだ。まわりの同学年はほとんどみんなヒップホップやロックを聴いているのだけど、ペイジにはさっぱりその良さがわからなかった。代わりに、インストゥルメンタルのバンドやユニットの音楽を聴く。言葉のない音だけの世界の方がペイジは音楽の世界に没頭できたのだ。音楽がいつも以上に最高に聞こえる。ほんとに音楽に包まれている膜の中。ペイジの気持ちはすっかり綻んだ。
森とはどこだろう。ペイジは近所の森に関する記憶を手繰り寄せた。有栖川宮記念公園。かつて麻布台地が丘陵地帯だったころ、ずっと昔の面影を匂わせるペイジの好きな場所だった。ペイジの記憶には、生まれたころからその場所はあって、川で遊ぶことに夢中になったいた。近所の友だちともよく遊んだ馴染み深い場所で、ここで蛙と戯れたり最も身近な自然だ。
波打うつ起伏の麻布台地の地形は、心臓泣かせ。このあたりに住む高齢者は、500メートルの移動にタクシーを使うと以前母が話していた。使いたくなる気持ちもわからないでもない。500メートル先の診療所が、これほどの隆起の上り下りを要求されるならば、タクシーを使いたくもなる。
一本松坂をうねって歩くと、傾斜が急な仙台坂へ合流する。ペイジは、世界の輪郭が漂う。音楽に合わせて揺れる。色彩のダンスが世界を織り成す。カラフルだ。生まれて初めて散歩するみたいにたのしい。いつも歩いてる道なのに歩くのが気持ちいい。
いつもと何も変わらないはずなのに気持ちいい。ペイジの顔からは汗が吹き出してくる。11月のおだやかな陽光のこの日に汗をかいているのは不自然に思われるだろうか、とペイジのあたまによぎった。仙台坂はいつもよりもにぎわっていた。
すれ違う人、すれ違う人、みんなおかしな顔に思えてきた。どこか蛙のように見えてしまう。スーツを着て歩いてる蛙。帽子を被っている蛙。スカートをはいている蛙。人だけど蛙のおもかげを残しているような、今にもゲコゲコ鳴き出しそうな。人だけど、人じゃないような。不思議な生命体が人間とよく似た動きをしているんじゃないか。なんだか人が怖くなった。目を閉じて音楽に逃げ込んだ。音楽の中は安全だった。ペイジは、どうしても長谷川白紙の『毒』が聴きたくなった。スマホを取り出して、音楽を変える。とても満ち足りた気持ちになった。音楽はペイジを守ってくれる。異常事態から音楽が守ってくれた。
世界というのはじつにデタラメで、ぜんぶ認識次第。生きて死ぬまで暇つぶすだけなら、金があろうがなかろうが結論同じこと。だったらがんばらなくていい。だったら、ちょっとのお金だけ稼いでひもじく高望みしない人生にしようと諦めたのだ。ペイジは、勉強をがんばらなくていいと決めた本質的な理由のことを思い出した。音楽はすばらしい。
また、まわりを見渡すとやっぱり人の顔はおかしく見えた。でもそこまでおかしくないような気もする。ペイジは不思議な気持ちに満たされながら、いつもとなにがちょっとだけちがう通学路を歩いた。コンビニを曲がった先にあるのが、有栖川宮記念公園。ペイジが慣れ親しんだ、大好きな公園。なんだか張り詰めた雰囲気だ。
4
有栖川宮記念公園は、ペイジが知っているまんまだった。近所の公園など、高校生にもなるとさすがに来る機会が減るものである。自然の中での冒険よりもゲームの中の冒険に夢中になるからだ。
ずんずん中へ下っていく。丘陵地帯のつくった傾斜を下っていく。この先には、ペイジが小さい頃から大好きだった御料池がある。なんだかなつかしいような気持ちになってきた。
ヘッドフォンを外し、耳を澄ませると、車が走る音、ヘリコプターの音、サイレンの音、メガホンで誰かの怒鳴り声が遠のいていった。
例の蛙の大合唱がふたたび脳内に響き渡る。世俗の音が遮断された合図だった。理性と狂気の中間にいる。たまに正常に戻る気がする。葉っぱと木々がクッションとなって、喧騒の音を相殺している。世俗のあれこれとは切り離された、特別な空間にいることがわかる。さっきの耳鳴りが大きな音で聞こえてくる。数万匹ものガマガエルの鳴き声。ゲコゲコと振幅している。しんしんと奥へ吸い込まれる。
紫の世界がゆらゆら。ゆらゆらの奥には、白い煙のような。この公園の奥にはなにかがある。生い茂る草木の奥には、小川がある。そこには、うっすらとぬらァと湯気が立ちこめている。どこかなつかしいような。でも初めて来るときのようなペイジはそんな不思議な気持ちになった。
これ以上歩けない。ペイジは耐えきれず、小川のとなりのベンチに腰掛けた。現実の身体は、ベンチに預けた。
白い、遠退く。白い、遠退く。
頭ガ、真ッ白ニナッチャタネ
真っ白だけど、黄色。白の中に黄色が見える。ヒナギクが揺れている。
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ。
──まっしろな世界のなかにいる。ここには、イヤなことひとつもない。
この世界では、ぼくは裸だった。肩にひんやりと冷たい雫が滴る。
小糠雨が降っているらしい。
ぴちゃ、ぽちゃん。水滴が土をはじく音。
しとしとと雨がふる。
ぼくがいるこの小雨の丘には、一面に芝生が生えている。その芝生は、音を雨音を吸収している。
誰かがこの芝を刈り整えているのか、自然にこのようになっているのかはわからないが、この芝生で寝転ぶのはとても気持ちがいいことだった。
おだやかな日曜日みたいだ。ペイジは思った。
丘の向こう側に目をやると、山々が連なっているのが見える。日本アルプスのような山脈だった。不思議だ。雨が降っているのに、山脈は驚くほど鮮明に山肌を露出させている。狐の嫁入りだろうか。雲の合間から、おだやかな陽光が山肌を照らす。
ペイジがうしろを振り向くと、丘の上に白い家が建っている。見覚えのない家。だけど、どこかなつかしいような。おだやかに包まれている。
ペイジは上体を起こし、小さく伸びをした。白いなにかが、視界に入る。気になって振り向くとそこには、一軒の白い家が建っていた。三角屋根が印象的だった。屋根にはえんとつがついている。
白い家の中には、肌触りのいいタオルがある。雨で濡れた身体を肌触りのいいタオルで拭きたいと思った。
ペイジはドアノブに手をかけてドアを開けると中には、しらない家のしらない配置。しらない家具。だけど、ペイジにはタオルがどこにあるのかわかっている。なぜだろう。タオルを取り出して、身体を拭く。
───ゲコゲコゲコゲコ